人格と情動と脳内麻薬と

遺伝子工学から機械学習まで、近年さまざまな技術の発達により20世紀に危惧されていた様々な倫理的問題がますます鋭いアクチュアリティを持って現実にもたらされようとしている。ますます解明される意識や情動と物理的な脳の関係性もそのひとつである。

我々の意識に現れる情動のすべてを操作可能な脳内の物理的現象に還元していったとき、我々には何が残るのだろうか。愛も憎しみも喜びも、あるいはこの悲しみさえも、すべてがハック可能な脳内物質の作用だと言うなら、意識としてのわたしが感じるその情動の真正性というものは何処にあるのか。

真正性というものは存在しない、いや最初から存在しなかったのだ、脳内活動のメカニズムが未だ解明されていなかった時代の蒙昧な考え方に過ぎない、と考えることもできる。わたしがそれを感じているということのみによって、意識がどのような物理的現象に支えられているかに関係なく、そこに真正性というものが見出されるのだ、ということもできるだろう。そもそも真正性ってなんですか、と問うこともまた可能であろうし、そんな問題は近代薬学というものが発展する頃から、あるいはそれ以前から行われた議論であって目新しさはなにもない、と切り捨てることもできるだろう。

最近、ADHDの子供の脳にはある一定の器質的特徴があることが発見され、診断精度の向上と治療効果の測定につながることが期待されているという。皮質の厚みと面積だけでADHDが否かがわかり、そして投薬によって正常な行動へ戻すことができる、それはよい話のはずだ。

短期的にはそれで良いのかもしれない。けれども一歩引いてみて考えた際、我々がここで「正常」としているものの正常性は一体どこに根拠を持っているのだろうか?精神的疾患と認められるか否かはしばしば日常生活に支障をきたすかで判断されることが多いが、この定義でもなお、「支障」とはなにかを客観的基準によって定めることは容易ではあるまい。ある一定の範囲を「正常な社会的行動」と定め、そこからはみ出すものに物理的原因を見出し、投薬処置を行うことによって正常に戻す、この社会的制度の権力に違和感をおぼえることはおかしいだろうか。

長山英三略歴

東京都北区神谷在住、長山茂・綾子の三男である長山英三は、2018年12月18日に永眠した。以下は、2013年に自らまとめた「長山英三略歴」に多少加筆したもの。記録のため残す。

・1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で、長山茂・綾子は大森で被災。3人の子を連れて、茂の郷里、現常陸太田市内田に帰る。
・1924年、知人の紹介で秋田木材株式会社(能代町)に入社、茂は翌年、子会社日本プライウッド株式会社(東京府板橋町)営業部長として着任。翌年末一家は東京府北豊島郡滝野川町御代の台(現在、北区滝野川5丁目)に居住。
・1925年1月21日、茂・綾子の3男として英三誕生。
・1931年、英三・東京市立滝野川台に尋常小学校に入学。1937年に卒業。
・1933年、茂は退社して独立。大陸向けベニヤ板貿易商「長和商行」を設立。しかし、戦時統制強化により事業は失敗、1937年仕事を得て満州へ渡る。
・1937年、英三は東京府立商工学校商業科入学。乙種実業校。
・1939年8月、母綾子は7人の子を連れて、満州国奉天在住の茂のもとへ移住。英三は荒川区日暮里のおじ長山武の家の寄宿。9月、東京府立商工学校に新設の甲種の採鉱冶金科に入学。
・1940年4月、茂死亡。母綾子は満州綿花株式会社の家族・独身寮の寮母となり、子供7人と暮らす。1946年引き上げ・帰国。
・1942年4月、英三は満州国立奉天工業大学(全寮制)冶金科入学。
・1944年9月、海軍予備学生(整備)合格入隊。
・1945年6月、海軍少尉となり、大和海軍航空隊(奈良)にて終戦。9月上京。
・1945年12月、東芝電気足立工場に電気炉溶鉱工として就職。
・1949年12月、退職して翌年から失業対策事業で働く。
・1950年1月、大谷マサ子と結婚、北区赤羽西1丁目に居住。
・1952年5月、メーデー事件語鳶職人となる。
・1953年3月、長男・徹誕生。
・1955年3月、事業独立して「鳶職・平和建設」自衛。
・1971年9月、北区神谷1丁目に転居し、事業継続。
・1980年9月、妻マサ子病没(50歳)。翌年、記念誌「いつまでも」刊行。
・1985年から、中国語習得の名目で、上海・北京・大連の各大学に留学。春、夏、冬の休暇を利用し、100近くの中国・台湾の地方に旅す。
・1991年帰国。92年始、のちに帰化した紀子と再婚、現在に至る。
・1995年、父・母・兄・妻らの「故人記」をまとめる。
・2006年2月13日、長男・徹が交通事故で死亡。
・2018年12月18日10時10分、北区の神谷病院にて長山英三永眠。

さよなら

離婚した妻の夢を見た。

彼女は大学の近くの小さな寮に部屋を借りて住んでいて、わたしは何か言い残したことがあって数年ぶりに彼女の元を訪れているのであった。
やあ、とわたしは言って、久しぶり、と彼女は返した。わたしは何か言わなければならないことがあるのだが、何故か言い出せずに、多愛がなくどうでもいい話をいくつかして、近況を聞いたり、話したりした。
ぱっと思いつく話題が途切れると、場を沈黙が支配した。ブウン、という静かな冷蔵庫の音と、かすかに聞こえる外からの喧騒だけがゆるやかに部屋に流れていた。

もう帰りなよ、と彼女はつぶやいた。
わたしはそれに抵抗することができずに外に出たが、まだすべきことをなしていない自分の足をさらに動かすことはできなかった。わたしは振り向いた。彼女はまだそこにいた。

「ごめんな」とわたしはついに言った。
「わたしは君の味方になりたかったんだ。でも、なれなかった。」
「ごめんな。」とわたしはもう一度言った。とめどなく涙が溢れていた。わたしはさらに何かを言おうとしたが、もはや出すことができるのは嗚咽だけだった。彼女はいつの間にかいなくなっていた。

そこで目覚めた。こちらの世界では、わたしはまだ泣いていなかった。
けれども現実にもう一度その台詞を言ってみると、またしてもどこからか大きな悲しみが押し寄せ、大粒の涙がわたしの顔中を濡らしはじめた。夢よりもずっと長い間、涙は溢れ続けた。何かの線が切れたかのように。

そうしてわたしの中で何かが流れ去っていった。

それぞれの死にざま

祖母が死んだ。突然のことだった。母から「祖母が入院した」という連絡があった実に二日後、祖母はあっさりと息を引き取った。わたしはちょうど休暇中でインターネットにあまりアクセスしておらず、訃報にはすぐ気が付かなかった。母からのメッセージに気づいたのはちょうど12時間ほど経ったところだっただろうか。ホテルから一旦帰宅して、そこから日本へ飛ぶチケットを探していると、どうしても予定されている葬儀の日取りから一日遅れてしまうので、無理をして式を一日ずらしてもらった。母は「遠いのだし、別に来なくとも良い」と言っていたが、わたしからすれば、祖母の葬儀に出席しないという選択肢などなかった。

わたしは祖母について多くを知っているわけではない。結局のところわたしは彼女とはずっと離れて暮らしていたし、手紙を交わしていたわけでもない。夏や冬、母の実家に帰ったときに、暫くの間顔を合わせる人、その程度の関係だった。だからわたしは彼女についてあまり多くのことを語ることはできない。けれどもひとつ言えることがあるとすれば、彼女は意志の人だった、ということだろう。自分で決めたことは決めたこととして貫き通すような人だった。だから彼女がどういう風にして死んでいったのかを詳しく母から聞いたとき、全くの祖母らしさに少し微笑んでしまった。

彼女は自ら食べることを断って死んでいったのだという。何かの拍子に足を折ってしまった(90歳を越せば足など本当にすぐ折れてしまうものなのだ)彼女は、入院してすぐに、自分がもう歩けないであろうことを悟った。歩けなくなってしまえば、もう自分で自分の世話をすることはできない。そうなれば家にいることは難しく、施設に入るしかない。けれども元来彼女は施設に入ることだけは絶対に拒むことを決めていたのである。だから彼女は食事を摂取することを拒絶し、点滴のチューブの引きちぎって、自ら衰弱を選び、死んでいったのだという。

思えば人にはそれぞれの死にざまというものがあるのだろう。父は居眠り運転のタンクローリーに突っ込まれる、という全く予期しない死に方で死んでいったが、それもまた父という人をよく表しているのではないか。

わたしはどのようにして死んでいくのだろうか。自分らしい死にざまとはどのようなものなのだろうか。わたしにはまだわからない。ただ願わくはわたしが逝ったとき、「ああ、全くあれは長山らしい死に方だった」と人が言わんことを。

考えたことについて書くということ、あるいは趣味としての思考

わたしはこどもの頃から何かについて考えるということが好きで、趣味は何かと聞かれると、「思考」と答えることがあった。それは基本的に自己満足のためのものであって、それを他人に伝えたり、議論したり、わかってもらうということは二の次であった。そもそも考えるとき、一般に通用する言語を用いないことが多かったし(「記号言語」とわたしが読んでいる、イメージに基づく思考法だった)、外に出すということにあまり大きなこだわりはなかった。勉強ができるわけでも、頭の回転が速いわけでもなく、特別頭が冴えているわけでもないが、ひとつ疑問に思ったことを自分のペースで考えていることが好きだった。精神的にも肉体的にも、にぶく、のろいこどもだったと言える。

成長して、わたし以外にも様々なことを考えているひとがいることを知り、自分で考えるだけではなくて、他の人が考えたことを学ぶことにも価値があることを知った。また同時に、何かを言語化すること、何かを人に伝え、理解してもらうことにも、大きな価値があるということを学んだ。それはとても重要な気づきだったけれど、同時に、自分が考えたことに対する自信の喪失に繋がり、他者の思考のトレースと、その理解に務める時間が多くなってしまった。

けれどもその期間も終わりつつあるように思う。わたしは改めて、自分自身の思考を、自分の言葉で─ただし、他の人にも分かる言葉で─表すときが来ているのだと思う。なぜかはよくわからない。他者の思考を理解することにも限界があること、それらを集めてコレクションするだけでは、単なる化石収集者にしかなれないこと(「生きた魚を取ってこい!」とニーチェ先生は言ったらしい)、そして何より、わたしに与えられた時間に限界があること、そういったことを身をもって悟れる年令になったのかもしれない。あるいは、何か全く別に、わたしの精神の何処かに赤く大きなスイッチというものがあって、それが何かの拍子に、誰かによって押されたのかもしれない。そのスイッチがどこにあって、それを誰が押したのかは、今はわからない。

わたしが考えていることは間違っているかもしれない。それで他人に馬鹿にされたり、恥をかいたりするかもしれない。何かを知らないことで、「こんなことを知らないなんて死んだほうがいいですよ」と言われてしまうかもしれない。それでもいい。それは他でもないわたし自身の思考であり、わたし自身の血と肉なのだから。間違っていることは考え直せばいい。知らなかったことは新たに学べばいい。正しいことを言える人、たくさん知識を持っている人、頭の回転が速い人、わたしはそういう人であったことはかつてないし、これからもなれないだろうけれども、自分が疑問に思ったことを、ただ考え続けることはできる。考え続けていれば、いつか真理に近づけるかもしれない。知らんけど。

ゆっくり考えて、少しずつ言葉にしていけばいい。わたしに残された時間は、まだあるのだ。

「テロリストの入国からアメリカを守る」トランプ大統領令の何が問題か?

トランプ大統領は、「テロリストの入国からアメリカを守る」ための大統領令を1月27日に発令。それとともにアメリカ中で反対運動が巻き起こった。事態は依然進行中であるが、そもそもこの大統領令が何を意味するのか、何が問題視されているのかを、実際に法律を読み解きつつ考えていきたい。わたしは法律家ではないが、いつだって原文にあたって見るのが思考を整理するためには最良の方法であると考えている。

ポイント

  • この大統領令は、既存の法律である移民国籍法で大統領に与えられた権能を基にしているが、合法であるか否かは論争がある。
  • 既に合法的にビザを取得し、平和的に米国内に居住している人に対しても影響がある。
  • 米国に在住するアメリカ国籍を持たない人にとっては、マインドセットの大きな変更を強いられる出来事である。
  • 政治的には「ムスリム・バン」として象徴的に機能するにもかかわらず、法的にはそのような実装がされているわけではない。
  • このような大統領令は、同じ法律を根拠にしたものに照らし合わせても前例がない。
  • テロリストの入国を妨げる役にはおそらく立たない。

大統領令の構造を理解する

そもそも実際にこの大統領令はどのような構造になっているのか。大統領といえども、何でも何に関しても好きなように出来るわけではない。行動を正当化する法律がその根拠にあるはずである。ホワイト・ハウスがこの大統領令の全文をオンラインで公開している。まずはこの大統領令で特に現在重要視されている点を抜粋し翻訳しよう。

Sec. 2.  Policy.  It is the policy of the United States to protect its citizens from foreign nationals who intend to commit terrorist attacks in the United States; and to prevent the admission of foreign nationals who intend to exploit United States immigration laws for malevolent purposes.

(燕石私訳) 第2条. 政策. 合衆国内でテロ攻撃を行う外国人からその市民を守り、悪意をもって合衆国の移民法令を悪用することを意図する外国人の入国を防ぐことが合衆国の政策である。

ここでは、「この大統領令が何のために発令されたのか」と言うことが提示されている。名前の通り、「テロリストの入国を防ぐ」ことが目的である。次に、

Sec. 3.  Suspension of Issuance of Visas and Other Immigration Benefits to Nationals of Countries of Particular Concern.  (a)  The Secretary of Homeland Security, in consultation with the Secretary of State and the Director of National Intelligence, shall immediately conduct a review to determine the information needed from any country to adjudicate any visa, admission, or other benefit under the INA (adjudications) in order to determine that the individual seeking the benefit is who the individual claims to be and is not a security or public-safety threat.

(燕石私訳) 第3条. 特に懸念のある国の国民に対するビザおよびその他の移民上のベネフィットの停止. (a) 国土安全保障長官は、国務長官および国家情報長官との協議のもとで、移民国籍法に基づいてビザ、入国、その他のベネフィットに関わる審査を請求する個人が、かれが主張するとおりの人間であり、安全保障上あるいは公安上の脅威でないことを裁決するために、どのような国からでも必要な情報を決定するためのレビューを直ちに執り行う。

前記の目的を達成するために、直ちに、現存するビザ発給および入国の許可に関わるプロセスを再度総点検するのだという。トランプが選挙期間中に示してきたビジョンの通り、「現在のプロセスはどうしようもない」から、「新しいプロセスを作る必要がある」というわけである。

(c)  To temporarily reduce investigative burdens on relevant agencies during the review period described in subsection (a) of this section, to ensure the proper review and maximum utilization of available resources for the screening of foreign nationals, and to ensure that adequate standards are established to prevent infiltration by foreign terrorists or criminals, pursuant to section 212(f) of the INA, 8 U.S.C. 1182(f), I hereby proclaim that the immigrant and nonimmigrant entry into the United States of aliens from countries referred to in section 217(a)(12) of the INA, 8 U.S.C. 1187(a)(12), would be detrimental to the interests of the United States, and I hereby suspend entry into the United States, as immigrants and nonimmigrants, of such persons for 90 days from the date of this order (excluding those foreign nationals traveling on diplomatic visas, North Atlantic Treaty Organization visas, C-2 visas for travel to the United Nations, and G-1, G-2, G-3, and G-4 visas).

(燕石私訳) (c) 本条第(a)項で説明されたレビューを執り行うあいだ、一時的に関係当局の調査の負担を軽減し、また外国人の適切な審査のため現在あるリソースの最大限の活用を可能にし、また外国人テロリストや犯罪者による潜入を予防するための適切な基準が設定されることを確実にするため、移民国籍法第212条(f)項、8 U.S.C. 1182条(f)項に従い、移民・非移民を問わず、移民国籍法第217条(a)項(12)号に指定された国の外国人による合衆国への入国は、合衆国の国益にとって有害であるとわたしは宣言し、ここに、移民・非移民を問わず、該当者の合衆国への入国を、この大統領令の日付より90日間停止する(但し、外交ビザ保持者、NATOビザ保持者、国連へ旅行するC-2ビザ保持者、G-1、G-2、G-3、G-4ビザ保持者の外国人を除く)。

そして、そのレビューに集中したいから、一時的にテロリストかもしれない人は入国禁止ね、という問題の条文がここで出てくる。ほかに重要な点としてはすべてのシリア難民の入国一時停止(こちらは時効なし)があるが、とりあえずはここでいったんストップしよう。

押さえておきたいことは、どの国家からの入国を禁止するかに関して、既存の法律である移民国籍法第217条(a)項(12)号に基づいた指定が行われていることである。具体的に書けば、これらの国とは、イラク、シリア(この両国は法律に直接ハードコードされている)、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン(これら5カ国は行政の指定による)の7カ国である。これらの国家は、いわゆる「テロ支援国家」として以前から指定されている国家群であり、オバマ政権時に成立した「テロリスト移動防止法」により、ESTA 発給の停止がなされていた。

またここでは、この大統領令は、移民国籍法第212条(f)項に従ったものであると明記されている。では、移民国籍法第212条(f)項はどのようなものであるのか。さらに翻訳を続ける。

(f) Suspension of entry or imposition of restrictions by President. Whenever the President finds that the entry of any aliens or of any class of aliens into the United States would be detrimental to the interests of the United States, he may by proclamation, and for such period as he shall deem necessary, suspend the entry of all aliens or any class of aliens as immigrants or nonimmigrants, or impose on the entry of aliens any restrictions he may deem to be appropriate.

(燕石私訳) (f) 大統領による入国停止、あるいは制限. ある外国人、あるいはある種類 class の外国人による合衆国への入国が、合衆国の国益にとって有害であると大統領が判断した場合、かれは、宣言により、かれが必要であるとみなした期間のあいだ、移民・非移民を問わず、どのような外国人、あるいは外国人の種類 class であっても、その入国を停止する、あるいはその入国に対してかれが必要と見なすどのような制限をも課すことが出来る。

つまり、米国の移民国籍法は、大統領の判断によって、移民であろうと無かろうと、外国人の入国を拒否することを許容しているのである。この条文からは、確かにトランプにはこの宣言を出す法的権能が備わっていると言うことが出来るだろう。

そもそも外国人に関して、誰が入国可能であり、誰が入国を拒否されるかという点に関して、政府は基本的にフリーハンドを持っている。現在の国際的秩序の中では、国籍を持たないものに人権はない。政府は自国領土の中に住んでいる外国人に関して人権を保証する義務はないといって構わないだろう。これ自体は大きな問題であるが、このような秩序の中では、少なくともトランプの大統領令は合法ではあるように思われる。

そもそも合法なのか?

しかし当然ながら、話はそう簡単ではない。この大統領令が果たしてそもそも合法であるのか、現在アメリカでは盛んに議論がなされているようだ。この移民国籍法は1952年に書かれたものであるが、より新しい、1965年に書かれた移民国籍法には、こう書いてある。

(A) Except as specifically provided in paragraph (2) and in sections 1101(a)(27), 1151(b)(2)(A)(i), and 1153 of this title, no person shall receive any preference or priority or be discriminated against in the issuance of an immigrant visa because of the person’s race, sex, nationality, place of birth, or place of residence.

(燕石私訳) (A) 本(2)号および1101条(a)項(27)号、1151条(b)項(2)号(A)(i)、および1153条に特定された場合を除いて、何人も、人種、性別、国籍、出生地、また住居地によって移民ビザの発行に関する優遇、優先、または差別を受けることはできない。

この条項により、少なくとも移民ビザの発行プロセスに関しては、ある人の国籍に基づいてその発給の可否を決定することは禁止されている。ただし非移民に関してはその限りではない。大統領令は移民・非移民に関わらず、と明確に書いてあるので、少なくとも前半部分に関して、国籍をベースにして移民ビザの発給を停止することはこの条項に違反している。問題は、ふたつの条項のどちらがより優先されるか、である。

この他、憲法によって保証されている諸権利 – デュー・プロセスの欠如、平等な保護、そして(解釈によっては)信仰の自由 – を侵しているという主張も成り立つ。しかしこれらの憲法によって保証されている諸権利に関わる主張はぐっと哲学的問題に近くなってくるため、法律に照らし合わせてどうか、という議論を行うのはそう簡単ではない。

既に合法なビザを持っている人間もこの大統領令の対象になるのか?

なる。当該国の国民であれば、既に合衆国政府によって合法的に発給されたビザを持っていたとしても、入国は禁止される。これは非常に大きな問題である。わたしの同僚にもH-1Bで米国に滞在しているイラン人がいるが、かれはこの大統領令によって、実質的に出国が禁止されてしまった。一度出てしまえば、もう米国には帰ってこれないからである。合法的なプロセスに基づいてビザを取得したにも関わらず…。この大統領令による禁止自体は90日間だが、いつ何時次の(同じような)大統領令が発令されるかわからないため、米国を出国することは大きな不確定要因に身を委ねることに等しい。

この大統領令が発令された当初は、永住権を持つグリーンカード保持者も同様に入国が禁止された。その48時間中に起きた大きな反発と訴訟を受け、国土安全保障長官ジョン・ケリー John Kelly が、長官に例外的入国を認める権能を与えた第3条(g)項に基づいて、「合法的な永住者の入国を認めることは米国の国益にかなう」という宣言を出したため、現在はグリーンカード保持者の入国は認められるようである(ただし数時間に渡る追加的な検査が入国審査時に行われる可能性あり)。

この大統領令は、合法的に米国内に入国し、法律を守りながら暮らしている外国人であったとしても、政権の動向次第で一夜にして非常に厳しい状況に追い込まれうるということを内外に示した。次に入国が制限・禁止されるのが誰であるのかはわからない。日本と米国の関係が少しでも悪くなったらすぐに、わたしも似たような状況に陥ってしまうかもしれない。最悪のシナリオを考えて行動しなくてはならない、ということがはっきりと示されたのである。

これは「ムスリム・バン」なのか?

政治的にはそうであるが、法的にはそうでない。それがこの大統領令の狡猾な点である。トランプは自らの選挙公約である「ムスリム・バン」を、いかにして法的に実現可能にするかというタスクを優秀な法律家に与えたのであろう。その結果がこれだ、とわたしは考えている。これは政治的あるいは象徴的にはムスリムに対する入国の制限を行うものであるが、法律としては「既存のブラックリストを利用し、既存の法律で与えられた権能を用いた」ものになっている。当然元来想定されている権能の利用法ではなく、一種のアビューズということすらできるが、それでも一定数の法律家をして「これは合法である」と考えさせることのできる程度の法的説得力を持つものになっている。

前例はどのようなものがあるのか?

移民国籍法第212条(f)項が適用された大統領令は過去、以下のようなものがある。

  • 2014年3月19日、オバマ: ウクライナの情勢を作り出すことに特定の仕方で貢献した外国人の入国停止。特定のロシア連邦政府高官、ロシア軍人など。
  • 2007年7月3日、ブッシュ: レバノンの主権と民主主義を脅かした外国人の入国停止。レバノン政府高官など。
  • 1993年12月14日、クリントン: ナイジェリアの民主制への移行をさまたげた政策を形成あるいは実行、もしくはそれらの政策から利を得た外国人の入国停止。

見てわかる通り、これらのケースが対象とするものは全て非常に限定されており、当然ながらある国籍を持つ外国人全てに対して処置をとるものではない。それが制裁として持つ外交的意味も明確である。今回のトランプによる大統領令は、特定の国籍を持つ人間全てを対象としている点において前例がなく、法令の想定していなかった利用であると言わざるを得ない。そもそもなぜイラン人市民1人の入国がアメリカの国益にとって大きな脅威であるのかを説得的に提示することは、トランプ政権の誰にもできないであろう。

この大統領令はテロリストの入国を妨げる役に立つか? (追記)

おそらくない

まず、入国が禁止されている7カ国からの渡航者がテロを起こしているという事実はない。BBC によれば、アメリカ国内で 9/11 以降に発生したテロ攻撃の犯人の 82% がアメリカ国籍あるいはグリーンカード保持者である。 9/11 の主犯勢は基本的にサウジアラビア国籍であった。また、最近発生した事件に関していえば、犯人は指定7カ国出身者ではない。

  • フォートローダーデール空港銃撃事件 (2017年1月): アメリカ国籍
  • オーランドナイトクラブ銃乱射事件 (2016年7月): アメリカ国籍。両親はアフガニスタン出身
  • サンバーナーディーノ銃乱射事件 (2015年12月): アメリカ・パキスタン二重国籍。両親はパキスタン出身

以上のように、この大統領令で直接的に入国が防がれるであろう人間によるアメリカ国内での大きなテロ行為は、少なくとも過去には存在しない。調べた限りでは、指定7カ国出身者による死傷者の出た事件は確認できなかった。「両親がイラン人移民のアメリカ人」などによる犯行はまれに存在するが、この大統領令はアメリカ国籍を持つ人間の入国を阻止するものではない。

また、この大統領の主眼であるビザ発給プロセスの再検討もあまり大きな果実があるものとは思われない。そもそもここで指定されている7カ国は、「これらの地域に渡航した過去のあるものはESTA発給を行わない」という趣旨でオバマ政権時に作られたものであって、今回の大統領令のような使われ方をされることは想定されていない。こういった法令がオバマ政権時代に作られているということは、逆説的に「現在のプロセスが既にかなり厳しいものになっている」ことを示している。シリア紛争で故郷を追われた人々が難民として認定され、米国内に合法的に入国を許可されるまでのプロセスは既に途方もなく官僚的で長いものになっていることは認識しておくべきであろう。この件については今後もう少し詳しく書いてもよいかもしれない。

つづく

書きたいことはまだあるが、さしあたって重要と思われる論点は提出したと考える。特にシリア難民の情勢やトランプ政権全体の動向などに関してはまた次回以降の記事で詳しく追っていきたいと思う。(長山燕石)

2017年への手紙

あなたへ

お元気ですか。ご無沙汰しています。いつかはありがとうございました。筆無精で、かつ、ついつい考え込んでしまう性格が災いし、こんなにも自分の考えをあらわすことが遅れてしまって申し訳ありません。わたしはなんとか生きています。

思えば2016年は本当にクソみたいな1年でした。わたしは離婚し、祖父は呆け、イギリスは欧州連合から離脱することを決め、アメリカではトランプが大統領になりました。米国に移住して2年としばらくが経って、わたしは今年30になります。これまで生きてきて苦しいことはいくつかありましたが、その中でも厳しく、また様様なことを考えさせられる1年であった、と思います。

もちろんいくつかのよいこともありました。思いがけない驚きがあり、新しい学びがあり、様様な出会いがありました。20代の後半はわたしにとってずいぶんと苦しい期間でしたし、数々なものに惑わされ、幾多の失敗や罪を犯しましたが、29歳になった年、今後の人生を生きていくための、いくつかの指針のようなものも見つけることが出来たと思います。

昨年は父が死んで10年になる年でした。そのことは既に以前少しだけ書きましたね。わたしの時間はいまでもあの日で止まっているようですが、それでもなお、時間の経過とともに変わるものもあり、少しばかり、自分のしあわせというものを考えることができるようになりつつあるような気がします。

あなたはいまどうしているのでしょうか。生きて、幸せにやっていくれたらよいと思います。あなたがどういう年になるのか、わたしにはまだ分かりません。ひょっとしたら状況は悪化し、さらにひどいことになるのかもしれない。けれどもわたしはあなたが健やかであることを祈っています。自分が、次の10年のために出来ることを、少しずつやっていこうと思っています。何をして、誰とともに生きていくのかということに関する答えに、少しでも近づきたいと思っています。

出来ることならわたしに勇気をください。前へ進むための、あなたのために祈るための、決断するための勇気を。

自分のことばかり書いてしまって申し訳ありません。どうかお元気で。また会う日まで。

長山燕石

メッセージの伝達に責任を持つのは誰か?

ウェブライターであるヨッピー氏が、「ネイティブ広告ハンドブック」のわかりにくさと、そのわかりにくさを指摘した際発生したコミュニケーションに対して大いにお怒りである。こういったコミュニケーションの齟齬は、何故起きるか。以前から考えていたことを適用するよい機会なので、書く。

特に日本語におけるコミュニケーションに関して知っておくべき事は大きく二つあるとわたしは考えている。それは、「ハイコンテクスト(高文脈)な文化」、および「パフォーマティブ(行為遂行的)な発話」である。これらのことさえ飲み込んでしまえば、日本人とのコミュニケーションはバッチリ理解できるといっても過言ではない。

「ハイコンテクスト文化」は人類学者の考えた概念で、「ローコンテクスト文化」の対義語である。ざっくりと言ってしまえば、ハイコンテクスト文化においては、言葉の選択や発話のタイミングによって、実際の文章が指示しているものよりも遙かに多くのメッセージが伝達される。日本語はその最たるものである。Wikipediaが提示している、わかりやすい具体例を見てみよう。かかってきた電話をいま取った、と仮定せよ。そこから以下の質問が聞こえてくる。

日本語: 花田さんはいらっしゃいますか。
英語: May I speak to Ms Hanada? (わたしは花田さんと話すことはできますか。)

さて、どう答えるべきか。

日本語においては、「花田さんがいるかどうか」を聞いているだけに見えるので、「はい、います」あるいは「いいえ、いません」が正しい答えのように見える。しかし、実際には、日本語ネイティブがこの文章に遭遇した際、かれは「はい、いまかわります」と答えるであろう。これは、「電話に出た際にいるかいないかを聞いていると言うことは、当然、花田さんと話したいということだ」という推論を基にしている。

ここまではよい。

実際に日本人とコミュニケーションを取る際に問題となるのは、以上の性質の結果として、メッセージ伝達の責任が、話し手にあるのか聞き手にあるのかが変わってくる、ということである。一般的な日本語のプロトコルでは、メッセージの伝達に責任を持つのは聞き手である。一方、米国英語などのプロトコルでは、メッセージの伝達に責任を持つのは話し手である。どういうことか。

上記の例で言えば、「花田さんと話したい」という真のメッセージが話し手から聞き手に伝達されることに対する責任は、聞き手にある。それを把握せずに、「はい、います。花田さんがどうかしましたか?」と聞き返すことは、聞き手がその責任を放棄しているということであって、日本語のコミュニケーションとしては失格なのである。

だから、このプロトコルを前提として生きている人は、「わたしが受け取ったこのメッセージの真の意味は何か?」ということを常に考えなくてはならないことになる。一を聞いて十を知る、すばらしいことだ…と言うこともできるかもしれない。

しかし、二つのプロトコルが衝突するとき、これは大きな問題となる。1を聞いて十を知る、いや、知らなくてはならない、と考える人間(仮に甲としよう)は、1を聞いて1を知ることは責任の放棄だと考えるようになる。一方で、メッセージの伝達に責任を持つのは話し手であるというプロトコルに基づいてコミュニケーションを行う人間(仮に乙としよう)は、1を言って1が伝わるとは限らないため、1を伝えるためには3言わねばならないと考えるようになる。

結果どうなるか。乙が3言ったことに基づいて、甲は30理解することになる

乙であるヨッピー氏は、「発信者側もなるべく多くの人に理解されるようにコンテンツを作るべき」と言っただけのつもりであった。しかし甲である藤代氏は、「いまや誰でも発信者になり得るから、素人ライターでいいんだ」というメッセージとして受け取ったのである。

何たる悲劇であらう。

教訓1。日本人とのコミュニケーションにおいては、メッセージの伝達の責任者を予め明確にすべし。

次。「パフォーマティブ(行為遂行的)な発話」とはすなわち、「それによって意味伝達以外のことを成し遂げようとする発話」ということである。どういうことか。例を挙げよう。

わかりやすいのは、キリスト教の結婚式の際、新郎新婦が「誓います」ということである。彼らは「誓います」と言うことで誓いを行う。すなわち、単純に意味伝達のためだけではなく、誓いという行為を遂行するために発話が行われている

もちろん、発話が社会的行為である以上、どのような発話もある程度のパフォーマティビティを帯びる。しかし、純粋にパフォーマティブな意味を持ってなされる発話というものもある。そしてそのようなものは、しばしば暗黙のうちに行為を遂行しようとするのだ。ここで見られる高広氏の発話もそのようなものだ。

つまり、ここで高広氏が「メディアってなんですか?」と聞くことによって成し遂げようとしているのは、ヨッピー氏がメディアの何たるかをどう考えているかを知る、ということではない。その後の会話の発展を確認した上でのわたしの推測によれば、それはもっと別の目的で行われている。すなわち、ヨッピー氏に、「ヨッピー氏と高広氏の間にある暗黙の格の違い*」を認めさせ、もって(ヨッピー氏のつぶやきによって乱されてしまった)広告業界における「規範*」を取り戻すこと、である。発話の内容はこの際何でもよい。

すなわち示威行動である。こういった行為遂行的発話は、「ここはわたし(あるいは我々)のナワバリである」、「ここからは入ってくるな」というメタ・メッセージを伝えるために行われるのであって、「メディアとは何か」に関する建設的な議論を行うために発せられるのではない。だから、純粋に意味内容に基づいて議論を行っても、話がすれ違うばかりで意味がないのである。

特に日本人とのコミュニケーションにおいては、上の高文脈性と合わさり、非常にハイコンテクストで実際には聞き手側からすると理解しきれない行為遂行的メッセージを話し手が発している可能性がある。

教訓2。相手の発話が行為遂行的な意味を持っている可能性を吟味すべし。

こういった高文脈性・行為遂行性は日本語だけに見られるものではないが、特にそれに顕著に見られると言うことは事実であろう。

さて、以上では特に日本人のコミュニケーションにみられる奇妙な生態に関して、その完全な外部者であるかのように筆を進めてきた。けれども何を隠そう筆者も日本人である。個人的意見を述べさせていただければ、益益文脈を共有しない人間との会話を行う機会が増える今日の世界において、こういった高文脈性にしがみつくのは大変効率が悪いことではないか。それは確かに美しい文化を創り上げてきた一面もあるが、今日においては、むしろ害悪の方が大きいのではないか…とわたしは思う。

* 「格」「規範」というのも大変興味深い人類学的テーマなのであるが、ここでは紙幅が足らぬ故割愛する。

追記: 特に行為遂行性に関してはどの文化にもより普遍的に見られることは間違いない。明確化のため追記しておく。

親の死をどう乗り越えるか

親は死ぬ。これは親が人間である限りにおいて真実である。人の親は人であり、そして、人は必ず死ぬ。

わたしの父は10年前に死んだ。53歳だった。わたしはその時18歳の若造で、近親者の死はまだ経験したことがなく、ましてや、親が死ぬということの何たるかもわかってはいなかった。

けれどもこちらに準備ができていようといまいと、死はやってくる。ときに突然に、ときにゆっくりと。父の場合は突然だった。彼は一人でスキーに向かう祝日の早朝、居眠り運転のタンクローリーに追突されて死んだ。即死だったという。その時たまたま母も姉も家にいなかったので、警察からの電話はわたしが出て、遺体の本人確認ももわたしが行った。母はパニックになり、現実を受け止められない様子であった。「お父さんは今、どこにいるの?」と電話で聞いた彼女に対して、「霊安室にいる」と答えることは、わたしが人生で口にした中で、最も残酷な一言であったと思う。

近親者の死の受容には幾つかのステージがあると思う。死して暫くの間は、その事実が現実味を持たない。玄関のドアが開くたび、携帯の着信音が鳴るたび、あるいは夜中ふと起きて冷蔵庫に向かうたびに、父がいるのではないか、父からの連絡なのではないか、と思う。当然そんなことはないのだが、そんなことはないのだ、ということをまだどこかで納得出来ないのだ。

それが終わると悲しみが押し寄せてくる。父に関することを考えたり書いたりするだけで涙がでるような時期がある。自分の父でなくても、父子関係に関する少しでも感動的な話になるともうだめである。そういう時間が暫く続く。

けれども、その時期が終わると、乗り越えたことになるのだろうか?おそらくそうでない。愛する人の死を乗り越える事はできないのだと思う。家族は今でも悲しみを背負っているし、うまくそれについて話すこともできない。喪はある意味ではいつまでもあけないのだ。悲しみは消えないし、それを抱きつつ苦しむしかない。

我々にできることがあるとすれば、それは、忘れないこと、語り継ぐこと、そして、その人物が生きていればしたであろうことをなすこと、その程度のことだ。

もうすぐ祖父も逝く。わたしは再度、死に向き合うことを考えなくてはならない。

Brexit: EU離脱投票でイギリスはどこへ行くのか?

いわゆる「Brexit」をめぐる英国の国民投票で離脱派が多数を占めることが確定して数週間が経過した。イギリスの政治は明らかに混乱している─離脱派の政治家たちは実際に離脱派が勝ったことを寧ろ残念がっているようだ(UKIP党首ナイジェル・ファラージは職を辞したし、元ロンドン市長ボリス・ジョンソンは現首相キャメロンの後釜を選ぶ選挙に立候補しなかった)し、残留派の保守党も労働党も完全に混乱に陥っている(保守党党首かつ現首相デイビッド・キャメロンは辞職を表明し、労働党党首ジェレミー・コービンは議員たちから不信任投票を行われた)。スコットランドは再度独立投票を行う可能性を示唆しているし、ロンドンも独立に向けたペティションが行われている。1ポンドの価値は160円台から130円台にまで急落したし、ポンドの格付け自体も最高であるAAAから落ちることとなった。

その中で政治的に興味深い動きがひとつあるとすれば、Constitution Reform Group であろう。CRGは超党派の団体で、現在の中央集権的な連合王国を解体し、イギリスを複数の地域からなる連邦的国家を作りなおすことを提案している。スコットランド、北アイルランド、ウェールズ、そして勿論イングランドはそれぞれ主権を持ち、議会を持ち、そしてその上で政治、外交、国防と経済に関する主要な制度を共有することになる。具体的には、軍隊や通貨、外交員、所得税、官庁などの基礎的な制度的インフラ郡である。これが実現すれば、連合王国を構成するそれぞれのネーションは、今よりも遥かに自由に自らを治めることができる。

実際これは良い提案だと思うが、これで(例えば)イングランドのみが欧州連合を離脱し、スコットランドは残留するといったようなことが可能かどうかは正直微妙であると思う。そもそも欧州連合の側がそういったメンバーシップのあり方を認めるかどうかは不明瞭であるし、仮にそうなった場合、スコットランドとイングランドの間に国境管理所ができることになれば、相当異様な事態である。勿論イギリスの市民権を持っているものは移動することができたとしても、管理があること自体がある程度移動の自由を阻害する。通貨についても、その政策がどの程度欧州によって影響されるのかがわからない。

以下、FAQに対するまとめ。

Q. 三行で今までの経緯をまとめてくれ

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(通称イギリス)は、欧州連合を離脱するか否かを問う国民投票を6月23日に実施した。結果は 52% 離脱 (1741万票) – 48% 残留 (1614万票) となり、離脱が多数派。投票率は 72% だった。首都であるロンドン、スコットランド、北アイルランドでは残留が多数派であった一方、イングランドとウェールズのほとんどでは離脱派が多数であった。

Q. これで英国の欧州連合離脱が確定したのか

否。厳密に言えば、英国の欧州連合離脱がまだ確定したわけではない。英国は議会主権主義であり、この国民投票の結果に厳格な法的拘束力はない。だから、庶民院が正式に欧州連合離脱を決議するまでは、欧州連合離脱のプロセスを始める法的な必然性はないのである。だが、政治的には、国民はその意思を示したのであって、それを無視することは難しいだろう。

Q. どうして離脱派が勝ったのか?

一概に原因を特定することは難しいが、大きな原因は、普段労働党に投票している労働者階級の人々が離脱に票を投じたことであろう。労働党の議員たちは基本的に皆残留派であったが、例えば伝統的に労働党が強いはずのウェールズや、北イングランドなどでは圧倒的に離脱派が多数であった。

ある労働者は、「カネがあるやつは残留派、カネがないやつは離脱派」と言ったという。ステレオティピカルな言説だが、移民労働者によって職が奪われているという確信が多くの労働者階級の人々にはあるようだ─それが真実かどうかは別として。

また、40代以下は残留を支持する一方で、50代以上の人々は離脱支持派が大多数であり、また後者の人々のほうが投票率が高い、ということも一員であろう。階級間だけではなく、世代間でも対立があったということである。

Q. そもそもどうして国民投票を実施したのか?

保守党の内部的な政治の結果である。伝統的に英国においては欧州懐疑派と呼ばれる人々がそれなりに強く、そういった人々、及びまた欧州懐疑派による政党である英国独立党(UKIP)支持者などから信任を得るための手段としてキャメロンは国民投票を使ったといえるという認識だ。勿論彼は当初本当に離脱派が多数を占めるとは思っていなかっただろう。

ところで日本の参院選は与党の大勝に終わったようである。それぞれの政党のマニフェストを読んでいても、もはや我々には自ら立党する道しかないのではないか、とわたしは思うし、実際、ありうるマニフェストを作ってみても良いかもしれない。