生の無意味さについて


これはしばらく前に、ある友人の著したブログ記事に対する返信として、自分のメモ帳に走り書きしたまま忘れていた文章である。調べてみたら、友人の文章は既にネットから消えていたのだが、せっかくだからここに掲載することにする。ただの走り書きなので、何らかのまともな結論があるわけではないのだが。

友人が興味深い記事を書いている。返答というわけではないが、思ったことを幾つか覚え書き程度に記しておく。

彼の書いていることをざっくりまとめる。即ち 2000 年代に起きた複数の通り魔的無差別殺人事件は、現代社会が近代特有の病、即ち意味の喪失─ニーチェが神の死を叫んで以来特有のものであり、ヴェーバーが『職業としての学問 Wissenschaft als Beruf』で記述したような精神のあり方、脱呪術化 disenchantment (Entzauberung) ─に耐えられなくなった結果である。これらの事件はそれが悪のための悪であること、目的としての無差別殺人であることによって、カント的定言命法の逆像として我々の目にうつることとなる。それはあらゆる動機付け、あらゆる社会的文脈から「自由」であり、ゆえに社会秩序を破壊するものとして現れる。これこそがこれらの事件を「トラウマ的」と呼ぶべき理由であり、現代の日本社会もまた、これらの事件をひとつの異常ではなくデュルケーム的な意味での normalité として持ちうる ((このデュルケームの有名な論点については Les règles de la méthode sociologique を参照。邦訳は『社会学的方法の規準』宮島喬訳。社会の実体視、ある社会の様態にとって特定の犯罪の形態が正常であるという考え、などなど、この分析が採用している視点はデュルケーム的であると言っていい。)) 限りにおいて、「トラウマ化する社会」として理解することが可能なのである。

科学は(当たり前のことだけれど)人生に意味を与えることなどできない。近代科学の絶え間なき前進によってあらゆる分野が専門化し、学問に身を置くことがそのまま十全な真理への到達を意味しなくなったとき、それを行う「意味」は既に失われているのである。鉄の殻の中で生きる人々にとって、意味を与えてくれるものは何もない。我々は人生に対して自ら意味を注入しなければならないのである。それが偽りの意味であると知りながらも…

さて、生の意味を自ら補填しなければならなくなった際、人はいかにしてそれに答えることができるか。論理的には、幾つかのオルタナティブがあり得るだろう。ひとつには、世界のすべての事物を自分との関係性において意味づける、という道がある。この場合、自我はあたかもすべてを黄金に変える手を持ったミダス王のように振る舞うことができるだろう。世界のすべては自己と関係する限りにおいて有意味であるのだから。これは独我論と似ているが、存在論にまでそれを拡張しない、という点で少し異なるといえる。たとえばニューエイジの宗教はしばしばこのような特徴を持つ。偶然の否定─悩みと共に本のページをめくれば、それに対する回答が必ず載っているという考え。自己の聖性の強調─「すべて人は神である」。一元論的汎神論─「すべてのものはひとつである」。エトセトラ。彼らは「ポジティブ・シンキング」によってすべての世界の有り様を肯定し、意味づける。

ところでこのような世界観はたとえばインターネットなどの情報技術と非常に親和性が高い。2006 年、TIME の PERSON OF THE YEAR に選ばれたのが「YOU」だったことは記憶に新しい。表紙に書かれていた英文を思いだそう:Yes, You. You Control the Information Age. Welcome to your world. ここはあなたの世界なのだ。この想像力の及ぶ限りあなたこそが主役であって、あなたは絶対的に万能であり、未来を変えていく希望の星なのである。スピリチュアル、環境、グローバリゼーションなどの言説の節々にこのような傾向性は見て取れる。神が死んだのならば、自ら神となればよいのである。

しかしながらこのような論理には限界がある。たとえばそれは真にトラウマ的な経験に答えることができない。不確かな物言いになるが、自分が意味づけできる以上のものを目の前にしたとき、この論理は破綻する。所謂〈現実〉というものに近づいてしまったとき、それは自らの運動を止めざるを得ない。この現実は、しばしば「死」によって代表される。物語に組み込まれた象徴的な死ではなく、ただひたすらに無意味な、突然やってくる肉体の死。剥き出しの死。何の物語性もなく、序曲も間奏もクライマックスもなく、ただ突然に降りかかる出来事としての死。このような出来事に直面し、それを「有意味なもの」として受け入れることができなかったとき、この論理は崩壊する。そこに空いた穴から、あらゆる世界の無意味さが流れ込んでくるのだ。神なき時代に人間は神にならんと欲するが、そのような試みは必ずや失敗するのだ。トルストイは近代的状況における死の無意味化を指摘したが、我々は純粋に無意味な死から逃れきることなどできはしないのだから。

1 Comment

  1. 突然やってくる死、その他にも、世の中には不条理なことが多いものですが、でも、ささいなことだと思う必要があるのではないでしょうか?
    突然死、あるいは通り魔に殺されてなくなる、など理不尽なことも天国に行けば、微笑ましく思い起こす思い出の一つになるだけかもしれません。。。

    と、遺族の方が聞いたら怒るだろうことを書いてしまいましたが、例えば、小さな1歳ぐらいの子供がアリをみつけて遊んで踏み殺してしまう、そんな場面で、アリにとってそれは災難なことなのでしょうか?あ~あ、やられちゃったで済む、そして天国に行く、それだけのことかもしれないし、残された仲間のアリも、悲しむ(?)か慌てるかわかりませんが、とにかく気をつけようで、またせっせとエサ運びに精を出すことでしょう。

    神はいないとホーキング博士は結論付けていますが、本当の科学者ならば、証明できていないことを軽々しく断言しないでしょうね。。。ホーキング博士も、それを最期までには悟るようにALSで闘病し続ける運命を背負わされているのかもしれません。。。

    何事も断定はできないし、何事も融通をもって対応する必要があると思います。。。

コメントを残す

Your email address will not be published.

To create code blocks or other preformatted text, indent by four spaces:

    This will be displayed in a monospaced font. The first four 
    spaces will be stripped off, but all other whitespace
    will be preserved.
    
    Markdown is turned off in code blocks:
     [This is not a link](http://example.com)

To create not a block, but an inline code span, use backticks:

Here is some inline `code`.

For more help see http://daringfireball.net/projects/markdown/syntax

*

© 2018 The Long Wait

Theme by Anders NorénUp ↑