長山英三略歴


東京都北区神谷在住、長山茂・綾子の三男である長山英三は、2018年12月18日に永眠した。以下は、2013年に自らまとめた「長山英三略歴」に多少加筆したもの。記録のため残す。

・1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で、長山茂・綾子は大森で被災。3人の子を連れて、茂の郷里、現常陸太田市内田に帰る。
・1924年、知人の紹介で秋田木材株式会社(能代町)に入社、茂は翌年、子会社日本プライウッド株式会社(東京府板橋町)営業部長として着任。翌年末一家は東京府北豊島郡滝野川町御代の台(現在、北区滝野川5丁目)に居住。
・1925年1月21日、茂・綾子の3男として英三誕生。
・1931年、英三・東京市立滝野川台に尋常小学校に入学。1937年に卒業。
・1933年、茂は退社して独立。大陸向けベニヤ板貿易商「長和商行」を設立。しかし、戦時統制強化により事業は失敗、1937年仕事を得て満州へ渡る。
・1937年、英三は東京府立商工学校商業科入学。乙種実業校。
・1939年8月、母綾子は7人の子を連れて、満州国奉天在住の茂のもとへ移住。英三は荒川区日暮里のおじ長山武の家の寄宿。9月、東京府立商工学校に新設の甲種の採鉱冶金科に入学。
・1940年4月、茂死亡。母綾子は満州綿花株式会社の家族・独身寮の寮母となり、子供7人と暮らす。1946年引き上げ・帰国。
・1942年4月、英三は満州国立奉天工業大学(全寮制)冶金科入学。
・1944年9月、海軍予備学生(整備)合格入隊。
・1945年6月、海軍少尉となり、大和海軍航空隊(奈良)にて終戦。9月上京。
・1945年12月、東芝電気足立工場に電気炉溶鉱工として就職。
・1949年12月、退職して翌年から失業対策事業で働く。
・1950年1月、大谷マサ子と結婚、北区赤羽西1丁目に居住。
・1952年5月、メーデー事件語鳶職人となる。
・1953年3月、長男・徹誕生。
・1955年3月、事業独立して「鳶職・平和建設」自衛。
・1971年9月、北区神谷1丁目に転居し、事業継続。
・1980年9月、妻マサ子病没(50歳)。翌年、記念誌「いつまでも」刊行。
・1985年から、中国語習得の名目で、上海・北京・大連の各大学に留学。春、夏、冬の休暇を利用し、100近くの中国・台湾の地方に旅す。
・1991年帰国。92年始、のちに帰化した紀子と再婚、現在に至る。
・1995年、父・母・兄・妻らの「故人記」をまとめる。
・2006年2月13日、長男・徹が交通事故で死亡。
・2018年12月18日10時10分、北区の神谷病院にて長山英三永眠。

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