英語を学ぶということ

言語学者でもないのに、現在英国に留学しているということのみをもって、大上段に構えて英語論をぶつ、と言うのはあまり喜ばしくない態度であるように思われるが、勉強してもいまいち身につかない、という方々の参考に多少なりともなれば、という思いから、自分の体験に基づいたアドバイスのようなものを二、三書き連ねたい。通俗的になってしまうが、ご勘弁。

まず一つは、「きちんとした読み書き能力を身につける」ことであると思う。話したり、聞いたりすることも重要なのだが、たとえば二、三ヶ月ほど短期留学して培ったリスニングは、よほど確固たるものがなければ、すぐに耳から抜けてしまうように思われる。スピーキングも同じこと。会話は、英語の洪水の中に身を置けば生活の都合上比較的すぐに身につくが、それだけに忘れるのも早い。英語が自分の中に根を張るためには、英語的思考法を身につけねばならず、そのためには多く読み、多く書くことが一番の近道なのではないか。アカデミック・イングリッシュを読み書きする能力をいったん身につけてしまえば、それは英語力の根っこになるだろうし、根がしっかり張った植物はそう簡単には枯れないものだ。

それから、「文化を学ぶ」こと。コミュニケーションを取るためにはトピックが必要であり、そのためには共通の教養が必要だ。よく「海外に来て自分が日本を知らないことがわかった」と言う人がいるが、これは「話題として自国の話を提供する」というのが会話のテンプレートとして確立されているからだ。だから、日本文化について英語で語れるようにしておく、というのはよいアイデアかも知れない。英語は国際言語とはいっても結局のところ英米の言語であるから、これらの国で教養と見なされている西洋哲学一般(プラトンからデリダまで)の話は比較的通用することが多いだろう。特に、哲学や文学の書は質の高い英語で書かれているから、よい reading の体験にもなる。

最後に、会話の際、「主張する気概を持つ」ことだろう。英語によるコミュニケーションというものは、自分からメッセージを発しなければ、向こうから聞く姿勢を持った人間がやってくることはないと言っていい。日本語だと、自分の方に耳が向くのを待ってから話し始めるのが礼儀正しいように思われるが、英語ではそうでなく、無理矢理相手の耳をこちらに向けるくらいの意志が必要になる。疲れるが、仕方ない。

畢竟、「英語的に考えること」が英語上達のための一番の近道なのだ。英語的思考と日本語的思考というものは大いに異なるから、簡単ではないし、日本語的思考を忘れてしまっては本末転倒だが、どちらもきちんとバランスよく習得すれば、脳にとってはとてもよい栄養になると思う。小手先だけの英語でよい点数を取ることをめざすのではなく、根をできるだけおおきく広げることを考えるべきだろう。茎や根がひ弱では、咲く花も力に欠ける。

アン・ローラ・ストーラーの BDS 支持表明

独自のフーコー解釈などで著名な人類学者/植民地研究者のアン・ローラ・ストーラーの BDS (Boycott, Divestment, and Sanctions) への支持表明があって、興味深かったのでさっくりと翻訳してみた。適当訳なのでよりフィットする訳があれば教えて下さい。

植民地研究─植民地の状況の比較、植民地史、植民地政権が依って立つ暴力的かつ巧妙なガバナンスの形態の研究─の教師及び学徒として三十年ほどを過ごしたものとして、イスラエル国家を植民地国家でないと説明することは難しいと言えるでしょう。イスラエルの過去や、現在行われているパレスチナの土地の違法な占有、日常生活の全ての側面の人種化、大規模かつ漸次的なパレスチナ系家庭の破壊、暮らしを壊し、社会及び家族の構造を壊すための努力などを、協調的かつ集中的な concerted and concentrated 植民地デザインによる大規模殺害 decimation であると認めないことは難しい。これらのよく練られた実践は、植民地主義を定義し、帝国主義の時代各所に見られたその当のものです。他の植民地政権と同じように、イスラエル国家は地理的な教会を策定して引き直し、パレスチナ人の市民権を宙づりにし、イスラエル人には私的な空間として認識され保護されている空間に対して恣意的に介入を行っています。

イスラエルは特異ですが独特ではありません particular but not unique。その占領の技術はイスラエル法の根拠のない利用に基づいています。これらはパレスチナ人を置換し追放し replace and displace、自らの領土を拡大することにコミットしている国家の施策です。この拡張は恒常的で、内密であると同時に堂々と、日々行われています。エルサレムの旧市街の部屋部屋で、植民共同体の家々で、そして「安全保障」の名の下に設置された壁が家や野原を切断し、街区を分断し、法的に認められたパレスチナ人地域へと浸蝕していく全ての場所で。これは歴史の強奪であると同時に、今日植民者たちによって真夜中のイスラエルにベッドを放り出される人々の未来の可能性の強奪でもあります。

もしハンナ・アレントが定義したようにデモクラシーが国家内の全人口に対して「権利を持つ権利」を付与することを意味するのならば、イスラエル国家は民主的であるとは言えません。デモクラシーは排除の原則や土地、帰属、市民権(イスラエルが1948年以来賞揚してきたもの)を奪われたディアスポラの創造の上につくられるものではありません。これらの理由から、私は、積極的または消極的にイスラエルの占領を容認し拡張し、国際法を犯し、軍事的管理を強制しパレスチナの自己決定権を否定するイスラエルの諸機関の BDS 国際ボイコットに対する支持を表明します。

アン・ローラ・ストーラー

2010年9月10日

マリノフスキについて

わたしはけっこう迷う人というのが好きだ。ためらいとか、躊躇とか、ことばは別になんでも構わないが、二つの考えに板挟みになっている人のことがそう嫌いではない。ひとつのプリンシプルにこだわり続けることができるような状況に置かれていることのほうが人間にとっては珍しいものだ。

ぐっとジェネラルな話から始めてしまったが、英国人類学の祖、ブロニスワフ・マリノフスキについて書こうと思ったのだった。彼の機能主義は、ラドクリフ=ブラウンとの比較において生物学への還元だとして批判される。例えばエドマンド・リーチは彼を「一般的、抽象的、社会学的な理論の形成」においては「失敗」と評した。マーシャル・サーリンズはさらに厳しく、「マリノフスキは人類学に理論的な分裂病 theoretical schizophrenia を導入した」と断罪する。ちょっとかっこいいよね、このフレーズ。

マリノフスキとラドクリフ=ブラウンという二人の英国人類学の巨頭はどちらもデュルケームの影響を受けているが、前者はヴィルヘルム・ヴントの機能主義の影響もまた受けており、「構造機能主義」を標榜した後者とは年月を経るにつれて距離を置くようになった。マリノフスキは 1910 年に LSE に来てセリグマンの指導を受ける。おや、1910 年といえば、今年からちょうど百年前じゃないか。どこか感慨深いものがあるな。ちなみに現在 LSE の人類学部にはセリグマン・ライブラリという小さな図書室がある。

閑話休題。マリノフスキの「一般理論」は、現在の目からふつうに見ると、あまりにもすべてを自然的個人に還元しすぎていて、まあ使い物にならない。ラドクリフ=ブラウンの方がはるかにましなことをいっているように見える。後者はけっこう厳しくマリノフスキの理論的な陥穽を批判している。

けれどもエスノグラフィに限ってみれば、たとえば Argonauts in the Western Pacific などは読んでいてわくわくする書物だ。一方ブラウンによるアンダマン諸島についての解説なんかは、うーん、と思ってしまうことの方が多いように思える。特に気に入ったのは、自分の観察したものをどう言葉にしてよいものかわからない、と言う状況にマリノフスキが遭遇しており、それをかなり素直に認めていることだ。何度も自分の観察したものを文章にまとめようとしたのだが、どうにもうまくいかなくて何度も書き直した、とある。

序文の中で何度も強調される Inponderabilia of actual life というのが彼にとってのキーワードであるようだ。曰く、日常生活というものに潜んでいる何かは、机の前で考えているだけでは理解することができない。フィールドに出て観察を行い、実際の人々の生の inponderabilia を見つめなくてはならない。英語にするとこれは imponderability みたいな語になって、意味としては、「はっきりはかれない、評価できないもの」。

これはそんなにソフィスティケートされていないただの直感だけれど、言葉というものが人間にとってひとつの実践であり、発話自体が社会的な関係の表出であるとしたならば、言語によって社会のすべてを表現し尽くすということは非常に難しいのではないか。言語とここではそれに付随してくるロゴスや理性というものは、鋭利なナイフのようなもので、何でもかんでもそれを使ってすぱすぱと切ってしまっては、社会というものが続いていくことはどんどん難しくなるのではないか。われわれはナイフの使い方をきちんと学ばなければならないが、それは別に、とりあえず何でも切ってみる、と言うことではないはずである。

Argonauts の序文には、トロブリアン諸島の人々の生活をどうやって英語で表現しようかと悩むマリノフスキの苦悩が少しだけ見え隠れしているように思えて、少しほほえましく思う。それは全く僕の勝手な勘ぐりかも知れないのだが。

クロード・ルフォール、逝く

ショックだ。知的な偉大さを感じさせる二人のクロードがこう立て続けに逝ってしまうとは。また彼について書いてみたいとは思うが、さしあたってル・モンドの記事をざっくりと訳してみる。フランス語を訳すのは初めてなのでさぐりさぐりだし、誤訳もあるかも知れない。また、最後の段落については、多少思うところ有り。このルフォール解釈では、デモクラシーの陥穽が全体主義へと繋がるかのように書かれているが、彼にとってデモクラシーにおいて権力の中心が脱身体化され discorporation of power、権力の場所が空虚である empty place of power ことは積極的な価値を帯びていたはずである。むしろ全体主義においては権力が絶対的に再身体化されており、それはデモクラシーとはかけ離れたものとして理解されているのではないだろうか。だからデモクラシーは常に発明され続けなければならないのであって、その権力の不安定性はむしろここで賞揚されているはずである。再考する。

以下は Le philosophe Claude Lefort est mort | LeMonde.fr 拙訳。

哲学者、クロード・ルフォールが10月3日に亡くなった。86歳だった。全体主義の分析にその思索の多くを捧げた哲学者の逝去を『リベラシオン』が報じた。
    
1924年生まれ。アグレジェ、及び哲学博士。カーン大学で教え、その後社会科学高等研究院教授。処女作は1968年のエドガール・モランとの共著、『La Brèche』。師であったトロツキストを率いるモーリス・メルロ=ポンティの影響で若くからマルクス主義に傾倒するが、その後距離を置くようになる。コルネリュウス・カストリアディスと共に雑誌『社会主義か野蛮か Socialisme ou Barbarie』を創刊した頃からこのマルクス主義からの撤退は始まっていたが、アレキサンダー・ソルジェニーツィンの『収容所群島』に出会うことでさらに明確になり、その態度はこの著作に捧げられた『余分な人間 Un homme en trop』(1973年)に表される。
    
彼は全体主義的現象とデモクラシーの陥穽の間に強いつながりを指摘する。彼にとって、歴史の結果としてのデモクラシーは「身体無き社会」であり、ラディカルな決定不能性が支配し、常にバランスを欠いている。『L’Invention democratique』(1981年)で示されたように、それは常に自身の発明を要求するのだ。デモクラシーは「本質的に善」なのではなく、自動的に自由や正義をその市民に保証するものではないのである。

英国へ留学すると言うこと

誰かの参考になればと思って書くのだが、正直、私の経験はあまり参考にならないかも知れない。しかし、こういうケースもある、というくらいに思って頂ければ幸いだと思って書く。

LSE に出願したのは二月の終わりである。私は学部では政治学を専攻していた上、四回生の夏まで交換留学で Cambridge におり、しかも、どの専攻で大学院に進学するかをギリギリまで決めることができなかった。政治学も哲学も一旦脇に置こう、人類学にしよう、と天啓のように思い立ったのは11月も終わる頃だったと思う。そこから大学院を調べ、推薦状を書いてもらい、Personal Statement を書き…などしていたらもうそれくらいの時期になっていた。

準備する書類について。推薦状は英国の先生と日本の先生に書いて貰った。GPA は最終的に 3.55 だった。とびきりよくはないが悪くはない。一回生の時から A を取ろうと頑張っていたわけではないから、こんなものだろうと思う。TOEFL-iBT は10月に受けており、114点だった。特に対策はしていない。GRE 対策が面倒だったのでアメリカ行きは考えなかった。

Cambridge は出願プロセスが面倒だったので、結局出願したのは LSE と Oxford の二校だけだった。LSE は(8週間かかると言われていたのに)2週間で「いいよ、合格」とあっさり返事が来た。Oxford は散々待たされたあげくに不合格だった。何がこの差の原因なのかはよく分からない。まあ、そう言うものだろう。今では合格しなかったことに感謝している。

かくして倫敦に来ることになったわけである。特にどこかの institution に相談したりはしていない。とりあえず出願してみて、来てもいいと言われたから来た。

住んでいるのは LSE の学寮である。以前キッチンを共有してひどい目にあったことがあるので、今回はキッチンがついている Studio に住むことにした。朝起きて、冷蔵庫を空けフルーツを食べ、ゆっくりと朝餉をつくることのできる生活。素晴らしい。学生寮なので立地の割に価格は安い。アコモデーションは早い者勝ちなのでできるだけ早くにアプライすべし。私は一日遅れで安い部屋をゲットすることができなかった。

住居についてはまた書きたい。

ロンドン生活が始まった

入国審査は簡単だった。財政状況を証明する書類を用意しろ、と英国大使館のウェブサイトには書いてあったが、特に提出を要求されることなく終わった。LSE の Offer Letter とパスポートを見せただけで難なくパス。朗らかさで勝負したのがよかったのだろうか。以前ケンブリッジで勉強したことがあるというのもプラスに働いたに違いない。

しかし、英国に到着してからが大変だった。安いからと言って地下鉄で行こうとしたのが間違い。ロンドンの Underground は全く完全にバリアフリーではないので、30キロほどもあるトランクを持って右往左往するはめになってしまった。おかげで背中を痛めた。本を25冊ばかり持ってきたのもよくなかった。もちろん、すべて必要な本なので、後悔はしていないが。

部屋はまあ、期待通り。シャワーの出が悪く、水の排出がうまく行っていないことを除けば、おおむね満足している。日本でいう8階(なぜか6階と表示されているが)で、最上階であるため上の階の足音などに煩わされることもない。キッチン、シャワー、トイレが完備しており、安息日には一歩も外に出なくても生活が完結する。これは引きこもり思考のある人間としてはありがたい。以前ケンブリッジにいたときは、キッチン共有でひどい目にあった。それを考えれば遥かにましである。

立地はよい。Liverpool Street Station 近くで、Spitalfields Market から徒歩30秒の場所にある。5分ほど歩けば、たいていのものが手に入る Argos なるカタログショップがある。もちろんスーパーマーケットの Tesco も近い。ぎりぎり Zone 1 圏内なので地下鉄代も安くすむ。ありがたいことだ。

無印良品にずいぶんとお世話になっている。英国中に15店舗あるらしい。日本の生活雑貨のクオリティはすばらしいので、これはかなりありがたい。これもやはり、ロンドンにしてよかったと思う。ケンブリッジではこうは行かない。

どのような情報が求められているのかよくわからないので、ざっくりとしたレポートになってしまった。Application Process などの話もした方がよいのだろうか。あまりテクニック的な話は得意ではないけれども、リクエストがあればお答えしたいと思う。

WordPress へ移行した

結局 MT は耐えられず、Wordpress へ移行することにした。やはり使いやすくてよい。はてなスターの設置も完了した。インストールしたプラグインは次の通り。

テーマはできるだけシンプルなものを選んだが、ごてごてしているものが多くて困っている。快適に本文が読めればそれでいいのだが、素直にテキストを綺麗に表示するだけのテーマが無い。少し困っている。次善の策として現在のものを選んだが、違和感は多少ある。もっとよいものが見つかればいいのだが…

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスについて

日本ではあまり「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス London School of Economics」の知名度は高くないようだ。名前を言うと、経済学の単科大学だと思われてしまうことも多い。「どうしてそこで人類学を?(ってか、そもそも人類学って何さ?)」というわけだ。一方で、最近日本でも LSE を紹介する書籍(「LSE物語―現代イギリス経済学者たちの熱き戦い」)があり、ハイエクやラスキが教鞭をとった大学として一部では知名度は上がりつつあるようだ。説明する手間が省けるので、知名度がより上がってくれるとありがたいのだが…

この大学の正式名称は London School of Economics and Political Science で、直訳すれば「ロンドン経済学および政治科学学院」だ。1895年にフェビアン協会の面々によって設立された歴史から経済学的研究をその根幹に据えてはいるが、二十世紀すぐにロンドン大学連合に加入してから哲学や政治学、社会学なども扱い出し、現在では社会科学全般を扱っている。人類学もそのうちの一つで、英国人類学に最も大きな影響を与えたマリノフスキーは LSE の出身だ。2008年に行われた調査によれば、 LSE の人類学は「世界トップランク」と評価された研究者の割合が 40% で最も多い(RAE 2008 Anthropology)。そのほか経済学はもちろん、社会科学哲学やヨーロッパ研究、法学、政策学などでもトップ。

という訳で、決して経済学の単科大学ではないのだ。ただし、社会科学に関連するディシプリンのみを扱っているため、理系の分野は存在しない。対照的に理系のみを扱っているのが Imperial College London だ。

ちなみに LSE はロンドン大学に所属している。この University of London という機関は実のところ、様々な大学から構成されているひとつの連合であって、「ロンドン大学」という実体がある訳ではない。夏目漱石などが留学した University College London もこの連合に所属している。この大学には、最近では小泉純一郎なども在籍していたことがあり(卒業はしていないようだが)、日本との関わりもずいぶんと深い。
これくらい知っておいても損はないだろう。説明が面倒なときは「ロンドン大学です」というが、そこで「ロンドン大学のどこ?」と返してくる人は殆どいない。

「なぜ人類学か」ということも、書いていかなければならないのだろうな。

Movable Type?

ロリポップが月105円でレンタルサーバーを提供している。このブログもそのプランを利用しているのだが、この場合、「簡単インストール機能」で利用できる CMS は Movable Type しかない。そもそも、このプランでは MySQL が利用できないので、自分で WordPress をインストールしようと思ってもできないのだ。という訳で、今のところこのサイトは Movable Type で運用している。

MT に触るのは初めてだったので、いろいろと調べてみよう、と思って Google 先生と対話を続けていると、MTに未来はあるのか – Using MT という記事にヒットした。このブログによれば、MT が利用されているのは主に日本語圏で、世界的には WP がマジョリティになっているということ。まあそうだろう。

決してマジョリティだからいいという訳ではないのだが、プラグインの豊富さやいざというときのサポートなどを考えると、やはり WP の方がよいのだろう。しかし MySQL を利用するためには月263円のプランにアップグレードする必要がある。倍以上の出費である。そこまでして WP にする必要があるのだろうか?文章を書けて、そこそこ美しく見えればいい、それだけのブログのために…

倫敦へ

ロンドン中心部にある London School of Economics and Political Science (LSE) で社会人類学 Social Anthropology を学ぶことになったのは様々な偶然が折り重なった結果だった。元々学部では政治学を専攻しており、人類学へ進もうとは(少なくとも三回生の段階では)あまり考えていなかった。自分の人類学知識自体少なかったし、政治学というディシプリンに対して疑問を感じることはあっても、そこから出ようという決断をするところまでは行かなかった。

それが変化したのは、学部中に交換留学で一年間過ごす機会があった University of Cambridge で、様々な人類学的のマテリアルに触れる機会を頂いてからだ。ここでも主に勉強したのは政治思想史(メソッドや考え方が日本とは大きく異なり、非常に刺激を受けた)及び国際政治(イラン革命など、日本ではあまり注目を浴びることのないトピックスがあって興味深かった)で、人類学はその横でしこしこと自習しているだけだったのだが(人類学の講義を聴講したりなど)、触れれば触れるほど、きちんとこのディシプリンを学んでみたいという思いは強くなった。

剣橋から帰国してしばらくは、どの大学院の、どの課程に進学するかでずいぶん悩み、紆余曲折あって LSE にどうにか合格することができた次第。それから半年間は少し趣を変えて、とある IT 系企業でマーケティングやビジネスの勉強をさせていただいた。来週、倫敦へ発つ。不安も多々あるが、楽しみだ。何より、早く読書を始めたくて仕方がない。