わたしは学生でもおっさんでもブロガーでももちろんメディアクリエイターでもない存在であってこのブログもはてなのインフラ上には存在しないから特にこの件についてコメントする立場に本来であればないのだが、少し前まで学生であって、かつネット上で定期的に文章を書いている人間として、少し思うところがあったので書く。コンテクストは以下のリンクをたどるべし。

学生であるということは尊い。それはすなわち社会的負荷を負うことのない純粋な個人として活動や思索を行うことができるということであり、社会的関係性の網の目の中にとらわれることなく、理性の公共的な使用を積極的に行うことが認められているということである。

社会人であるということはすなわち、総体的な貸し借りの関係性の中に入っていくということである。社会人になるということはそのまま誰かに借りを作るということであって、まずはそれによって発生する利子を返しながら、余裕ができたら人に貸しを作るということでもある。一度借りを作った相手に対しては、厳密に言えば、完全にその借りをなかったことにするということはできない。それが人間社会における関係性というものである。社会的自己とは自己が形成した関係性の総体である。そこでは理性の私的な使用しか認められないだろう。

だから学生の間に何かを書くということ、あるいは自己の思考を言語化する修練を積むということ、あるいは理性の使用を訓練するということは重要なことである。ネット上で何かを書くということに対しては様々なインセンティブがあり得る─金銭的なもののために書くひとがいれば、自己を救うために書くひともいるだろう。始める際の目的はどのようなものであっても良いと思う。それを行っている人間をブロガーと呼ぼうがメディアクリエイターと呼ぼうが構わない。ただ、自己の思考に対して、自分が書いた言葉に対して責任をもつこと、それを批判的に捉える視点を常に意識することができていればよい。

そしてより重要な事は、インプットを行う時間をきちんと取る、ということだ。自ら良質なアウトプットを行うためには、良質なインプットを行う必要がある。自己の思想のフレームワークを拡張するためには、よく理解できないものでも飲み込もうとしてみなくてはならない。きちんと咀嚼しないで飲み込むと腹痛を起こすかもしれないし、あるいは今まで自分が考えていたことが誤謬だったことに気づき混乱するかもしれないが、そういった過程を経て初めて、思索というものは強度を持ちうるのだ。

だから学生は本を読め。文学でも哲学でもいい。読書はいいぞ。

タイトルは釣りだ。すまない。このエントリはだいたい30分位で書いた。