2015年が終わる。来年は2016年になる。父が死んでからちょうど10年が経つ。

父は2006年の2月13日にタンクローリーに圧し潰されて死んだ。一人でスキーに行く最中だった。最後の言葉も、死の受容のためのプロセスもない、あっけない死だった。彼は53歳で、わたしは18歳だった。

それからというもの、ずっとメソメソして生きてきたと思う。

父の死から逃げるようにして何かに没入し、あるいは自らその代理として振る舞い、あるいはただ嘆き悲しんで喪に服した。

わたしは随分と父を愛していたのだ。

けれどもそろそろ─いいかげんに?─喪を明かす頃かもしれない、と思う。

父は死んだ。彼はもうあのスキー場から帰ってこない。わたしは生きていかなくてはならない。しばらく留守にしていたけれど、わたしは、わたしへと帰ってこなくてはならないのだ。

そのためにわたしは、自己に関する問いを立てねばならない─わたしはどういう人間なのか?何を望み、何を必要するのか?

いや、答えは既に明確であるかもしれない。わたしはより多くを理解することを望む。一つでも多くのことを、少しでも詳細に。理解可能性を開き、横糸を繋いでいく作業を。

そしてできることなら、少しでもいいから、善を為したいと思う。