欧州議会選が行われ、フランスの国民戦線 (Front National) やイギリスの連合王国独立党 (UK Independence Party) — いつから連合王国は独立でなくなったのだ? — が躍進したという。

まあ、そうだろうな、と思う。フランスで国民戦線が支持を伸ばしていることは今年前半に行われた地方選挙で明らかであった。イギリスにおいても、移民の受け入れ — 特に問題とされているのはヨーロッパからの移民だ — と多文化主義政策のバックラッシュとして、独立党は労働者を含む層から急速に支持を伸ばしている。スウェーデンだって、オランダだって、欧州連合に加盟してはいないがスイスだって、どこもナショナリスティックな気分が高まっていることは世界的に同じだ。もちろん、日本でも。

「ヨーロッパ市民」という幻想は、結局、今のところは、より強いリアリティを持って迫ってくる「ネーション」という想像の共同体を挿げ替えることができていない。どっちにしろ幻想であることは変わらないのだが、ネーション=ステートという制度的枠組みによって絶えず再生産を行うことができる点が大きく違う。ヨーロッパ、という地政学的想像は、未だ共同体としての同一性を持ちうる程の強靭さを持ち合わせていないのである。

それを何とかするのが憲法パトリオティズムであったはずだが、そもそも「前-理論的」に植え付けられる共同体の想像を、ガチガチの理性的な枠組みによって支えようということに袋小路がある。もちろんリベラル・ナショナリズムは現状をただ追認し変革を生み出す力を全く持たない、規範的には出来損ないの理論だが、かと言って憲法パトリオティズムが現状を変革する力を持つかといえば、否、という気がしている。

共同体を現実的に想像させるために必要なのは理論ではなく政治的行為なのである。それを構成的と呼んでもよいし神話的と呼んでもよいが、その指示内容は変わらない。問題は、それをいかにして、誰が行うか、ということである。