今度、「ディプロマシー」なるボードゲームをやる。これは「人間関係クラッシャー」として一部では有名なゲームで、ルールは簡単、要はコマとマップを使った陣取りゲームなのだが、コマは基本的にすべて同じ力で、基本的にはみな同程度の軍事力しか持っていないので、誰かに勝つためには他の誰かの協力を得る必要がある。しかし一方で、協力したふりをして裏切る方が自分にとっては有利なので、或る時は同盟を結び、或る時は裏から背中を刺す、ということをしなければならない。シンプルだが実によく考えられたゲームである。

Diplomacy map

場所は20世紀初頭の欧州。プレイヤーはイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア、ロシア、オスマンの7帝国のうちどれか一つを選び、担当する。初期条件は国によって異なるが、殆どの国は陸軍2部隊と海軍1部隊を持つ(イギリスは海軍2/陸軍1、ロシアは陸軍2/海軍2で軍事力的には有利だが南北に別れてしまっている)。勝利条件は、戦略上重要となる補給都市34カ所のうち18カ所を制圧すること。一カ国がすべてを制圧するのは非常に難しく、最終的には二つの大国の間で引き分けとなることも多い。

ボードゲームのすばらしい点は、それが一度始まってしまえば、ゲーム外のことは何も関係が無くなることだ。既存の社会構造は無意味なものとなり、ゲームのルールのみがその場で重要となる。プレイヤーたちは、この社会に生きていながらも、そことは関係の無い存在となる。それは既存の社会秩序を混乱させる一つの儀式として考えることすらできるだろう。そして、そのような儀式から生まれる人間関係を、人類学者はコミュニタスと呼ぶ。

コミュニタスにおいて重要なのはメンバー間の平等性である。通常の社会においてどのような人間であったとしても、一度コミュニタスの中に入ってしまえば単なる一個の人間として生きなければならない。そこではあらゆる人間が平等であり、外部の社会秩序や身分関係を持ち込もうとする人間に対しては制裁が下される。けれどもそのような場で生成される人間関係こそが真に重要なのではないか、とわたしは考える。

ボードゲームや TRPG といった対人アナログゲームを遊ぶ際に最低限のマナーとして重要なのは、ゲーム中で起こったことをその外に持ち出さない、ということである。ディプロマシーは先ほど言ったとおり「人間関係クラッシャー」の異名をとるゲームであるが、それはゲームのルールに従っているにすぎない中で発生した裏切りを、その外で起こったことと同じように受け取ってしまうからである。あなたがどのような人間で、どれだけ社会的に尊敬されていても、ゲームのテーブルに着いた瞬間、隣の中学生と同じ、ただのプレイヤーである。あなたはあらゆる社会的文脈から外され、剥き出しの個人としてゲームを戦う。その中で様々なことが発生するだろうが、ゲームが終了するとき、あなたはまた負荷のある社会人─借りによって生成される仮面を被ったバアバサアレ─へと戻るのである。だからゲームの中で起こったことを外に持ち出さないことだ。唯一持ち出せるのは、「あのとき、あそこで共に遊んだ」という信頼関係のみである。けれども人間にとって、それ以上に重要なことがあるだろうか。