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概念というものは、どんなに簡単でもどんなに複雑でも、すべて、幾何学的にカットされたダイアモンドが、爪のついた金の台にはめられているように、それ自身の皮肉の中に、のどかに笑っている歯列の中にはめられている。

概念は真顔で、「これはAであり、あれはBである」という。しかし、この真顔は、笑いをこらえた真顔である。大笑いを呑みこんで、もし口をよく結んでいなければ、吹き出してしまいそうな、不安定な真顔である。これはAではない。断じてそうでない、もうひとつはこんりんざいBではないことを、概念は良く知っているのだ。概念が厳密に考えているのは、それが口に出しているのと少し違うことであって、この二心の中に皮肉がある。 – ホセ・オルテガ・イ・ガセー

オスロ・テロリズム: 犯人は反多文化主義のノルウェー人極右

先週の金曜日に発生して欧州を騒がせたオスロのテロは、最終的に、反多文化主義のノルウェー人極右が単独犯で起こしたものであると言うことのようだ。事件の様相に関しては、以前まとめた二つの記事を参照してほしい。

事件発生当初、情報がまだ出回っていなかった頃は「イスラームの国際テロ組織アルカイダの犯行ではないか」という反応が大勢を占めていた。しかし、「拘束された男が白人である」という情報が入ってからは徐々に趨勢が変化し、最終的にはノルウェー人による単独の犯行であると言うことが一日たつとほぼ確定した。以下、いくつか興味深かった事実を覚え書き程度に記しておく。

「テロリスト」か、「銃撃犯」か?

日本の報道機関は多く「テロ」と名指して報道している(例:asahi.com:移民・イスラムに敵意 ノルウェー、テロ容疑者大量声明 – 国際)が、英語で手に入る情報は多くが「ノルウェー銃撃事件 Norway shooting」や「ノルウェー攻撃 Norway attacks」という名称を利用している(例:BBC News – Norway Attacks)。当初は英語のものも「テロ」として報道されていたことを考えると、これは非常に興味深い現象である。少し穿った見方をすれば、「ムスリムが行えば彼はテロリストだが、白人が行えば彼は銃撃犯と呼ばれる」ということである。

ウトヤ島

犯行がウトヤ島で行われたということはかなり象徴的な意味を持っているようである。Savage Minds の記事によれば、ウトヤ島は労働党の青年支部 (AUF) によって所有され、現在の首相であるイェンス・ストルテンベルグ氏も青年時代サマーキャンプをここで行ったことがあるという。数百人もの政治的意識を持った若者が政党の主催するサマーキャンプに参加すると言うことは、イギリスではもちろん、日本では考えにくいことである。

北欧におけるナショナリズム

あまり日本では知られていないことかもしれないが、北欧諸国は非常にナショナリズムの強い場所である。人類学で言うバナル・ナショナリズム─日常において幾度も現れ、そのたびに再強化されていく類のナショナリズム─が強烈に存在する。国旗の掲揚や北欧内部での対抗意識もそうであるし、何よりも「小さな国ノルウェー」という意識がとても強い。今回の事件を受けた言説にも、そのようなバナル・ナショナリズムがよく見て取れる。それは、同じナショナリズムとは言っても、東日本大震災以降の日本におけるそれとは多少性質を異にするものである。

多文化主義への反発と欧州的文脈

アンネシュ・ブレイビクの犯行は、彼が記した長い長いマニフェストで示されているように、多文化主義への反発が根本にある。すなわち、これは親イスラームではなく反イスラームによる犯行なのである─当初多くの分析官が考えたこととは真逆である。ブレイビク容疑者は多文化共生の考え方を憎悪し、そのような政策を自らのマニフェストの中では「文化的マルクス主義」という言葉で批判している。その一方で礼賛されているのが日本である。Japan Probe の記事によれば、彼の組織「テンプル騎士団 Knights Templar」が理想とする社会は「日本および韓国、あるいは台湾モデル」で、社会の同質性に基礎を置くものであるという。

欧州における右翼勢力の増大は幾分か前から問題になってきてはいたが、この事件はそれが一つの臨界点に達したものと見ることもできるであろう。最近になってイギリスのキャメロン首相やドイツのアンゲラ・メルケルなども以前からの多文化主義的な政策を批判し、英国においては移民への規制がますます強まっている(ところでこの路線で修士課程を修了した学生に対する Post Study Work Visa が撤廃される。私はギリギリ申請できるが、2011年入学の学生は申請が不可能になってしまう)。次回のフランス大統領選では国民戦線のマリーヌ・ル=ペン(娘)が有力候補という。この事件は、このような文脈の中に位置づけて紐解かれなければならない。

すなわちこれは、単なる「頭の狂ったローン・ウルフ」による犯行なのではない。これはデュルケム的な意味で「正常」な犯罪であって、社会全体の傾向を示すものとして分析されなければならない。今後、益々欧州情勢の注視が必要であろう。

生の無意味さについて

これはしばらく前に、ある友人の著したブログ記事に対する返信として、自分のメモ帳に走り書きしたまま忘れていた文章である。調べてみたら、友人の文章は既にネットから消えていたのだが、せっかくだからここに掲載することにする。ただの走り書きなので、何らかのまともな結論があるわけではないのだが。

友人が興味深い記事を書いている。返答というわけではないが、思ったことを幾つか覚え書き程度に記しておく。

彼の書いていることをざっくりまとめる。即ち 2000 年代に起きた複数の通り魔的無差別殺人事件は、現代社会が近代特有の病、即ち意味の喪失─ニーチェが神の死を叫んで以来特有のものであり、ヴェーバーが『職業としての学問 Wissenschaft als Beruf』で記述したような精神のあり方、脱呪術化 disenchantment (Entzauberung) ─に耐えられなくなった結果である。これらの事件はそれが悪のための悪であること、目的としての無差別殺人であることによって、カント的定言命法の逆像として我々の目にうつることとなる。それはあらゆる動機付け、あらゆる社会的文脈から「自由」であり、ゆえに社会秩序を破壊するものとして現れる。これこそがこれらの事件を「トラウマ的」と呼ぶべき理由であり、現代の日本社会もまた、これらの事件をひとつの異常ではなくデュルケーム的な意味での normalité として持ちうる ((このデュルケームの有名な論点については Les règles de la méthode sociologique を参照。邦訳は『社会学的方法の規準』宮島喬訳。社会の実体視、ある社会の様態にとって特定の犯罪の形態が正常であるという考え、などなど、この分析が採用している視点はデュルケーム的であると言っていい。)) 限りにおいて、「トラウマ化する社会」として理解することが可能なのである。

科学は(当たり前のことだけれど)人生に意味を与えることなどできない。近代科学の絶え間なき前進によってあらゆる分野が専門化し、学問に身を置くことがそのまま十全な真理への到達を意味しなくなったとき、それを行う「意味」は既に失われているのである。鉄の殻の中で生きる人々にとって、意味を与えてくれるものは何もない。我々は人生に対して自ら意味を注入しなければならないのである。それが偽りの意味であると知りながらも…

さて、生の意味を自ら補填しなければならなくなった際、人はいかにしてそれに答えることができるか。論理的には、幾つかのオルタナティブがあり得るだろう。ひとつには、世界のすべての事物を自分との関係性において意味づける、という道がある。この場合、自我はあたかもすべてを黄金に変える手を持ったミダス王のように振る舞うことができるだろう。世界のすべては自己と関係する限りにおいて有意味であるのだから。これは独我論と似ているが、存在論にまでそれを拡張しない、という点で少し異なるといえる。たとえばニューエイジの宗教はしばしばこのような特徴を持つ。偶然の否定─悩みと共に本のページをめくれば、それに対する回答が必ず載っているという考え。自己の聖性の強調─「すべて人は神である」。一元論的汎神論─「すべてのものはひとつである」。エトセトラ。彼らは「ポジティブ・シンキング」によってすべての世界の有り様を肯定し、意味づける。

ところでこのような世界観はたとえばインターネットなどの情報技術と非常に親和性が高い。2006 年、TIME の PERSON OF THE YEAR に選ばれたのが「YOU」だったことは記憶に新しい。表紙に書かれていた英文を思いだそう:Yes, You. You Control the Information Age. Welcome to your world. ここはあなたの世界なのだ。この想像力の及ぶ限りあなたこそが主役であって、あなたは絶対的に万能であり、未来を変えていく希望の星なのである。スピリチュアル、環境、グローバリゼーションなどの言説の節々にこのような傾向性は見て取れる。神が死んだのならば、自ら神となればよいのである。

しかしながらこのような論理には限界がある。たとえばそれは真にトラウマ的な経験に答えることができない。不確かな物言いになるが、自分が意味づけできる以上のものを目の前にしたとき、この論理は破綻する。所謂〈現実〉というものに近づいてしまったとき、それは自らの運動を止めざるを得ない。この現実は、しばしば「死」によって代表される。物語に組み込まれた象徴的な死ではなく、ただひたすらに無意味な、突然やってくる肉体の死。剥き出しの死。何の物語性もなく、序曲も間奏もクライマックスもなく、ただ突然に降りかかる出来事としての死。このような出来事に直面し、それを「有意味なもの」として受け入れることができなかったとき、この論理は崩壊する。そこに空いた穴から、あらゆる世界の無意味さが流れ込んでくるのだ。神なき時代に人間は神にならんと欲するが、そのような試みは必ずや失敗するのだ。トルストイは近代的状況における死の無意味化を指摘したが、我々は純粋に無意味な死から逃れきることなどできはしないのだから。

〈トゥラー〉と〈ケマリ〉、あるいはカスタネダの鎮魂

マレーシアのマ・ベティセック族には〈トゥラー〉と〈ケマリ〉というふたつの概念がある。これらはそれぞれ、人間と人間以外の諸生物との関係を表す、対立する概念の連合を表している。彼らには生き物を見る目がふたつあるのだ。〈トゥラー〉においては、かれらは暴力的で下級な存在であり、かつて人間だったがカニバリズムを行ってしまい長老たちに呪いをかけられてしまった存在として現れる。〈トゥラー〉は呪い、支配の意味である。これらふたつの概念がひとつのことばによって統合されているのは、そこでは正統的な支配というものは成功した過去の呪いによって作り出されるという観念が強くあるからだ。そこでは諸生物は一義的には〈食物〉として存在している。人間とは異なる彼らは、自らの犯した罪によって呪われ、食べられる運命にある。

食物の観念は重要である。〈トゥラー〉において動物の食べるものと人間の食べるものは厳格に区別される。人は火を通したものを食べる。獣は生のものを食べる、という風に。豊穣を祝う〈ジョ・オウ〉の祭りにおいて、霊に捧げられる米は生のままであり、霊たちが踊る場はひとの踊る場とは厳密に区別されている。

このような見方は〈ケマリ〉においては180度転倒させられる。植物も動物も根本的な霊性において人間性を共有しており、人間よりも上位の存在として、マ・ベティセックの祖先たちとして立ち現れる。そこでは彼らを食べることは禁止されている─〈ケマリ〉は「タブー」の意味である。人々が病に倒れ、災いが続くとき、それは様々な霊性のしわざとされて、シャーマンはそれをなだめるためにたとえば虎の霊を自らに憑依させ祈りを捧げるのである。その際に捧げられる供物は半ば火が通されており、人間と動物の共有された霊性が強調されている。

このような全く対立する自然観を、どのようにしてマ・ベティセックの人々は保持しているのだろうか、と人類学者は問うかも知れない。一方で獣を見下しておきながら、他方では霊として助けを請うなどということは、なんとも一貫性のない、都合の良いことではないか。これらの観念群は厳密に区別され、一方が支配的であるときは他方は消え去るのだから、彼らはふたつの象徴体系を保持しているということでよろしいか。

けれどもこの様な問いは全く無意味に終わる。我々はここで現されている体系化への欲求が優れて文化依存的であることを何時の間にか忘れているのだ。「象徴体系」、とクリフォード・ギアツがいうとき、それはあたかも様々なシンボルによって構成されるシステムが、研究されるべきものとしてまずは存在するかのような響きを我々に与えるが、しばしばこの様な体系は、異なった考えをどうにか西洋近代の語法に翻訳するために人類学者自らが構築したものにすぎないのである。

真木悠介はいう。

カラスが予言するというような諸民族のいいつたえにおいて、問題は個々の動物や植物の行動を「予兆」としてよみとる知識の蓄積といったものではない。その様な個々の「予兆」への技術化された知識自体は、我々の「世界」の中にも、たとえば仮説的情報として切り取ってくることができる。けれどもこのような「知恵」じたいをたえず生成する母体そのものは、たとえばこの世界の全てのものごとの調和的・非調和的な連動性への敏感さや、自己自身をその連動する全自然の一辺として感受する平衡感覚の如きものであり、「予兆」への技術化された個々の知識とは、このような基礎感覚の小さな露頭にすぎないのだろう。(「気流の鳴る音」ちくま学芸文庫、56頁)

人類学者はマリノフスキがかつて夢見たように「原住民の目から世界をみる」ことを望む。けれども人類学者がこのような「基礎感覚」をひとたび体得した途端、かれが愛してやまない人類学という学問分野においてでさえもかれは異端者として抹殺されるのである。「カスタネダ効果」とはすなわち、そういうものではなかったか。

ならば人類学は呪われた学である。みずから望んだ地点へと到達した瞬間、それはがらがらとくずれさって自己崩壊を起こしてしまうのだから。否、ひとたび身を焼き再生をはかる伝説の不死鳥のように、自己崩壊こそがかれの目的であったのだろうか。

カスタネダの行方を知るものは、未だ居ない。

無責任の体系と「神輿・役人・無法者」

福島第一原発をめぐる混乱はますます拡大し、もはやこれは敗戦であるという論調が目立ってくる。時代は反原発、そもそも原発をこんなに大量に設置するにいたった責任を誰が負うのかという問題意識から政府や東電に対する批判は強まる一方だ。確かに事態は敗戦後の様相を呈し、丸山眞男の「無責任の体系」が頭をかすめるばかりである。ちょうどよい機会だから、この理論とは一体何だったのかということをおさらいしておこう。

丸山眞男。1914年生まれ、1996年没。戦後最大の政治学者と言って差し支えないだろう。1946年、「超国家主義の論理と心理」を新刊雑誌「世界」に発表。一躍名を広める。専攻は日本思想史だが、日本ファシズムを論じた著作群もまた有名である。

さて、「無責任の体系」ということばは実のところ「論理と心理」には登場しない。そこで論じられているのはあくまで超国家主義における体系、すなわち中心に存する天皇からの距離において決定される臣民の歴史性と、天皇自身が一体化している「無限の古に遡る伝統の権威」から染み出す無限の価値、これであり、時空間理解を含む世界像こそが問題となっているのである。ここでは無責任の体系論の萌芽は見えれども明確な定式化は未だ無い。

「無責任の体系」という概念がヨリ意識的に定式化されるのは「軍国支配者の精神形態」においてである。この論文は、東京裁判における東條ら指導者層の供述から、「日本の戦争機構に内在したエトスを抽出しよう」とするものであり、ナチスとの比較において日本ファシズムの「矮小性」を指摘する構図となっている。

そこに登場する政治的人間像は三種類。第一は「神輿」。第二は「役人」。第三は「無法者」である。全引用する。

神輿は「権威」を、役人は「権力」を、浪人は「暴力」をそれぞれ代表する。国家秩序における地位と合法的権力から言えば「神輿」は最上に位し、「無法者」は最下位に位置する。しかしこの体系の行動の端緒は最下位の「無法者」から発して漸次上昇する。「神輿」はしばしば単なるロボットであり、「無為にして化する」。「神輿」を直接「擁」して実権をふるうのは文武の役人であり、彼らは「神輿」から下降する正統性を権力の基礎として無力な人民を支配するが、他方無法者に対してはどこかしっぽを捕まえられていて引き回される。しかし無法者ものべつに本気で「権力への意志」を持っているのではない。彼らはただ下にいて無責任に暴れて世間を驚かせ快哉を叫べば満足するのである。だから彼の政治的熱情は容易く待合的享楽のなかに溶け込んでしまう。むろんこの三つの類型は固定的なものでないし、具体的には一人の人間の中にこのうちの二つ乃至三つが混在している場合が多い。だから嘗ての無法者も「出世」すればヨリ小役人的にしたがってヨリ「穏健」になり、さらに出世すれば神輿的存在として逆に担がれるようになる。しかもある人間は上に対しては無法者として振る舞うが下に対しては「役人」として臨み、他の人間は下からは「神輿」として担がれているが上に対してはまた忠実小心な役人として使えるという風に、いわばアリストテレスの質量と形相のような相関関係を示して全体のヒエラルヒーを構成している。ただここで大事なことは、神輿─役人─無法者という形式的価値序列そのものは極めて強固であり、したがって、無法者は自らをヨリ「役人」的に、ないしは「神輿」的に変容することなくしては決して上位に昇進出来ないということであって、そこに無法者が無法者として国家権力を掌握したハーケンクロイツの王国との顕著な対象が存するのである。

これは昔々ある国に起こったお伽噺ではない。

ナチ指導者とは対照的に、日本の軍国指導者はみな口を揃えたように自らの無責任を主張した。彼らは無法者が先導して生成した「既成事実」へ「役人」として屈服し、「私の意見はどうあれども、いやしくも決定されたことに逆らうことはできぬ」として既定路線を突き進んだ上で、その官僚精神をもって「権限への逃避」を行い、「行われたことはすべて私の権限の管轄外である」としたのである。その矮小性は確かに明らかである。「土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する」。

はてさて、我々は65年前の話をしていたはずであったが。

マイケル・サンデル、12の質問に答える

以下は、12 Questions with Michael Sandel | The Art of Theory, A Political Philosophical Quarterly の全訳である。個人的な覚書として訳されたもので、その正確性を保証するものではない。より自然な日本語にするために、表現を変更した箇所もある。もし何らかの誤訳や、改善すべき表現があれば、是非コメントを頂ければ幸いである。

マイケル・サンデルは、ハーバード大学教授。政治哲学。ロールズなど、自由主義政治哲学の批判で知られる。日本では、NHK により放送された「ハーバード白熱教室」によって著名になった。文中で示唆されている東アジアとは、主に日本を指していると思われる。

08 April 2011 01:38 (BST) 追記:よく数えたら質問は13あった。が、タイトルはこのままにしておく。パーマリンクを変更するのも手間であるし、もとより間違つているのは訳しもとなのだ。

1. 何故政治理論を学び始めたのですか?

最初は政治全般に対する関心から始まりました。わたしはこどもの頃からずっと政治ジャンキーでしたから。しかし、政治哲学そのものに対する関心は、大学院に入学して以降です。そこでわたしは初めてカントを読み、難解さを感じると同時に知的興味を引き立てられました。1975年のことです。それより四年前にジョン・ロールズの『正義論』が出版されており、それも大学院在学中に初めて読みました。

オックスフォード大学院での初めての冬休み─各学期のあいだに6週間の休みがありました─に、わたしは幾人かの友人たちと南スペインへ行き、そこで何冊もの本を読みました。カントの『純粋理性批判』、ロールズの『正義論』、ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』、アレントの『人間の条件』などです。オックスフォードよりも幾分か明るく暖かかったスペインの方が、わたしにとっては読書のしやすい環境でした。

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『想像の共同体』についてのいくつかの誤解

ベネディクト・アンダーソンの著した『想像の共同体』という本がある。80年代に勃興したナショナリズム論の白眉であり、ナショナリズムを研究するものにとってはひとつの到達点であると同時に開始点でもある。しかし本書は、あらゆる古典と同じように、あまりにも有名になってしまった余り、陰翳に富んでいたはずの議論が単純化され、誤解され、しばしば誤って理解されたまま批判の対象となってしまうことがある。マーク・トゥウェインの言うように、「古典とは、誰もがすでに読んだ事があると思いたがっているが、誰も読もうとしないものである」というわけだ。

しばしばアンダーソンに対して行われる通俗的な批判は、「あらゆる共同体は想像の産物ではないか」と指摘することで、その分析的意味を減じようとするものだ。このような批判が的を射ていないことは、本書の序章を読むだけでも朖かである。この批判はアンダーソンがアーネスト・ゲルナーに向けて行った当のものなのだ。アンダーソンは言う:「直接顔を合わせて連絡を行う原始的村落より大きいあらゆる共同体(或いはそれでさえも)は想像されたものである。共同体は虚偽/真実という軸によってではなく、その想像のされ方によって弁別されなければならない ((Anderson (1983) p.6, 拙訳)) 」。原書の署名が Imagined Communities と複数形になっているのは何故か、ということだ。ネーションが他の「想像の共同体」、先行する文化的システムである宗教共同体及び王朝と異なるのは、それが明確に限定された領域に対して十全な主権性を持つものとして考えられるということである。

第二によく見られる誤解は、アンダーソンはナショナリズムの「創造性」を批判することでそのプロジェクトを否定しようとしている、というものである。これは誤りだ。近年行われたインタビュー ((Benedict Anderson: “I like nationalism’s utopian elements”。題が多くを語っている。バウマンに対する批判や、パスポートという制度の1900年代における発明についても触れられている。)) からも明らかなように、彼の試みは決してナショナリズムそのものを否定しようとするものではない。確かに彼自身はナショナリストではないし、「何がネーションという想像をあれほどまでに強力にしたのか」を問い、その秘密を暴こうとする。それが「近代の産物」である、「想像されたもの」だと指摘することは実践的には過激なナショナリズムに対する反論になっていることは間違いない。しかし一方で彼がナショナリズム以外のプロジェクトに積極的に同意するかと言えばそうではないし、寧ろそれがより良い方向に向かうことを願っている。この立場は近年のリベラル・ナショナリズムの立場に近いといえるのではないか ((デイビッド・ミラー『ナショナリティについて』風行社、2007年)) 。

最後に、彼の企図は「ナショナリズムの本質」を明らかにしようとするものではない。それはあくまで、文化的構築物としてのナショナリズムがどのような経緯から生成され、そして何故あれほどまでに多くの熱狂的支持を得たのかを詳らかにすることにある。そもそも「本質 essence」についての語りはナショナリストこそが得意とするものである。彼の仕事が「人類学的」であるのは、ゲルナーがしたようにナショナリズムを分かりよい一文に要約するのではなく、陰翳に富んだ物語を描き出そうと試みたからではないかと私は考えている ((もちろん、アーネスト・ゲルナーがケンブリッジ大学ウィリアム・ワイズ社会人類学教授であったことは覚えておくべきだろうが…)) 。

アンダーソンを他の論者から際立たせているものは、第一に彼が国民意識の先駆をラテンアメリカのクレオールに見いだしていること、第二にナショナリズムというイデオロギーに或程度肯定的であること、そして「モジュール化」という概念を導入することでいかにしてネーションという「構築物」が世界に広まっていったのかを説明しようと試みていることではないかと思う。同時に、彼の議論の問題性も、ここにこそ含まれている。

「革命」に思う

アラブ世界での騒乱が益々歴史の表舞台へと姿を現し、左翼知識人たちは我が意を得たりと言わんばかりにこの「革命」を賞賛する。スラヴォイ・ジジェクはこれを評して「我々は普遍主義の実践を目撃している…彼らは我々よりもよりよく民主主義を理解している…圧制者と闘うとき我々は団結するのだ ((Egypt: Tariq Ramadan & Slavoj Zizek)) 」と吠える。ハートとネグリはこれを〈帝国〉に抗するマルチチュードによる運動であると考え、彼らが「マルチチュードの新しい表現と必要に適したデモクラシーを要求している ((Arabs are democracy’s new pioneers)) 」とする。

けれども(いつものように)わたしはこのような言説に危うさを覚える。レアルポリティークを無視しているという批判は当然あれども、わたしの懸念はそこになく、倫理的な相にある。ハート=ネグリの新しいマルクス主義が自らを自由と民主主義のレトリックで飾り立て、たんなる世界理解の枠組みであることをやめて特定の運動と結びつくとき、それは一体何になるのだろう ((もちろん、最初からネグリの理論はたんなる世界理解の枠組みなどではない、と言われれば、それは確かにその通りだ。)) 。いまエジプトに住んでいる人々にとっては、デモに加わることは倫理的であると言えるかも知れない。しかし、エジプトに住んでいるわけでもないのに、外野の立場から、混迷と運動と革命を一様に賞賛し、これこそが21世紀におけるあたらしい民主主義の形であると宣言することは、果たして倫理的な立場と呼べるのであろうか。わたしはムバラクやカダフィの側に立ちたいとは到底思わない。しかしジジェクやハート、ネグリと共に革命をただ賞賛することもしたくない。そして、「これらすべてはレアルポリティークの結果に過ぎない」と、リアリズムという静かな諦念を表明することにも躊躇いを覚える。それでは我々は、どのようにこの「革命」に向き合うべきなのか。

カントは革命権を認めなかった。例えば「理論と実践」においては法を定める者に対するあらゆる暴力を、「コモンウェルスの根本を脅かす」ものとして批判している。彼の国家の理論においては、法の秩序を脅かすあらゆる暴力は非倫理的なものとして排除されなければならなかったのである。1797年に表された「人倫の形而上学」では、最高権力はその民に対して何ら義務を負わず、「ただ権利のみを負う」とさえされている。カントの考えでは、自然状態から市民状態への移行は定言命法的な義務であるから、市民状態を覆して自然状態への一時的な撤退を生み出す革命権は認めることはできない。共和主義の原則から考えれば、人民が主権者であると言っても、主権者が保持するのは立法権のみであって、行政や司法に口を出すことはできない。刑を科すことも罰を与えることも立法府に属する権能ではないから、主権者である人民は支配者を罰することはできない。「人間は主人を必要とする動物である」と、カントは静かに言う。

しかし一方でカントはフランス革命の熱心な信奉者でもあった。彼は人類の静かだが着実な進歩を信じていた。人間は理性に生きるに有らず、さよう。一個の人間には理性を十全に行使するための十分な時間など与えられていない。けれども人類は、種としての人類は、半ば永遠とも思えるような時間をかけて、徐々によき社会へと向かう。人間は本質的に矛盾に満ちた存在である─「曲がった材木」然り、「非社交的社交性」然り─が、自然はまさにその矛盾を利用して人類を進歩へと導くのである。権威は服従されなければならないが、同時にそれは堕落しており、置換されなければならない。人間は確かに主人を必要とする動物であるかも知れないが、しかし、彼の主人もまた人間である。

ふたつの革命観は、カントの中で、そのスケールの差異によって分別され、その理性と共和主義への信念によって接続されている。このような立場から、彼は、フランス革命を一方では賞賛しつつも、他方ではその間違い─例えばルイ16世の処刑─を「忌み嫌う abhor」ことができる。それは確かにあいまいな立場かも知れないが、しかし、最も妥当な態度であるようにもわたしには思われる。そして彼の態度は、今日アラブ革命を目撃する我々にとってもひとつの開始点として有効なのではないだろうか。

日本について

If nationalisms in the rest of the world have to choose their imagined community from certain "modular" forms already made available to them by Europe and the Americas, what do they have left to imagine? ... Even our imaginations must remain forever colonized. - Partha Chatterjee

日本人であるわたしは、日本について語ることに格別の困難を覚える。今わたしに開かれている日本に関する物語のすべては、あまりにも不十分で、どれも一面的であるように思われる。日本はある物語ではアジアの人々に対するおそるべき侵略者であり、ある物語ではアジアの人々の解放のため白人と闘う英雄であり、またある物語では世界第二位(今はもう第三位だが)の経済強者であり、別の物語では失われた20年を経験した経済弱者であり…これらの物語のすべてはばらばらに留まり、日本という全体について語ることを許さない。幾多の日本論が生み出されては消えていく中、我々はあたかも重大な分裂病を患っているかのようだ。

「日本という観念も近代に入ってつくられた伝統なのだ」とポストモダニストは言う。「国民という物語を語ることはもうやめよう」と。けれども日本という物語を語ることをやめて、我々に何が残ったというのだろう。若者たちよ、国家のことなど考えないでよい、ただ自らの自己実現と経済的安定のことを考えなさい、東大を首席で卒業したきみは、官僚になどならずに外資系投資ファンドで年収数千万を実現したまえ…。ナショナルな、もしくは Statist な公共性を脱構築するこころみはコスモポリタンな公共性を構築するのではなく単に公共性そのものを潰してしまったのではないか。ポストモダニズムは結局のところネオリベラリズムの婢女であったのではないか。すべてが私有化され自由化され、そして、何が残ったのか。

日本について語らなければならないという切迫感をわたしは一定程度ナショナリストたちと共有している。けれどもわたしは一方でそのような言説に与する気には到底ならない。日本をフェティシズム的に賛美し、国旗を掲揚し国歌をうたい、民主党政府を「反日」と罵って「シナ・朝鮮」に対するゼノフォビアを表明する、そのような振る舞いへと同一化することはあまりにも容易い。わたしには(いつの間にか)そのような振る舞いをするようになった高校時代の同級生が数多くいる。彼らの再生産する言説を目にするたび、わたしはいつも哀しい気持ちになる。このような物語は圧倒的な無知と想像力の欠如を要求する。このような物語の圏内に留まる限り、我々は、日本社会─「日本」「社会」というこのタームはそれ自体非常に問題性を帯びたものである─が、どのような歴史的経路を辿ってこの21世紀に至っているのか、を理解することができない。

一方で、わたしの(数少ない)友人の中で最も良心的で、最も哲学的にも知的にも優れている人々は、日本について語ろうとしない。それは彼らが、「日本について語る」と言うことがいかに困難なことであるかを予め知っているからであろう。それがまた、良心的な動きであることをわたしは認める。

それでもわたしは日本についての物語を語りたいと思う。ナショナルなものをどこかで構築しなければならないと感ずる─公なるものを国家そのものから区別しながらも、参照点としての日本について語る必要性を感じる。けれどもそれはいかにして可能か?いかにして日本なる観念をそのような手垢のついた物語から掬い取り、埃を払って、語るに値するものとして扱うことが出来るだろうか?

パルタ・チャタジーは、「ラテンアメリカで発明されたネーションという想像がモジュールとなって様々な地域へ伝搬し近代世界を形作る」というベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論に対して、「反植民地主義的ナショナリズムの現実と合致しない」という反論を加える。「アジア及びアフリカにおける最も強力で、最もクリエイティブなナショナリズム的想像は、近代西洋によって喧伝された国民社会の「モジュール的」形態との同一性ではなく、まさにそれとの差異によって描き出される (Chatterjee 1993: 5)」とチャタジーは書く。彼の見る所、アンダーソン的なモジュール・ナショナリズムが「移植」されるはるか以前から─「植民地社会が帝国的権力との政治的戦いを開始する以前から」、反植民地主義的ナショナリズムはその胎動を始めるのである。いかにしてか?「社会的制度と実践を、物質的なものと精神的なものの二つの領域に分けることによって」、である。ベンガルにおける、「近代的であると同時にインド的であるような」文芸、芸術の誕生を指摘しながら、チャタジーは、西洋との差異を通じてベンガルにおける近代が構築されたことを指摘する。

このような論を通じてチャタジーはインドのナショナリズムについて語るための物語を自立させることにある程度成功するが、さて、このような戦略は日本においても可能だろうか?「和魂洋才」という言葉がある─日本における19世紀の状況は、まさにチャタジーの指摘する内外二元論と合致するではないか?

けれどもこの戦略は、このままでは日本に適用することは出来ない。理由は簡単である。この物語は、大日本帝国の植民地主義と出会ったとき、それを根本において肯定することになるからだ。西洋との対峙という点を共有しながらも、コロニアルな物語において日本と印度は全く対照的な位置にある。インドのプロジェクトが1947年に繋がっていくのに対して、日本のプロジェクトは1895年、1910年、1931年、1945年に繋がっていくのだ。すなわち、インドのナショナリズムがあくまで「反植民地主義的」で有り得たのに対して、日本のそれは西洋の植民地主義への対抗であると「同時に」「帝国主義的」であったのである。

ここに冒頭で述べた分裂病の症例が垣間見える。日本にとって近代とは反植民地主義の時代であると同時に帝国主義の時代であった。前者から見た日本と、後者から見た日本では、全く見える風景が異なっている。この意味でアンダーソンの議論もチャタジーの議論も一面の真理しか有さない。我々はこの二重の解釈可能性についてよく考えなければならない。日本は「近代の超克」を目指すと同時に、アジアにおける「近代の旗手」でもあったのである。それは西洋文明との同一化を目指す一方でそれとは異なる道を象徴的に示してもいた。大貫恵美子は神風特攻隊として死んでいった青年たちが異常なまでの読書家であったこと─西洋近代の書物を貪るように読んでいたこと─を指摘しているが、この事実は、日本における近代がいかにアンビバレントなものであったかを象徴的に示しているようにわたしには思われる。

わたしが(多分のためらいをもって)考えているのは、日本における「ナショナリズム」と「帝国主義」を、二つの異なった解釈可能性の糸として見立てることである。小日本主義と大日本主義、天皇機関説と国体論、「日本国」を確立する方向性と「日本帝国」を確立する方向性、これらの二つの歴史の解釈可能性は、戦前の日本の思想空間において、絡まりながらも対立していたのではないか。アンダーソンは北一輝を日本の公定ナショナリズムの思想家として紹介しているが、北一輝の生涯の顛末を知るものならばこの「公定」という用語に首をかしげざるを得ない─確かに北一輝は公定ナショナリストであったが、しかし、日本の帝国主義的膨張は彼の思想に見られるものと本質的に同じプロジェクトであっただろうか?モジュール化したナショナリズムの諸制度があるかたちの想像力と共に日本列島に輸入されたとき─ネーションとはまず何よりもある種の想像力、ある種の歴史的理解可能性である─それ以前から存在した宇宙論的な秩序観はどのような変形を被ったのか?最終的に「国体の本義」へと至る日本帝国主義は、ネーション建設の思想を一部飲み込みながらもそれとは対立し、最終的に自壊へと至ったのではないか?1945年以降の日本ナショナリズムがこの連なりにあるとすれば、我々はそのプロジェクトについて何を言うことができ、何をそこから引き出せるのか?

幾分か疑問符を使いすぎた。この段階では何も建設的なことは言えるまい─いつか建設的なことが言えるのか、という疑問は差し置いて。この文章こそが、「日本」という観念をめぐる混乱を扱うものであるのだから、多少の錯綜は許されたい。わたしが考えていることは、おそらく既に(よりソフィスティケートされたかたちで)誰かが既に考えていることだろうし、わたしが「日本」についてうまく語れると考える物語を編みだしたところで、それが普遍性を持つとも到底思わないが、ごくごく平凡な知性しか持たずにこの世に生まれてきてしまった人間の、個人的な葛藤の記録として、多少なりともこの文を残しておきたいと思う。言い訳がましくなってしまった。とりあえずこの辺りで。

アン・ローラ・ストーラーの BDS 支持表明

独自のフーコー解釈などで著名な人類学者/植民地研究者のアン・ローラ・ストーラーの BDS (Boycott, Divestment, and Sanctions) への支持表明があって、興味深かったのでさっくりと翻訳してみた。適当訳なのでよりフィットする訳があれば教えて下さい。

植民地研究─植民地の状況の比較、植民地史、植民地政権が依って立つ暴力的かつ巧妙なガバナンスの形態の研究─の教師及び学徒として三十年ほどを過ごしたものとして、イスラエル国家を植民地国家でないと説明することは難しいと言えるでしょう。イスラエルの過去や、現在行われているパレスチナの土地の違法な占有、日常生活の全ての側面の人種化、大規模かつ漸次的なパレスチナ系家庭の破壊、暮らしを壊し、社会及び家族の構造を壊すための努力などを、協調的かつ集中的な concerted and concentrated 植民地デザインによる大規模殺害 decimation であると認めないことは難しい。これらのよく練られた実践は、植民地主義を定義し、帝国主義の時代各所に見られたその当のものです。他の植民地政権と同じように、イスラエル国家は地理的な教会を策定して引き直し、パレスチナ人の市民権を宙づりにし、イスラエル人には私的な空間として認識され保護されている空間に対して恣意的に介入を行っています。

イスラエルは特異ですが独特ではありません particular but not unique。その占領の技術はイスラエル法の根拠のない利用に基づいています。これらはパレスチナ人を置換し追放し replace and displace、自らの領土を拡大することにコミットしている国家の施策です。この拡張は恒常的で、内密であると同時に堂々と、日々行われています。エルサレムの旧市街の部屋部屋で、植民共同体の家々で、そして「安全保障」の名の下に設置された壁が家や野原を切断し、街区を分断し、法的に認められたパレスチナ人地域へと浸蝕していく全ての場所で。これは歴史の強奪であると同時に、今日植民者たちによって真夜中のイスラエルにベッドを放り出される人々の未来の可能性の強奪でもあります。

もしハンナ・アレントが定義したようにデモクラシーが国家内の全人口に対して「権利を持つ権利」を付与することを意味するのならば、イスラエル国家は民主的であるとは言えません。デモクラシーは排除の原則や土地、帰属、市民権(イスラエルが1948年以来賞揚してきたもの)を奪われたディアスポラの創造の上につくられるものではありません。これらの理由から、私は、積極的または消極的にイスラエルの占領を容認し拡張し、国際法を犯し、軍事的管理を強制しパレスチナの自己決定権を否定するイスラエルの諸機関の BDS 国際ボイコットに対する支持を表明します。

アン・ローラ・ストーラー

2010年9月10日

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