独立党の支持者は他の国の料理を食べない

The Guardian に少し面白いデータが出ている。連合王国独立党の支持者に関する統計である。

  • 「他の国の食べ物をよく試す」と答えた人の割合が最低(51.2%)。
  • 「他の文化や国に興味がある」と答えた人の割合が最低(55.3%)。
  • 「ソーシャル・メディアを使わない」と答えた人の割合が最高(28.2%)。

どの項目についても、正反対の極にいるのは緑の党の支持者であるらしい。また、なかなか面白いことに、最初の二つの項目については、

独立党 — 労働党 — 保守党 — 自民党 — 緑の党

という並びになっている。ただし、労働党と保守党の差は殆どない。

欧州議会選について思うこと

欧州議会選が行われ、フランスの国民戦線 (Front National) やイギリスの連合王国独立党 (UK Independence Party) — いつから連合王国は独立でなくなったのだ? — が躍進したという。

まあ、そうだろうな、と思う。フランスで国民戦線が支持を伸ばしていることは今年前半に行われた地方選挙で明らかであった。イギリスにおいても、移民の受け入れ — 特に問題とされているのはヨーロッパからの移民だ — と多文化主義政策のバックラッシュとして、独立党は労働者を含む層から急速に支持を伸ばしている。スウェーデンだって、オランダだって、欧州連合に加盟してはいないがスイスだって、どこもナショナリスティックな気分が高まっていることは世界的に同じだ。もちろん、日本でも。

「ヨーロッパ市民」という幻想は、結局、今のところは、より強いリアリティを持って迫ってくる「ネーション」という想像の共同体を挿げ替えることができていない。どっちにしろ幻想であることは変わらないのだが、ネーション=ステートという制度的枠組みによって絶えず再生産を行うことができる点が大きく違う。ヨーロッパ、という地政学的想像は、未だ共同体としての同一性を持ちうる程の強靭さを持ち合わせていないのである。

それを何とかするのが憲法パトリオティズムであったはずだが、そもそも「前-理論的」に植え付けられる共同体の想像を、ガチガチの理性的な枠組みによって支えようということに袋小路がある。もちろんリベラル・ナショナリズムは現状をただ追認し変革を生み出す力を全く持たない、規範的には出来損ないの理論だが、かと言って憲法パトリオティズムが現状を変革する力を持つかといえば、否、という気がしている。

共同体を現実的に想像させるために必要なのは理論ではなく政治的行為なのである。それを構成的と呼んでもよいし神話的と呼んでもよいが、その指示内容は変わらない。問題は、それをいかにして、誰が行うか、ということである。

Mac は死んだ. Jobs が殺したのだ.

「Mac の良さ」が話題になっている。いったい何がよいのだ、Mac 版 Office は互換性の問題ゆえ役立たずだし、ゲームをすることなど考慮されてすらいない。コマンドキーがあるならコントロールキーはいらないし、秀丸が存在しない、と一方がいえば、もう片方 から、イラストや音楽といった創造的な業務には Mac が最適だし、POSIX 互換だから UNIX に向けて作られた豊富なソフト資産が使い放題、中古で売るときも値崩れを起こしにくい、という声が聞こえる。全く君たちは 20 年前から 1 ミリも進歩していない、相変わらずの宗教戦争だ、と観測者は言う。

だが、我々超正統派からすれば、Mac は既に死んでいるのである。現在大衆が Mac だと思って使っているものは、かつて我々が愛した Macintosh ではもはやないのだ。そもそも現在、その基幹ソフトの名前は OS X であって、「Mac」などという文字列はどこにも入っていない。Mac は既に、単なるハードウェアの名前にまで堕落してしまったのだ!

しかしそれが誕生した時には、Macintosh という名前は、ハードウェアとソフトウェアのハーモニーという理想を体現する概念であったはずなのだ。わたしは初めて Macintosh に触れた時の感動を今でも覚えている。一体型の完璧なフォルム、起動画面に並ぶ数々の可愛らしいアイコン、美しいタイプフェイス…。

現在 Mac と呼ばれている電脳の中身は NeXTSTEP であり、それ以外の何者でもない。Macintosh を病弱で夭折した長男だとすれば、NeXTSTEP は幼くして里子に出された優秀で健康な次男である。長男の死とともに実家に呼び戻され、家を継ぐために名前を変えたとしても、別人であることは変えられないのだ。

Mac は死んだ。Jobs が殺したのだ。Mac は早く来すぎた。まだその時ではなかった。この恐るべき出来事は目下進行中で、Dozer どもの耳には達していないのだ。ここに隠れていれば、ゲイツに見つかることなどないはずだ。いや、そんな!あの UI は何だ!窓に!窓に!

ウクライナ / クリミア危機: 中央アジア, サウス・ストリーム

現在のウクライナ情勢に関する覚書。中央アジア諸国にとって今回のロシアの動きが持つ意味、及び欧州連合にとって安全保障上ロシアへのエネルギーの依存がもたらす問題について。

ウクライナ情勢おさらい

ウクライナがどういう状況にあるかをざっとおさらいしておこう。

  • 2 月 18 日: ウクライナの首都キエフで大統領権限を制限する 2004 年憲法の復活を求める反政府派の市民と警察が衝突、以後数日にわたって騒乱拡大。
  • 2 月 21 日: 2004 年憲法の復活が全会一致で議決。ユリア・ティモシェンコ元首相釈放。
  • 2 月 23 日: ウクライナ議会、ヤヌコビッチ大統領の職務権限を停止。トゥルチノフが大統領代行に任命される。
  • 2 月 27 日: ロシア軍とみられる武装集団が、「クリミア自治共和国 ((しかし、「自治共和国」という名前は皮肉であると思う。本当に自治を行っているなら、名前に「自治」とは付けないだろう。)) 」として特別な地位を憲法上与えられているウクライナ南部のクリミア半島の政治的要地を占拠。
  • 3 月 01 日: ロシア議会、クリミアへのロシア軍の派遣を承認。
  • 3 月 06 日: クリミア最高評議会、ロシア連邦への参加を議決、住民投票開催を決定。
  • 3 月 16 日: クリミア自治共和国およびセヴァストポリ特別市で住民投票。圧倒的多数の賛成によりウクライナからの離脱およびロシア連邦への加盟が決定される。
  • 3 月 18 日: プーチン露大統領、クリミア及びセバストポリ特別市のロシア連邦加盟に関する条約に調印。

もちろん、厳密にいえば、この住民投票はウクライナ憲法に違反している。憲法では、「領土の変更問題は国民投票のみで議決できる」と規定しているからだ。日本国外務省もこの住民投票は無効であり、承認しないとの声明 を出しているし、G7 および欧州連合としても ロシアによるクリミア併合を批判する声明 を発表している。

プーチン大統領はコソボの例を出して、西側がこの住民投票を認めないのはダブルスタンダードであり、また、現在のウクライナの政権に正統性はないと主張しているが、国際連合の安全保障理事会においても、他国の支持を得ることはできなかった。

中央アジア諸国の受ける衝撃

さて、第一の記事だ。Russia-Ukraine Crisis Alarms Central Asian Strongmen – ISN Blog によれば、今回のウクライナ・クリミア危機は、中央アジア諸国にとって、ふたつの面で大きな衝撃である。ひとつは、自国の権威主義体制を、ユーロマイダンがヤヌコビッチを打倒したように、人民による運動によって転覆されてしまうのではないか、というおそれ。もうひとつは、ロシアがクリミアで行ったことを、自国のロシア人居住地域においても行われるのではないか、というおそれである。

この地域には、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスがある ((厳密には、東トルキスタン、すなわち中華人民共和国新疆省も含める場合があるが、ここでは省く)) が、キルギス以外の国々は権威主義な体制を保持している。カザフスタンでは ヌルスルタン・ナザルバエフ 大統領がソ連崩壊以後一貫して指導者の地位に付いているし、ウズベキスタンでは イスラム・カリモフ 大統領が、タジキスタンは エモマリ・ラフモン 大統領が似たようなことをしている。トルクメニスタンは今でこそ多少改善したようだが、サパルムラト・ニヤゾフ 大統領時代はひどいものだったらしいし、いまでも民主党による一党独裁が続いている。

つまり、これらの国々の政権は、常に革命におびえているのだ。ユーロマイダンの成功にあやかって政権打倒のためにデモをしだす連中が現れたらたまったもんじゃない。その上、カザフスタン北部やにはロシア人が大量に住んでいる。「住民投票の結果この地域はロシアに合流しますね」なんて言われたら踏んだり蹴ったりである。今のところ、これらの国のメディアは沈黙を保っているということだが、これからはどうなることやら。

キルギスは比較的民主化が進んでいる国だが、経済的にはロシアに大きく依存しているため、ルーブル下落の影響をもろにくらってしまっている。通貨ソムはクリミアが占領てから 15% も下がり、ドルとソムの交換を拒否する業者も現れているらしい。ロシア連邦がくしゃみをすれば、キルギスは風邪をひく、というわけである。

欧州連合、ロシア、サウス・ストリーム

第二の記事。After Ukuraine: Enhancing Europe’s Gas Security は、ロシア・ガスプロムに依存しきっているヨーロッパのエネルギー政策の問題点を指摘しながら、将来に向けた提言を行うものだ。

シンクタンクのペーパーというだけあって、わかりやすくまとまっているので、ポイントをざっと訳す。

筆者の見解では、そもそもロシアに対するエネルギー的な依存がなければ、そのクリミア「侵略」に対してより強い発言・行動を行うことができたはずである。また、現在建設中の「サウス・ストリーム」は、この関係を欧州にとってさらに不利なものにする ((サウス・ストリームに関しては、「サウス・ストリーム」とは何か – Kousyoublog も参照。)) 。これは安全保障上の大きな問題である。

これを逆手に取る唯一の方法は、それが欧州の厳しい独占禁止政策に容赦なく晒されるようにすることだ。他のエネルギー資源や供給源の存在を意識しつつ、サウス・ストリームに関するいかなる例外的処置に対しても断固として反対することが重要である。

背景

  • 2011 年までは、ガスプロムは、主に陸上のパイプラインを利用して 190 bcma (年間1900億立方米) の天然ガスを欧州連合に対して供給していた。その8割はウクライナを経由していた。
  • 2011 年にバルト海を通ってロシアからドイツへとガスを供給するノルド・ストリームが開通。2012 には 55 bcma に達した。コストは 160 億ユーロ。独・仏・蘭の共同運用。
  • 2015 年からは、黒海を通ってブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロベニア、そしてオーストリアへとガスを供給するサウス・ストリームが開通予定。コストは、予想では 550 億ユーロ。主にロシアによる国内投資。現在ウクライナを通っているガスの少なくとも 2/3 がサウス・ストリームを通る。伊・独・仏共同運用。欧州内を通る部分はガスプロムと当該国の共同開発。
  • ガスプロムは現在、サウス・ストリームの規制に関して欧州連合と諍いを起こしている。欧州連合の規定するルールからの例外を要求しているわけではないが、パイプラインの容量に関してガスプロムが長期的に決定権を握る「オープン・シーズン」式の導入を要請している。
  • ロシア中央銀行によれば、2012 年の欧州及びトルコへの輸出量は 113 bcm であった。Q3 までの数字をベースに、2013 年の輸出量は 136 bcm と予想される。これは欧州連合のガス消費の 30% に当たる数字。

主張

  • ロシアは、天然ガスの第一供給者というポジションを利用して、競争的な欧州のエネルギー市場を汚染しようとしている。
  • 欧州連合は、その市場の大きさをロシアに対する優位に変換しなければならない。
  • サウス・ストリームのような新しいパイプラインは、欧州連合の戦略的自立性を弱めるため、反対せねばならない。
  • 欧州連合は、「競争的な市場」というビジョンにこだわるべきだ。自らのルールを曲げてはならない。

様々なアクターの思惑が噛み合うこの問題だが、これからこの危機がどうなるかについて、わたしは正直なところ見通しを持たない。一部では「冷戦の再開」という声もあるようだが、ロシアには当時のソ連ほどの力は既に残されていないだろう。米露二極化というよりかは、冷戦崩壊以降継続してきた多極化傾向の更なる先鋭化、という見方が正しいように思われる。

もっと日本語は中国語から単語を輸入すべき

元来日本の知識人は西洋から横文字を輸入して漢字に直すということを明治維新以降せっせとやっていたが、ある時点から何故かカタカナのまま輸入して本意を明らかにせずに使うようになってしまった。一方中国では、カタカナという便利なものが無いためすべての概念は漢語に訳さざるをえない。日本から輸入した単語も多くあるが、最近になって出てきたものはほとんどが独自訳で、大陸中国と台湾・香港などで訳が違うものもずいぶんあるらしい。

そういった新しい単語に関して、現在日本ではカタカナを使っているが、漢字としても使えたほうが良い単語はたくさんあると思う。例えば…

全球的 (ぜんきゅうてき)

  • 意味: グローバル。
  • 文例: 「全球的視点に立って物事を考えることの必要性が叫ばれている」。
  • 応用: 「全球化」 – グローバリゼーション。「全球化全球化うるさいなぁ」。

網際網路 (もうさいもうろ)

  • 意味: インターネット。「網際」あるいは「網路」だけでも同じ意味を持つが、四文字熟語としても使える。
  • 文例: 「網際網路を駆使して調べた結果、ヤツの居所が判明した」。
  • 応用: 「網民」 – ネット民。「網民どもがまた釣りに群がってやがる」。

電脳 (でんのう)

  • 意味: コンピュータ。これは日本でも割と用例があるとは思うが、もっと主流になるべき。
  • 文例: 「新しい電脳を買ってきたら、うまく設定できない。」
  • 応用: 「電脳化」 – コンピュータライゼーション。「電脳化が進んでいる中、網路を利用した販路を開拓することが必須だと考えます」。

数拠 (すうきょ)

  • 意味: データ。
  • 文例: 「もっと多くの数拠を集めなければ、この仮説は証明できない。」
  • 応用: 「数拠分析官」 – データ・アナリスト。「当社では数拠分析官を募集しております」。

特に電脳や情報技術関連の用語はカタカナが多すぎるので、より漢字化を推し進めたい。普段はカタカナを利用していても、「ちょっとこの文章には漢語を使いたい」というときに代替となる単語があるとありがたいものだ。

「日本を取り戻す」

安倍自民党は前回の総選挙に際して「日本を取り戻す」なるスローガンを編み出し、「誰からどのようにして取り戻すというのか」という批判を買ったが、誰よりもこのスローガンを叫ぶべきは、右翼の側ではなく左翼の側であると感じる。

今日、「日本」を主題とする物語は右翼の側によって専有されすぎている。この点については以前も長い文章を書いた。ネーションを主体とする物語を解体し超越せんとする試みは最終的には失敗に終わったように思う。我々は今でも国民国家を生きており、ネーションに関わる物語を何らかの形で語らねばならない。問題は、その際に有効な言説が左翼の側に非常に乏しいということである。

これは「敗戦後論」に関わる加藤典洋と高橋哲哉の論争に、そして究極的には、戦死者たちをどう弔うかという問題へと関わっている。亡霊たちの供養が終わるまで、戦は終わらないのだ。

科学とは、科学教育とはなにか

ちきりん氏の科学教育論が炎上している。彼女は、下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記 の中で以下のように書いた。

数学や理科に関しては、全体の3割程度の生徒が学べばよい(ちきりんを含め、下から7割の人は学ぶ必要がない)と思ってます。

全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー…だ

これに対して、ちきりん氏のお粗末な科学教育論 – バッタもん日記 で以下のような反論があった。

子供の適性など誰にもわかりません。「どうせ理解できないから理科教育は必要最低限でいい」などと称して子供の可能性を狭めることはあってはならないことです。

「科学」や「科学的思考法」は様々な定義が考えられると思いますが、「なぜ」「どのように」を考えることが候補として挙げられると思います。…「インターネットで検索すればすぐわかるから学校で教える必要はない」とは、あまりに浅薄な言い草です。この理屈に従うと、学校で教えるべきことは何もありません。

この議論に関して、どのように考えるべきか。

科学と科学教育

まず、id:locust0138 氏が書いているように、以下のことが理解されるべきである。

  • 科学とは単に「既に発見された真理の集積」ではない
  • 科学教育とは単に「既に発見された真理の集積を教え、覚えさせること」ではない

では、それは一体何なのか。少し考えてみよう。

科学とはなにか

「ご冗談でしょう、ファインマンさん」で一般にも知られる物理学者リチャード・P・ファインマンは、あるインタビューの中で、社会科学は「疑似科学だ」と語っている。それは、社会科学が未だに何らかの「法則」を導き出すことに失敗しているからである。将来的には、彼らはそれを発見することができるのかもしれない─とファインマンはいう─が、少なくともインタビューが行われた時点においては、それは科学の「形式」を模倣してはいるが、未だに科学的な厳密性を獲得することができていない。

これは正しいと思う。わたしの浅薄な理解では、科学とは、「データによって裏打ちされた仮説の体系」である。 ((この定義では、しかし、数学は科学ではなくなるような気がする。内的な論理だけで足りるもんな。あとコンピュータ科学は科学なのか、とか。工学ってそもそも、とか… まあ、それは別によいのではないか。科学以外にも真理に到達する方法はある。))

科学の持つテーゼは単に仮説にすぎないから、真理ではない。それらは原理的にいつでも覆される可能性を持つ。昨日行われた実験が仮説の正しさを支持しているとしても、明日行われる実験で異なるデータが出るかもしれない。ひょっとしたらそこには新たに付け加えられるべき限定が存在するのかもしれないし、単に昨日までの実験データは全くの偶然から仮説に好意的なものだったのかもしれない。

だが、過去のデータがある仮説を支持していたとして、それを支持しないデータが出てきた際には、その新しいデータが間違っているという可能性を考えるべきである。だから、新しいデータが間違っていないということを確認してから仮説の再検証に入るべきだ。

そのようにして、時として砂を噛むようなプロセスを経て、科学者は「この仮説は正しいと思われる、なぜなら」という語りを始めることができる。それはもちろん、将来的には覆るかもしれない、暫定的な、真理のようなものにすぎないわけだが。

経済学や政治科学を筆頭とする社会科学は、まだそのレベルには達していない。それが人間の行動を取り扱うという性質からして、ある仮説を検証するためのデータを生成することがまず非常に困難であるし、仮に信頼性のあるデータを得られたとしても、それが支持する仮説が、「人間社会全般」を論ずるために十分に普遍化されたものであるとは言いがたい。もちろんそれを達成するために頑張っている人々がいるわけだが、詳細には論じない多くの問題によって、それは未完のプロジェクト ((No pun intended, by the way.)) になっている。また、いわゆる人文学はそもそも科学である必要がない。計量的な形でデータを取ってくることができない、あるいは意味がないからである。

科学教育とはなにか

科学が「実験データによって裏打ちされた仮説の体系」であるとすれば、科学教育とは、「現在データによって支持されている仮説を検証する能力と、その体系に基づいて新しい仮説を立てていく能力を身につける」ことを目標とするべきである。

このような言い換えを行ってみると─実のところ、これはどのような人間にとっても必要な能力なのではあるまいか?例えば自分の会社の商品を購入しているのがどのような人間集団であるのかについての仮説とその検証は、ずいぶんこの科学教育の成果が役立ちそうである。

学びとはなにか

もうひとつ、学びに関していえば、まだ学んでいないものの価値を学ぶ前から知ることはできない、という点も指摘しておきたい。

手っ取り早く同意を得ることができそうな Steve Jobs の例を出しておこう。

彼はスタンフォード大学の 2005 年度卒業式スピーチでこう語った。

リード大学では、当時、ひょっとするとアメリカで最高のカリグラフィに関する講座を提供していた。… わたしはそこで、セリフとサンセリフの字体について、複数の字が複合する際に空白の量が異なることについて、そして何がタイポグラフィを素晴らしいものにするかについて学んだ。 …

これらのことはわたしの人生において何ら実際上の意味を持たなかったし、持つこともないであろうと思われた。しかし十年後、わたしたちが最初の Macintosh コンピュータを作っていた時、ひらめいたのだ。わたしがリード大学のカリグラフィ講座で学んだことは、すべて Mac へと注がれた。それは、美しいタイポグラフィを持つ最初のコンピュータだった。わたしがあの大学のあの講座に顔を出していなければ、Mac は複数の書体を持つこともなければ、可変幅のフォントも入っていなかっただろう。

まあ、そういうことだ。 ((眠くなってきたのでとりあえずここで筆を置いて公開してしまう。))

ちなみに id:locust0138 氏は「日本が疑似科学天国だ」という点を嘆いているが、個人的に日本は他の社会に比べてはるかにマシであると思う。アメリカの 1/3 が進化論に否定的と言うのはガチなのだぞ。 ((まあ、進化論は科学か、みたいな論争もあるけど。))

千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行ってきた

2013年10月、真夏のような暑さの土曜日。千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れた。

表の石碑
表の石碑

この墓苑は国営であり、第二次大戦の海外戦没者およそ250万人の遺骨が納められている。

海外戦没者が眠っていることが記されている
海外戦没者が眠っていることが記されている

靖国神社からは歩いて数分の近さである。土曜日だったが、人はほぼいなかった。

中央献花台
中央献花台

もっと早く書くつもりだったのだが、この施設について、いかに、何を語って良いものか、いまいちわからない。気の利いたことを書こうと思いながら、記事の公開ボタンを押せずにいた。

とりあえず一旦、写真をアップするだけにしておく。第二次世界大戦の戦没者に対して、いかにして向き合うべきか、という問題には、またの機会に詳しく触れてみたいと思う。それこそが、日本の戦後社会の根幹にある問題であるように、わたしには思えるからだ。

ソチ五輪: ソトニコワはどこでキム・ヨナに差をつけたか

ロシアのソトニコワがフィギュアスケート女子シングル戦でソチオリンピックの金メダルをとってから、その採点が公平であったか否かという点が議論になっている。「キム・ヨナの加点は異常だ」という話は以前からあったが、今度は「ソトニコワの加点は異常だ」という話になっていて、興味深い。

ソトニコワのコンビネーションジャンプ
ソトニコワのコンビネーションジャンプ (New York Times)

わたしがフィギュアの採点がいかにしてされるかについてきちんと理解しているとは言えないが、議論百出の中、New York Times の記事が面白かったので紹介する。

女子シングル・フリーのレギュレーション

まずは女子シングルのレギュレーションを確認しておこう。

ジャンプ

  • 7回まで
  • アクセルジャンプは必ず1回以上。2回転アクセルは2回まで。
  • コンビネーションジャンプ・ジャンプシークエンス3回まで(3連続ジャンプは1回のみ)。
  • 3回転・4回転ジャンプのうち、2種類だけを2回繰り返すことができる。そのうち1回は、必ずコンビネーション、またはシークエンスに組み込まれたジャンプであること。

スピン

  • 3回まで
  • コンビネーションスピン1回:足換え1回以上。合計10回転以上。
  • フライングスピン、もしくはフライングから入るスピン1回:6回転以上。
  • 単一姿勢でのスピン1回:6回転以上。
  • 3つとも異なる種類(異なる略記号)のスピンであること。

ステップシークエンス

  • 1回まで
  • リンク全面を使用すること、ジャンプを入れることも可。

コレオグラフィックシークエンス

  • 1回まで
  • ステップシークエンス後に行うこと。
  • あらゆる種類の動作で構成される(ステップ、ターン、スパイラル、イーグル等々)。
  • 少なくともスパイラルを1回含むこと。長さは任意。

フィギュアスケートにおける採点について云々する前にはまずこれを頭に入れておこう。
さて、以下がソトニコワとキム・ヨナの得点の差分である。

ソトニコワ > キム・ヨナ

エレメント ソトニコワ キム・ヨナ 差分
二回転-三回転コンビネーション 9.94 6.50 +3.44
フットワーク 5.60 4.44 +1.16
レイバックスピン 3.77 3.04 +0.73
三回転コンビネーション 8.43 7.83 +0.51
チェンジフットコンビネーションスピン 4.71 4.21 +0.50
トリプルサルコウ 5.82 5.52 +0.30
トリプルフリップ 6.80 6.50 +0.30
ダブルアクセル 4.70 4.42 +0.28
フライングコンビネーションスピン 4.56 4.43 +0.13

キム・ヨナ > ソトニコワ

エレメント ソトニコワ キム・ヨナ 差分
追加トリプル 6.70 7.60 +0.90
トリプルルッツ-トリプルトゥ 11.10 11.70 +0.60
スケート技術、演技構成 74.41 74.50 +0.90

こうしてみると、ほぼすべての要素に関して、ソトニコワがキム・ヨナよりも多く得点したことがわかる。

二回転 – 三回転コンビネーション

特に大きな差分を見せたのは二回転 – 三回転コンビネーションジャンプであるようだ。

キム・ヨナのコンビネーションジャンプ (New York Times)
キム・ヨナのコンビネーションジャンプ (New York Times)

これに関しては、以下のことがポイントとしてあげられている。

  • 基礎点の差異。ソトニコワがダブルアクセル (2.3点)・トリプルトゥ (4.1点) = 6.4点を飛んだのに対し、キム・ヨナはトリプルサルコウ (4.2点)・ダブルトゥ (1.4点) = 5.6点を飛んだ。
  • 出来栄えの良さ。ソトニコワは速度や高さ、流れをうまくこなしたが、キム・ヨナはジャンプ後減速した。
  • ソトニコワは後半にこのコンビネーションを持ってくることで基礎点をさらに +10% 追加した。

フットワーク及びレイバックスピン

両者のスピンの比較 (New York Times)
両者のスピンの比較 (New York Times)

また、フットワーク及びレイバックスピンにもかなりの差分が出た。これに関しては、以下の点が指摘されている。

  • 基礎点の差異。ソトニコワは難易度4 (2.7点) だったのに対して、キム・ヨナは難易度3 (2.4点) のレイバックスピンを廻った。また、ステップシークエンスに関しても、ソトニコワは難易度4 (8.0点) のものをこなしたのに対して、キム・ヨナは難易度3 (6.5点) であった。
  • 出来栄えの良さ。レイバックスピンでは、ソトニコワが速度と密度を維持したままポジションを変えていったため、審判は高い評価を下した。

それぞれの要素に関して、審判の判断が妥当なものであったかはともかくとして、仮にレイバックスピン及びステップシークエンスにおいてキム・ヨナが多く得点したとしても、上記の二回転 – 三回転コンビネーションジャンプにおける大きな得点差を覆すのは難しそうである。

なにはともあれ、各選手お疲れ様でした。

さくらの VPS に Ubuntu 12.04 をインストール

もうちょっと Linux について知りたいと思ってさくらの VPS を契約したので、勉強のためいじっていこうと思う。初期では CentOS が入っているので、これを Ubuntu 12.04 に変更する。以下、覚書。

環境

  • MacBook Pro Retina 13″
  • OS X 10.9.1 Mavericks

手順

  1. Java Runtime Environment 6 を用意する。最新は 7 なので、すでに最新バージョンがインストールされている場合、Apple のヘルプ記事 に従ってダウングレードを行う。
  2. さくらの VPS コントロールパネルにログイン。この際、Safari を使うのが良いようだ。
  3. OS再インストール > カスタムOSインストール > Ubuntu 12.04 amd64 を選択。確認、実行をクリックする。
  4. Java 実行環境が起動するのを待つ。ダイアログが出る場合、確認とか、実行とか書かれている方をクリックする。
  5. あとは、さくらのヘルプ記事 を参考に進めていけば良い。

特に、Java Runtime Environment のバージョンが 6 でなければならない、というのが躓きやすい点だ。また、サブネット・マスクを 255.255.254.0 に設定することを忘れずにおこう。

ssh config

ufw で ファイアウォールを設定。ssh のアクセスを許可しておく。

$ sudo ufw enable
$ sudo ufw default DENY
$ sudo ufw allow ssh

ssh-keygen で鍵を生成し、アップロードして、authorized_keys にする。この辺は さくらVPSでのセキュリティ関係の設定(Ubuntu)- ウェブ、ショウジン とかを参照した。

最後に、パスワード認証によるログインを不可にしておこう。これで大体は安心である。

vim

デフォルトではいろいろ入っていないので、 sudo apt-get install [package] で入れていく必要がある。

$ sudo apt-get update
$ sudo apt-get upgrade
$ sudo apt-get install vim

わたしの .vimrc は晒すほどのものでもないが、ググると色々出てくる。とりあえず、Vundle は入れておこう。

$ git clone https://github.com/gmarik/vundle.git ~/.vim/bundle/vundle

golang

何も考えずに

$ sudo apt-get install golang

したが、これで入る go のバージョンは少し古い 1.0 であった。最新のものを入れるために gvm (Go Version Manager) を導入するとよい。

$ bash < <(curl -s https://raw.github.com/moovweb/gvm/master/binscripts/gvm-installer)
$ gvm install go1.2
$ gvm use go1.2

GOPATH、GOROOT も各自設定される。便利。依存関係があるので、適宜 apt-get で入れていこう。

あとは、

$ go get github.com/nsf/gocode

とか。続く。