アウン・サン・スー・チー氏は独裁者になったのか?


2015-11-12 09:40 UTC: しばしば見られる誤解にたいして答えを追記した。

ミャンマーでの総選挙が終了するに伴い、スー・チー氏「私が全て決定」 新大統領に「権限なし」 – 47NEWS(よんななニュース) と言う記事が注目を集めている。以下のような報道である。

【ヤンゴン共同】ミャンマーの次期政権を主導する見通しとなった野党、国民民主連盟(NLD)の党首アウン・サン・スー・チー氏(70)は10日、外国メディアとのインタビューで、次期大統領は何の権限もないと明言。自身の大統領就任を禁じた憲法規定に合わせるために任命されるにすぎないとして「私が全てを決定する」と強調した。
国家元首の大統領ではなく、自身への権力集中にこだわる姿勢は、「権威主義」や「違憲」との批判を招く恐れもある。
選挙管理委員会は11日、下院選に立候補していたスー・チー氏の当選を発表した。

これを受けて、「アウン・サン・スー・チーも独裁者になったのか」という声が聞こえるが、そう判断するのは少し早計であろう。なぜなら、それなりに公正に運用された民主的選挙で選ばれた政党の党首であるアウン・サン・スー・チーが大統領になれないことが、そもそもおかしいからだ。

アウン・サン・スー・チー氏が率いる National League for Democracy (国民民主連盟) はほぼ全議席を獲得したが、以下に引用するミャンマー憲法第59条6項によって、アウン・サン・スー・チー氏を大統領として選出することが憲法上できなくなっている。

第59条 大統領及び副大統領の要件を以下のとおりとする。

(1) 国家と国民に対して忠誠心を有する者でなければならない。
(2) 本人及びその両親がミャンマーの主権が及ぶ領土内で出生した土着民族であるミャンマー国民でなければならない。
(3) 選出されるべき人物は最低45歳以上でなければならない。
(4) 国家事項である政治、行政、経済、軍事等に関する見識を有する人物でなければならない。
(5) 大統領は、選出された時までに最低20年間継続して我が国に居住していた人物でなければならない。
(例外) 国家の許可の下で正式に外国に居住した期間は、我が国に居住したものとして計算する。
(6) 本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国政府から恩恵を受けている者、もしくは外国政府の影響下にある者、もしくは外国国民であってはならず、 また、外国国民、外国政府の影響下にある者と同等の権利や恩恵を享受することを 認められた者であってはならない
(7) 国会選挙における被選挙権として定められた要件に加え、大統領として別途規定する 要件を満たしていなければならない。

これは2008年の憲法改正によって付け加えられた条項であり、事実上アウン・サン・スー・チー氏を大統領に選出することを防ぐために導入されたものである。アウン・サン・スー・チー氏の英国人夫は既に1999年に死去しているが、子供がイギリス国籍を保有しているためにこの条項に抵触する。大統領の選出は国軍出身議員も含まれる大統領選出委員会によってなされるため、そこも一つの障害になりうるが、まずはこの条項をなんとかしなければアウン・サン・スー・チー大統領の実現は不可能である。

つまり、憲法を改正しなければならないのだが、これが非常に難しい。なぜか。今年の6月の失敗事例を見ると、より明らかになる。

ミャンマー国会が憲法改正案を否決 「スー・チー大統領」極めて困難に

【ヤンゴン=吉村英輝】ミャンマー国会は25日、与党が提出した憲法改正案の大部分を反対多数で否決した…軍系の与党、連邦団結発展党(USDP)の改憲案は、スー・チー氏のように外国籍の子供がいる人物の大統領就任を禁じる条項が引き続き含まれていた。一方で、憲法改正に必要な賛成議員の数を現行の「定数の75%超」から「70%以上」に引き下げる項目が盛り込まれた。このため定数の4分の1が割り当てられている軍人議員から、NLDが政権を握った場合、改憲を阻止できなくなるとして反対が表明されていた。

これがポイントである。憲法改正を行うためには、議会の75%の賛成を得る必要がある。しかし、議会両院において、定数のうち25%が自動的に憲法上軍人議員にあてがわれる制度になっているのである。

第436条
(1) 憲法の第1章の第1条から第48条まで、第2章の第49条から第56条まで、第3章の第59条及び第60条、第4章の第74条、第109条、第141条及び第161 条、第5章の第200条、第201条、第248条及び第276条、第6章の第293 条、第294条、第305条、第314条及び第320条、第11章の第410条から 第432条まで、第12章の第436条にある規定を改正する場合、連邦議会議員総数の75%を上回る賛成を得た後、国民投票において有権者の過半数の票を得なければならない
(2) 本条(1)項に定める条文以外の条文の憲法改正については、連邦議会議員総数の75%を上回る賛成を得なければならない。

人民院の構成 第109条
人民院の定数は最大440名とし、次のとおり構成する。
(1) 郡及び人口に基づき選出された議員最大330名
(2) 国軍司令官が法律に従い指名した軍人議員最大110名

民族院の構成 第141条
民族院の定数は最大224名とし、次のとおり構成する。
(1) 各自治地区、自治地域それぞれから選出された各 1 名の議員を含む、各管区域・州よりそれぞれ12名ずつ選出された議員168名。
(2) 国軍司令官が法律に従い、関連する連邦直轄区域を含む各管区域・州よりそれぞれ4名ずつ指名した軍人議員56名。
(3) 本条(1)項及び(2)項に規定するとおりに民族院を構成するに当たっては、関連する連邦直轄区域は、この憲法が定めた連邦直轄区域であれ、連邦議会が法律を制定して 新たに定める連邦直轄区域であれ、当該連邦直轄区域が属する州もしくは管区、又は、管区 域もしくは州の中に含まれているものとし、民族院議員を選出する。

国軍はこの憲法改正を行う際、アウン・サン・スー・チー氏が権力を握り改正を行うことが最大限難しくなるように制度を設計したとみられる。(全くクソみたいな話だが)このような状況において、制度の枠組みの中で政権運営を行うためには、大統領は別に立てたうえで、実際の決定はアウン・サン・スー・チー氏が行っていくということが必要になってくるのである─国民はアウン・サン・スー・チー氏に国政を任せることを民主的な選挙において表明したのだから。それは独裁とは異なるようにわたしには思われる。

追記: ファーガル・キーン氏 (K) によるアウン・サン・スー・チー氏 (A) BBCインタビューからの抜粋。

K: 国軍が制定した憲法下では、あなたは大統領になることができませんが、先日あなたは、大統領の上に立つということを言いました。それはどういう意味でしょうか。

A: わたしがすべての決定を行う、ということです。第69条f項を満たす大統領を立てることが必要だとおっしゃるなら、わたしはそうしましょう。けれどもだからといって、わたしが、政権党の党首として、すべての決定を行うことをやめるわけではありません。

K: それは将軍たちを少しナーバスにさせるのではありませんか。

A: わたしは透明性 transparency と説明責任 accountability がよい政府の根本であるということを信じています。そしてそのようなよい政府を持つことを、ミャンマーの人々は数十年に渡り禁じられてきました。

K: では、あなたは、実質的に大統領となる、ということですね─称号を覗いては。

追記: しばしば見られる誤解にたいして答えを提供する。 (2015-11-12 09:40 UTC)

Q: これは院政ではないのか。

A: 異なる。院政とは、既に制度上引退した政治的指導者が現在の制度上の政治的指導者に対して優越し引き続き実権を保持することだといえるが、アウン・サン・スー・チー氏はそもそも一度も制度上政治的指導者になっておらず、また形式的にも実質的にも引退していない

Q: これは憲法を無視しているのではないのか。

A: 異なる。憲法を無視するのであれば、上記の第59条6項を無視して大統領になればよい。そうしないのは、憲法を無視しているわけではないからだ。しいて言うならば、これは第58条の規定「大統領は、ミャンマー連邦全土に居住するミャンマー国民全員の頂点に位置する」に反しているということはできよう。しかし、この「頂点に位置する」という規定が具体的に何を意味するのかを問うことは難しい。

Q: どちらにせよこれは独裁ではないのか。

A: 独裁の定義によるが、アウン・サン・スー・チー氏に与えられた権限は憲法によって大統領に与えられたそれを上回るものではない。彼女はあくまで、民主的選挙によって選ばれた政権党党首として政治に対して影響力を行使すると言っているのであって、それが独裁だと言うのであれば、アメリカ大統領でさえ独裁者となるであろう。

1 Comment

  1. 大変分かりやすい記事で参考になりました。

    東南アジアの投資先として非常に注目されているミャンマーですが、軍政期の影響で利権や汚職がまだまだ多いので、まだまだ困難な道をゆっくり登っていかねばならないようですね。

    中東のように、統治が効かなくなるような状況を想定しない「民主化」賛美も困るし、また軍に都合が悪いからと再クーデターを起こされても困る。どちらの急進主義にもならず、ミャンマー全体のために協力して進んで欲しいものです。日本にとってミャンマーは投資先としても、外交、戦略上も重要性は高いですし、win-winで今後も着実な支援ができるのではないでしょうか。

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