祖母が死んだ。突然のことだった。母から「祖母が入院した」という連絡があった実に二日後、祖母はあっさりと息を引き取った。わたしはちょうど休暇中でインターネットにあまりアクセスしておらず、訃報にはすぐ気が付かなかった。母からのメッセージに気づいたのはちょうど12時間ほど経ったところだっただろうか。ホテルから一旦帰宅して、そこから日本へ飛ぶチケットを探していると、どうしても予定されている葬儀の日取りから一日遅れてしまうので、無理をして式を一日ずらしてもらった。母は「遠いのだし、別に来なくとも良い」と言っていたが、わたしからすれば、祖母の葬儀に出席しないという選択肢などなかった。

わたしは祖母について多くを知っているわけではない。結局のところわたしは彼女とはずっと離れて暮らしていたし、手紙を交わしていたわけでもない。夏や冬、母の実家に帰ったときに、暫くの間顔を合わせる人、その程度の関係だった。だからわたしは彼女についてあまり多くのことを語ることはできない。けれどもひとつ言えることがあるとすれば、彼女は意志の人だった、ということだろう。自分で決めたことは決めたこととして貫き通すような人だった。だから彼女がどういう風にして死んでいったのかを詳しく母から聞いたとき、全くの祖母らしさに少し微笑んでしまった。

彼女は自ら食べることを断って死んでいったのだという。何かの拍子に足を折ってしまった(90歳を越せば足など本当にすぐ折れてしまうものなのだ)彼女は、入院してすぐに、自分がもう歩けないであろうことを悟った。歩けなくなってしまえば、もう自分で自分の世話をすることはできない。そうなれば家にいることは難しく、施設に入るしかない。けれども元来彼女は施設に入ることだけは絶対に拒むことを決めていたのである。だから彼女は食事を摂取することを拒絶し、点滴のチューブの引きちぎって、自ら衰弱を選び、死んでいったのだという。

思えば人にはそれぞれの死にざまというものがあるのだろう。父は居眠り運転のタンクローリーに突っ込まれる、という全く予期しない死に方で死んでいったが、それもまた父という人をよく表しているのではないか。

わたしはどのようにして死んでいくのだろうか。自分らしい死にざまとはどのようなものなのだろうか。わたしにはまだわからない。ただ願わくはわたしが逝ったとき、「ああ、全くあれは長山らしい死に方だった」と人が言わんことを。