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「テロリストの入国からアメリカを守る」トランプ大統領令の何が問題か?

トランプ大統領は、「テロリストの入国からアメリカを守る」ための大統領令を1月27日に発令。それとともにアメリカ中で反対運動が巻き起こった。事態は依然進行中であるが、そもそもこの大統領令が何を意味するのか、何が問題視されているのかを、実際に法律を読み解きつつ考えていきたい。わたしは法律家ではないが、いつだって原文にあたって見るのが思考を整理するためには最良の方法であると考えている。

ポイント

  • この大統領令は、既存の法律である移民国籍法で大統領に与えられた権能を基にしているが、合法であるか否かは論争がある。
  • 既に合法的にビザを取得し、平和的に米国内に居住している人に対しても影響がある。
  • 米国に在住するアメリカ国籍を持たない人にとっては、マインドセットの大きな変更を強いられる出来事である。
  • 政治的には「ムスリム・バン」として象徴的に機能するにもかかわらず、法的にはそのような実装がされているわけではない。
  • このような大統領令は、同じ法律を根拠にしたものに照らし合わせても前例がない。
  • テロリストの入国を妨げる役にはおそらく立たない。

大統領令の構造を理解する

そもそも実際にこの大統領令はどのような構造になっているのか。大統領といえども、何でも何に関しても好きなように出来るわけではない。行動を正当化する法律がその根拠にあるはずである。ホワイト・ハウスがこの大統領令の全文をオンラインで公開している。まずはこの大統領令で特に現在重要視されている点を抜粋し翻訳しよう。

Sec. 2.  Policy.  It is the policy of the United States to protect its citizens from foreign nationals who intend to commit terrorist attacks in the United States; and to prevent the admission of foreign nationals who intend to exploit United States immigration laws for malevolent purposes.

(燕石私訳) 第2条. 政策. 合衆国内でテロ攻撃を行う外国人からその市民を守り、悪意をもって合衆国の移民法令を悪用することを意図する外国人の入国を防ぐことが合衆国の政策である。

ここでは、「この大統領令が何のために発令されたのか」と言うことが提示されている。名前の通り、「テロリストの入国を防ぐ」ことが目的である。次に、

Sec. 3.  Suspension of Issuance of Visas and Other Immigration Benefits to Nationals of Countries of Particular Concern.  (a)  The Secretary of Homeland Security, in consultation with the Secretary of State and the Director of National Intelligence, shall immediately conduct a review to determine the information needed from any country to adjudicate any visa, admission, or other benefit under the INA (adjudications) in order to determine that the individual seeking the benefit is who the individual claims to be and is not a security or public-safety threat.

(燕石私訳) 第3条. 特に懸念のある国の国民に対するビザおよびその他の移民上のベネフィットの停止. (a) 国土安全保障長官は、国務長官および国家情報長官との協議のもとで、移民国籍法に基づいてビザ、入国、その他のベネフィットに関わる審査を請求する個人が、かれが主張するとおりの人間であり、安全保障上あるいは公安上の脅威でないことを裁決するために、どのような国からでも必要な情報を決定するためのレビューを直ちに執り行う。

前記の目的を達成するために、直ちに、現存するビザ発給および入国の許可に関わるプロセスを再度総点検するのだという。トランプが選挙期間中に示してきたビジョンの通り、「現在のプロセスはどうしようもない」から、「新しいプロセスを作る必要がある」というわけである。

(c)  To temporarily reduce investigative burdens on relevant agencies during the review period described in subsection (a) of this section, to ensure the proper review and maximum utilization of available resources for the screening of foreign nationals, and to ensure that adequate standards are established to prevent infiltration by foreign terrorists or criminals, pursuant to section 212(f) of the INA, 8 U.S.C. 1182(f), I hereby proclaim that the immigrant and nonimmigrant entry into the United States of aliens from countries referred to in section 217(a)(12) of the INA, 8 U.S.C. 1187(a)(12), would be detrimental to the interests of the United States, and I hereby suspend entry into the United States, as immigrants and nonimmigrants, of such persons for 90 days from the date of this order (excluding those foreign nationals traveling on diplomatic visas, North Atlantic Treaty Organization visas, C-2 visas for travel to the United Nations, and G-1, G-2, G-3, and G-4 visas).

(燕石私訳) (c) 本条第(a)項で説明されたレビューを執り行うあいだ、一時的に関係当局の調査の負担を軽減し、また外国人の適切な審査のため現在あるリソースの最大限の活用を可能にし、また外国人テロリストや犯罪者による潜入を予防するための適切な基準が設定されることを確実にするため、移民国籍法第212条(f)項、8 U.S.C. 1182条(f)項に従い、移民・非移民を問わず、移民国籍法第217条(a)項(12)号に指定された国の外国人による合衆国への入国は、合衆国の国益にとって有害であるとわたしは宣言し、ここに、移民・非移民を問わず、該当者の合衆国への入国を、この大統領令の日付より90日間停止する(但し、外交ビザ保持者、NATOビザ保持者、国連へ旅行するC-2ビザ保持者、G-1、G-2、G-3、G-4ビザ保持者の外国人を除く)。

そして、そのレビューに集中したいから、一時的にテロリストかもしれない人は入国禁止ね、という問題の条文がここで出てくる。ほかに重要な点としてはすべてのシリア難民の入国一時停止(こちらは時効なし)があるが、とりあえずはここでいったんストップしよう。

押さえておきたいことは、どの国家からの入国を禁止するかに関して、既存の法律である移民国籍法第217条(a)項(12)号に基づいた指定が行われていることである。具体的に書けば、これらの国とは、イラク、シリア(この両国は法律に直接ハードコードされている)、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン(これら5カ国は行政の指定による)の7カ国である。これらの国家は、いわゆる「テロ支援国家」として以前から指定されている国家群であり、オバマ政権時に成立した「テロリスト移動防止法」により、ESTA 発給の停止がなされていた。

またここでは、この大統領令は、移民国籍法第212条(f)項に従ったものであると明記されている。では、移民国籍法第212条(f)項はどのようなものであるのか。さらに翻訳を続ける。

(f) Suspension of entry or imposition of restrictions by President. Whenever the President finds that the entry of any aliens or of any class of aliens into the United States would be detrimental to the interests of the United States, he may by proclamation, and for such period as he shall deem necessary, suspend the entry of all aliens or any class of aliens as immigrants or nonimmigrants, or impose on the entry of aliens any restrictions he may deem to be appropriate.

(燕石私訳) (f) 大統領による入国停止、あるいは制限. ある外国人、あるいはある種類 class の外国人による合衆国への入国が、合衆国の国益にとって有害であると大統領が判断した場合、かれは、宣言により、かれが必要であるとみなした期間のあいだ、移民・非移民を問わず、どのような外国人、あるいは外国人の種類 class であっても、その入国を停止する、あるいはその入国に対してかれが必要と見なすどのような制限をも課すことが出来る。

つまり、米国の移民国籍法は、大統領の判断によって、移民であろうと無かろうと、外国人の入国を拒否することを許容しているのである。この条文からは、確かにトランプにはこの宣言を出す法的権能が備わっていると言うことが出来るだろう。

そもそも外国人に関して、誰が入国可能であり、誰が入国を拒否されるかという点に関して、政府は基本的にフリーハンドを持っている。現在の国際的秩序の中では、国籍を持たないものに人権はない。政府は自国領土の中に住んでいる外国人に関して人権を保証する義務はないといって構わないだろう。これ自体は大きな問題であるが、このような秩序の中では、少なくともトランプの大統領令は合法ではあるように思われる。

そもそも合法なのか?

しかし当然ながら、話はそう簡単ではない。この大統領令が果たしてそもそも合法であるのか、現在アメリカでは盛んに議論がなされているようだ。この移民国籍法は1952年に書かれたものであるが、より新しい、1965年に書かれた移民国籍法には、こう書いてある。

(A) Except as specifically provided in paragraph (2) and in sections 1101(a)(27), 1151(b)(2)(A)(i), and 1153 of this title, no person shall receive any preference or priority or be discriminated against in the issuance of an immigrant visa because of the person’s race, sex, nationality, place of birth, or place of residence.

(燕石私訳) (A) 本(2)号および1101条(a)項(27)号、1151条(b)項(2)号(A)(i)、および1153条に特定された場合を除いて、何人も、人種、性別、国籍、出生地、また住居地によって移民ビザの発行に関する優遇、優先、または差別を受けることはできない。

この条項により、少なくとも移民ビザの発行プロセスに関しては、ある人の国籍に基づいてその発給の可否を決定することは禁止されている。ただし非移民に関してはその限りではない。大統領令は移民・非移民に関わらず、と明確に書いてあるので、少なくとも前半部分に関して、国籍をベースにして移民ビザの発給を停止することはこの条項に違反している。問題は、ふたつの条項のどちらがより優先されるか、である。

この他、憲法によって保証されている諸権利 – デュー・プロセスの欠如、平等な保護、そして(解釈によっては)信仰の自由 – を侵しているという主張も成り立つ。しかしこれらの憲法によって保証されている諸権利に関わる主張はぐっと哲学的問題に近くなってくるため、法律に照らし合わせてどうか、という議論を行うのはそう簡単ではない。

既に合法なビザを持っている人間もこの大統領令の対象になるのか?

なる。当該国の国民であれば、既に合衆国政府によって合法的に発給されたビザを持っていたとしても、入国は禁止される。これは非常に大きな問題である。わたしの同僚にもH-1Bで米国に滞在しているイラン人がいるが、かれはこの大統領令によって、実質的に出国が禁止されてしまった。一度出てしまえば、もう米国には帰ってこれないからである。合法的なプロセスに基づいてビザを取得したにも関わらず…。この大統領令による禁止自体は90日間だが、いつ何時次の(同じような)大統領令が発令されるかわからないため、米国を出国することは大きな不確定要因に身を委ねることに等しい。

この大統領令が発令された当初は、永住権を持つグリーンカード保持者も同様に入国が禁止された。その48時間中に起きた大きな反発と訴訟を受け、国土安全保障長官ジョン・ケリー John Kelly が、長官に例外的入国を認める権能を与えた第3条(g)項に基づいて、「合法的な永住者の入国を認めることは米国の国益にかなう」という宣言を出したため、現在はグリーンカード保持者の入国は認められるようである(ただし数時間に渡る追加的な検査が入国審査時に行われる可能性あり)。

この大統領令は、合法的に米国内に入国し、法律を守りながら暮らしている外国人であったとしても、政権の動向次第で一夜にして非常に厳しい状況に追い込まれうるということを内外に示した。次に入国が制限・禁止されるのが誰であるのかはわからない。日本と米国の関係が少しでも悪くなったらすぐに、わたしも似たような状況に陥ってしまうかもしれない。最悪のシナリオを考えて行動しなくてはならない、ということがはっきりと示されたのである。

これは「ムスリム・バン」なのか?

政治的にはそうであるが、法的にはそうでない。それがこの大統領令の狡猾な点である。トランプは自らの選挙公約である「ムスリム・バン」を、いかにして法的に実現可能にするかというタスクを優秀な法律家に与えたのであろう。その結果がこれだ、とわたしは考えている。これは政治的あるいは象徴的にはムスリムに対する入国の制限を行うものであるが、法律としては「既存のブラックリストを利用し、既存の法律で与えられた権能を用いた」ものになっている。当然元来想定されている権能の利用法ではなく、一種のアビューズということすらできるが、それでも一定数の法律家をして「これは合法である」と考えさせることのできる程度の法的説得力を持つものになっている。

前例はどのようなものがあるのか?

移民国籍法第212条(f)項が適用された大統領令は過去、以下のようなものがある。

  • 2014年3月19日、オバマ: ウクライナの情勢を作り出すことに特定の仕方で貢献した外国人の入国停止。特定のロシア連邦政府高官、ロシア軍人など。
  • 2007年7月3日、ブッシュ: レバノンの主権と民主主義を脅かした外国人の入国停止。レバノン政府高官など。
  • 1993年12月14日、クリントン: ナイジェリアの民主制への移行をさまたげた政策を形成あるいは実行、もしくはそれらの政策から利を得た外国人の入国停止。

見てわかる通り、これらのケースが対象とするものは全て非常に限定されており、当然ながらある国籍を持つ外国人全てに対して処置をとるものではない。それが制裁として持つ外交的意味も明確である。今回のトランプによる大統領令は、特定の国籍を持つ人間全てを対象としている点において前例がなく、法令の想定していなかった利用であると言わざるを得ない。そもそもなぜイラン人市民1人の入国がアメリカの国益にとって大きな脅威であるのかを説得的に提示することは、トランプ政権の誰にもできないであろう。

この大統領令はテロリストの入国を妨げる役に立つか? (追記)

おそらくない

まず、入国が禁止されている7カ国からの渡航者がテロを起こしているという事実はない。BBC によれば、アメリカ国内で 9/11 以降に発生したテロ攻撃の犯人の 82% がアメリカ国籍あるいはグリーンカード保持者である。 9/11 の主犯勢は基本的にサウジアラビア国籍であった。また、最近発生した事件に関していえば、犯人は指定7カ国出身者ではない。

  • フォートローダーデール空港銃撃事件 (2017年1月): アメリカ国籍
  • オーランドナイトクラブ銃乱射事件 (2016年7月): アメリカ国籍。両親はアフガニスタン出身
  • サンバーナーディーノ銃乱射事件 (2015年12月): アメリカ・パキスタン二重国籍。両親はパキスタン出身

以上のように、この大統領令で直接的に入国が防がれるであろう人間によるアメリカ国内での大きなテロ行為は、少なくとも過去には存在しない。調べた限りでは、指定7カ国出身者による死傷者の出た事件は確認できなかった。「両親がイラン人移民のアメリカ人」などによる犯行はまれに存在するが、この大統領令はアメリカ国籍を持つ人間の入国を阻止するものではない。

また、この大統領の主眼であるビザ発給プロセスの再検討もあまり大きな果実があるものとは思われない。そもそもここで指定されている7カ国は、「これらの地域に渡航した過去のあるものはESTA発給を行わない」という趣旨でオバマ政権時に作られたものであって、今回の大統領令のような使われ方をされることは想定されていない。こういった法令がオバマ政権時代に作られているということは、逆説的に「現在のプロセスが既にかなり厳しいものになっている」ことを示している。シリア紛争で故郷を追われた人々が難民として認定され、米国内に合法的に入国を許可されるまでのプロセスは既に途方もなく官僚的で長いものになっていることは認識しておくべきであろう。この件については今後もう少し詳しく書いてもよいかもしれない。

つづく

書きたいことはまだあるが、さしあたって重要と思われる論点は提出したと考える。特にシリア難民の情勢やトランプ政権全体の動向などに関してはまた次回以降の記事で詳しく追っていきたいと思う。(長山燕石)

ヘーゲル国務長官と小野寺防衛大臣の電話会談に関する声明全訳

以下は、Readout of Secretary Hagel’s call with Japan’s minister of Defense Itsunori Onodera の全訳である。これは、NHK が「米国防長官「日本は周辺国と関係改善を」」として取り上げている。


国防総省報道官ジョン・カービー海軍少将は以下の声明を発表した:

「今朝、チャック・ヘーゲル国務長官は、小野寺五典防衛大臣と電話で会談し、沖縄における米軍再編成のために必要不可欠である、キャンプ・シュワブ=辺野古岬における普天間基地移設先施設建設のための埋め立て要求認可を実現させるための日本国政府の努力に対して感謝の意を示した。

また彼は、米国と日本の間で最近結ばれた、環境保全問題に関して日米地位協定を補足するフレームワークの形成へ向けた交渉を行う合意の重要性に触れた。

ヘーゲル長官と小野寺大臣は、2013年10月3日の2+2宣言で明言された同盟のイニシアチブの実装に関する議論を行った。これには、日本での第二の TPY-2 ミサイル防衛レーダーの配備、および透明なプロセスの重要性が合意された日米ガイドラインの前向きな改定が含まれる。

ヘーゲル長官は、日本がその隣国との関係改善、および地域的平和と安定という共通の目標編向けた協力の促進のために努力することの重要性を強調した。ヘーゲル長官は、21世紀における安全保障上の挑戦に見合うかたちで同盟を強化していくための二者協議が継続していくことを楽しみにしている、と述べた。」

米国の “Disappointed” はどれくらいの事態か

いくらか議論に混乱が見られたので、意味を明らかにする。

12 月 26 日の安倍総理による靖国神社参拝を受け、米国大使館はすぐに批判的声明を発表。その中で以下の表現が使われた。

the United States is disappointed that Japan’s leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan’s neighbors.

disappointed は大使館による公式の訳では「失望」という言葉が当てられた。かなり強い表現であるといえるだろう。しかし、以下のように論ずる記事も現れている。

disappointedってのはね、ツーカー同士が思った通りに動いてくれない時に発生する言葉で、信頼関係が以前からあって今も継続していないと使えないし、コンビ解消レベルのdespairとは違うのよ。

これは真実か。あるいは、そもそもこの disappointed という用語は、大使館によってどのような場合に使われるものなのか。

検証は容易である。"disappointed" site:usembassy.gov で検索せよ。

最初にヒットするのは最も近く発表された日本に対する声明であるが、二番目に来るのはロシアのミサイル計画に関するものである。

The United States is disappointed that Russia plans to deploy short-range missiles near the border with Poland and Lithuania, a State Department official says.

米国は、ロシアがポーランドとリトアニアの国境付近で短距離弾道ミサイルを配置することに対して失望 disappointment を表している。

他の用例としては、中国における人権をめぐる状況が 2003 年に悪化したことをめぐる声明や、ボスニアにおける改憲運動の失敗をめぐる声明がある。

ここから言えることは、他国政府の行動が、もともと米国が希望し、行動を起こしてきた方向とは異なるものであった場合に disappointed が利用されているということである。当該国と米国が「ツーカー関係」であるかに関係なく、あるアウトカムが米国の考える正義と期待に沿わなかったものである場合に使用されるのである。

さらに言えば、先程挙げた国のリストからもわかるように、通常は、この用語は第一級の同盟国に対しては利用されていない。例えば次のドイツに関するコンドリーザ・ライス元国務長官の声明を見てみよう。

QUESTION: Were the people of America disappointed because of Germany’s opposition to the war against Iraq?

SECRETARY RICE: Well, it is always hard when friends disagree and it is hard on people in both countries. But the good thing is that the foundation of our relationship, our values, are so strong that the relationship has re-emerged strong and vibrant and ready to look forward. It does not mean that there won’t be differences in the future, but I do hope that we can always start from the basis from what it is that we have to do together. If we disagree about tactics, that’s fine. But our goals should never be in question.

さっと訳す。

質問: アメリカの人々は、ドイツのイラク戦争に対する反対に関して失望しましたか。

ライス長官: まあ、友人の間で意見の相違が見られるときはいつも大変ですし、両国の人々にとってもそうです。しかし良い点は、我々の関係の基礎となる価値観の強さによって、我々の関係は再度強く、活気に満ちたものとしてあらわれ、未来を向いているということです。これは未来には相違が存在しないということではありませんが、私の希望は、我々が何をしなければならないかということについて、常に基本から共に始めることができるだろうということです。戦術に関しての意見の相違は問題ありません。ただ、目的は疑問符を付けられるべきではありません。

イラク戦争は米国の考える正義に合致したものであり、それに対するドイツの明確な反対は(質問が示唆するように)失望 disappointment を引き起こしても不思議ではないものであった。にもかかわらずライスはここで、「ゴールが共有されているのであれば、戦術に関して多少意見の相違が出ることは問題ない」という言い方で、事実上ドイツの反対を受け入れているのである。

筆者は他にも、イギリスやフランス、オーストラリアなどに関して失望を表している声明を探してみたが、うまく見つけることはできなかった。(追記:イギリスに関しては1件見つけた。末尾に追加してある。)

同盟国に対して米国が失望 disappointment を表明することは異例である。通常この用語は、ロシアや中国など、明確に敵対することは避けたいが、批判はしなければならないような国家に対して利用されている。だからこそ今声明は、最初に「日本は米国にとって同盟国である」ことを主張し、フォローを行っているのだ。

明確な敵国に対しては condemn が利用される。北朝鮮のミサイル発射ビルマのアウンサンスーチーに対する自宅拘禁刑宣告などである。ほぼありえないが、さらなるナショナリズムの高まりによってこのような言葉が声明に現れることだけは避けなければならない。

ちなみに大使館による声明で despair が他国の行動を咎めるために利用した例を見つけることはできなかった。


追記: イギリスに対するものを1件、カナダに対するものを1件見つけた。

どちらも米国にとってクリティカルなイシューに関するものだ。アメリカはとうもろこしの最大の生産・輸出国であり、その利権を守ることは米国農業にとって非常に大きな意味を持つ。また、ゲイリー・マッキノンは「史上最大の軍事システムハッカー」であり、NASA のシステムにクラッキングし続けた彼を裁くことは米国にとって非常に大きな関心であった。


追記2: 複数の方からイスラエルに対するものもあるという指摘を受けた。声明は Clinton, Prime Minister Fayyad on Aid to Palestinian Authority の中で、ヒラリー・クリントン国務長官の弁による。これはイスラエルが「東エルサレムのセンシティブな地域で新しい住宅の建設を予定していること」に対するものである。詳しくは本記事のふむ。氏によるコメントを参照していただきたいが、これは米国だけではなく関係各国の調停に対する努力を無視するもので、deeply disappointed というより強い表現になっている。また、日本外務省も批判的な談話を発表している。

「インディアン」という言葉に関する議論の整理

「インディアナポリス」は差別語か? という議論がはてなブックマーク上で話題になっている。山本弘氏が1940年台のアメリカを舞台にした会話文の中で「インディアン」という言葉を使ったことに対して、編集者が「先住民」への置換を要請した、という話だ。

オクラホマの田舎の農家の主人が、近くに住んでいる学者について語っている箇所だ。時代設定は1940年である。
「いや、大学で数学を教えてたとか聞いたな。今はこのあたりで、インディアンの塚を調べてる」
この「インディアン」が差別語だから「先住民」に変えてくれというのだ。

この問題に関する山本氏の議論は以下のようなものだろう。

  • 「インディアン」という言葉がある程度センシティブであることは認める。しかし、「インディアン」が差別語か否かという点については議論がある。
  • 仮に「インディアン」という言葉を利用したとしても、抗議など来る可能性は極めて低い。
  • この言葉が使われているのは会話文であるが、1940年のアメリカの田舎者が「先住民」という言葉を使うはずがない。

一方、当の編集者とみられる方から反論があった。

「リアリティ」というならば、その当時、その地域に本当にインディアンがいたのか
いたのであれば、実際にその地域に住んでいた部族の族称で書けばいいじゃないか、ということです。
「アパッチ族」とか「いあいあ族」とか…。

元原稿では地の文で「先住民」が1回、会話で「インディアン」が1回。
同じものを違った表現で書くのは混乱のもとですし、著者自身「差別語」と認識して地の文では使わないというなら
会話でも統一したらどうかとご提案しました。

編集者の議論をまとめれば、

  • 「インディアン」ということばがセンシティブであって、かつ、差別語か否かという点について議論がある点は認める。しかし、差別語であると思う人間がいるのであれば、それは使うべきではない。
  • 抗議が来る可能性が極めて低いとしても、それは 0% ではない。
  • 地の文でこの言葉を使っていないのは、著者自身に差別語という認識があるからだ。
  • 歴史のリアリティということであれば、その地域の部族の名前を使えばよい。

整理してみると、この議論は山本氏に利がある。簡単なものから順に見てみよう。

「歴史のリアリティ」とはなにか

まず、編集者の出している対案─実際の部族名を使うという点について。これは議論にならない。問題になっているのは、「1940 年、オクラホマの田舎の農家の主人が使う言葉はなにか」という点である。大学教授どうしならまだしも、このような会話で族名が出てくるのは極めて不自然である。そもそも研究対象がひとつの部族だけなのかもわからない。編集者は、「歴史のリアリティ」に関わる論点を誤解している。

「インディアン」は差別語か

編集者の文章内では、「インディアン」は差別語か否かという点についての認識がぶれてしまっている。ある言葉に関して、それが差別語であるか否かという点については、いくつかのレベルがあるだろう。

  • (a) 大多数の人にそれが差別語であるという認識が共有されている。
  • (b) それが差別語であるか否かという点について議論がある。
  • (c) 大多数の人にそれが差別語でないという認識が共有されている。

山本氏は、この言葉は上記の分類では (b) に属する、という理解で一貫している。しかし、編集者は、前半では (b) としながらも、「地の文でこの言葉を使っていないのは、著者自身に差別語という認識があるからだ」という議論によって、後半では (a) のポジションへ移動している。これは議論の運びとして誠実ではないといえる。

差別語であるか否かという点について議論があるのであれば、使うべきでないか

山本氏が地の文でこの言葉を使っていないのは、まさしくこの言葉が (b) に属すると理解されているからではないか。すなわち、「絶対に使ってはいけないものではないが、何か理由がないのであれば代替語がある」というものだ。そして、この場合、この言葉を使うための「何がしかの理由」が上記の「歴史のリアリティ」というものである。

最終的な争点は、「歴史のリアリティ」というものが、論争的な用語をあえて使う十分な理由になりえるか、というものであろう。この点についてはまだ議論の余地があるが、私は、リアリティのために必要な範囲で、但し書きをつけた上で利用する、というところが落とし所であろうと思う。

(補) 「先住民」という言葉は問題を含まないか

これに関しても議論がある。当該 Wikipedia エントリをそのまま翻訳する。

「先住民 Indigenous Peoples」という言葉の使用に対して否定的な議論としては、 (a) 17 – 18 世紀におけるヨーロッパによる植民地化によって被害を被った人々にのみ使用されるものではなく、 (b) 世界のすべての先住民グループをひとつの「他者」に一般化し、 (c) 「先住」という定義に必ずしもあてはまらない移民集団の記憶を認めることに失敗している、などがある。また、カナディアン・インディアンの一部では、フランス語である indigène という言葉が歴史的に蔑称として利用されてきたことから、この言葉は好まれない。

アメリカは哀しい社会であるな、という話

ひょんなことから「ソーシャル・ネットワーク」を見た。おそらくは見ないで終わるであろう、と思っていた映画であったので、少し驚いた。公開当時から話題になっていてはいたが、様々な方の寸評を見聞きして、まあ、わたしには関係のない物語に違いない、と感じたので、時間とお金を費やしてわざわざ見る、という気分にはならなかったのである。

けれどもどういうわけか、時間もお金もそう使わずに、向こうから見てくれとやってくることになった。具体的にいえば、と書こうと思ったが、まあ具体的にいう必要はあるまい。何はともあれ、DVDが我が家に、親しい友人と共にやってきた、と思ってくだされば良い。

そういうわけで男3人、膝つき合わせて映画を見た。ソファの上で友人が姿勢を変えるさまを横目で見ながらジェシー・アイゼンバーグ演ずるマーク・ザッカーバーグの貧乏揺すりを鑑賞したのである。

ジェシーはまさしくユダヤ系アメリカ人、という外見であると思う。声の響きから立ち振る舞いまで、本当に何から何までわたしのユダヤ系アメリカ人の友人とよく似ていた。というか、友人を見ている気分になった。ユダヤ人の男とアジア人の女、という話が劇中でもあったが、彼もまた東アジアの女性を好んだ。当時のわたしには良く理解できない性癖ではあったが、あれはアメリカ社会の何らかの構造を反映していたのかも知れない、等と考えながら、アイゼンバーグのあまり動かない表情を見つめていた。そのせいで多少感情移入して楽しむことができたようにも思う。

閑話休題、映画の感想である。結論から言えば思っていたよりも良かった。何も期待していなかったから、かも知れないが、様々な点で楽しめることが多かった。たとえばアメリカで女性として生きることはどういうことか、という点も考えさせられたし(「わたしはスカーフを巻くような類の女ではない」という強烈な主張や、自らを純粋なオブジェにまで加工することの出来るある意味での極地を見せつけられた)、マーク・ザッカーバーグはやはり非常なる凡人であるな、という感想から、このような人物が突如として億万長者になるということはいかなることか、ということをしばし考えたりした。

何よりも感じたのは、タイトルの通り、合衆国とは哀しい社會であるな、ということであった。劇中に登場する様々な人間─マーク、エドュアルド、ショーン─は、みな何かしら欠けているが、何に欠けているのかもわからないほどに、その欠落性に囚われているのではないか。彼らはことあるごとにパーティーを行うが、その熱狂は何かからの逃避であるようにしかわたしには見えなかった。

うむ、なるほど西洋社会の人間は、ことあるごとに寄り集まって酒を呑み、部屋を暗くして踊り明かす、という奇妙な風習を持っている。劇中にも出てきた台詞であるが、制御を失うことを何よりの目的にしているようである – everything will be out of control, you have to come and see how it goes! – それは日常があまりにも制御されすぎているからか?制御を失うために場をあつらえるとは、果たしてどういうことであるのだろうか?

等と考えているうちに劇中の審問は終わり、ザッカーバーグが独りパソコンの画面へと向き合う孤独なラストシーンが訪れる。はて、この映画は何を描きたかったのか?「億万長者となった彼は、しかしいまでもあのボストン大学のドイツ系の娘を愛していたのでした」という悲哀の物語か?「起業には様々な物語があり、成功者の背負うものも決して煌びやかな過去だけでは無い」という若者への警鐘か?

むろん解釈はひとつではない。映画には様々な見方があってしかるべきである。けれども、少なくともわたしには、この映画が、現代のアメリカに生きることの悲哀を描き出しているようにしか見えないのである。

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