TagChina

もっと日本語は中国語から単語を輸入すべき

元来日本の知識人は西洋から横文字を輸入して漢字に直すということを明治維新以降せっせとやっていたが、ある時点から何故かカタカナのまま輸入して本意を明らかにせずに使うようになってしまった。一方中国では、カタカナという便利なものが無いためすべての概念は漢語に訳さざるをえない。日本から輸入した単語も多くあるが、最近になって出てきたものはほとんどが独自訳で、大陸中国と台湾・香港などで訳が違うものもずいぶんあるらしい。

そういった新しい単語に関して、現在日本ではカタカナを使っているが、漢字としても使えたほうが良い単語はたくさんあると思う。例えば…

全球的 (ぜんきゅうてき)

  • 意味: グローバル。
  • 文例: 「全球的視点に立って物事を考えることの必要性が叫ばれている」。
  • 応用: 「全球化」 – グローバリゼーション。「全球化全球化うるさいなぁ」。

網際網路 (もうさいもうろ)

  • 意味: インターネット。「網際」あるいは「網路」だけでも同じ意味を持つが、四文字熟語としても使える。
  • 文例: 「網際網路を駆使して調べた結果、ヤツの居所が判明した」。
  • 応用: 「網民」 – ネット民。「網民どもがまた釣りに群がってやがる」。

電脳 (でんのう)

  • 意味: コンピュータ。これは日本でも割と用例があるとは思うが、もっと主流になるべき。
  • 文例: 「新しい電脳を買ってきたら、うまく設定できない。」
  • 応用: 「電脳化」 – コンピュータライゼーション。「電脳化が進んでいる中、網路を利用した販路を開拓することが必須だと考えます」。

数拠 (すうきょ)

  • 意味: データ。
  • 文例: 「もっと多くの数拠を集めなければ、この仮説は証明できない。」
  • 応用: 「数拠分析官」 – データ・アナリスト。「当社では数拠分析官を募集しております」。

特に電脳や情報技術関連の用語はカタカナが多すぎるので、より漢字化を推し進めたい。普段はカタカナを利用していても、「ちょっとこの文章には漢語を使いたい」というときに代替となる単語があるとありがたいものだ。

ヘーゲル国務長官と小野寺防衛大臣の電話会談に関する声明全訳

以下は、Readout of Secretary Hagel’s call with Japan’s minister of Defense Itsunori Onodera の全訳である。これは、NHK が「米国防長官「日本は周辺国と関係改善を」」として取り上げている。


国防総省報道官ジョン・カービー海軍少将は以下の声明を発表した:

「今朝、チャック・ヘーゲル国務長官は、小野寺五典防衛大臣と電話で会談し、沖縄における米軍再編成のために必要不可欠である、キャンプ・シュワブ=辺野古岬における普天間基地移設先施設建設のための埋め立て要求認可を実現させるための日本国政府の努力に対して感謝の意を示した。

また彼は、米国と日本の間で最近結ばれた、環境保全問題に関して日米地位協定を補足するフレームワークの形成へ向けた交渉を行う合意の重要性に触れた。

ヘーゲル長官と小野寺大臣は、2013年10月3日の2+2宣言で明言された同盟のイニシアチブの実装に関する議論を行った。これには、日本での第二の TPY-2 ミサイル防衛レーダーの配備、および透明なプロセスの重要性が合意された日米ガイドラインの前向きな改定が含まれる。

ヘーゲル長官は、日本がその隣国との関係改善、および地域的平和と安定という共通の目標編向けた協力の促進のために努力することの重要性を強調した。ヘーゲル長官は、21世紀における安全保障上の挑戦に見合うかたちで同盟を強化していくための二者協議が継続していくことを楽しみにしている、と述べた。」

上海滞在日記 (3)

20 Jan 2013

結婚式に向かうため、6時半起床。7時に朝食。ホテルのバイキングはこれが初めてである。取り揃えは中華系、洋食系、和食系とそろっていて、なかなかよい。饅頭がうまくておかわりしてしまった。飲み物にココナツミルクがあるのもすばらしい。おかゆがあるのに後から気づいたが、時既に遅し。饅頭と春巻きで腹をいっぱいにしてしまった。紅茶もうまい。

9時15分の電車に間に合うように、7時半過ぎにはタクシーを拾って虹橋駅へと向かう。40分程度かかるのではという話だったが、20分で着いた。運ちゃん、やるね。上海の運転は皆アグレッシブで、あまりここで運転したくはないと思う。何より厄介なのは歩行者のアグレッシブさで、信号が赤でも、少しでも車が途切れたらその瞬間に皆渡ろうとする。わたしもいちいち律儀に信号を守っている訳ではないが、それにしたって程度というものがあろう…などと思ってしまって自分の日本人性を反省。

ほかの同級生と合流するまでしばらく時間があるということで、駅の中をぶらぶらした。セキュリティはまたしても非常に厳重。どこに入るにも手荷物チェックが必要だ。構内はモダンで、日本の新幹線の駅とあまり変わらない。見渡す限りアジア人。中国の子供はほほがくっきりと赤く、かわいらしい、気がする。トイレに入ったのだが、紙をおいておらず焦った。ホテルからティッシュ・ペーパーを持ってきていたのが本当に幸運だった。予約されているチケットを取得するのは中国人の友達にやってもらったのだが、なぜか受付が「一つの予約番号に対しては一つのチケットしか出せない」と主張しており、いやそんなはずはない、複数のチケットが予約されているはずだ、と言って出してもらうのに結構な時間がかかった。謎である。

目的地の常洲までは150キロほど、1時間強もあれば到着する。高速列車の中は快適で、サービスも良い。ただし、車体が微妙に右に傾いているような感覚がずっとあって、少し怖かった。後でどこの国が作っているのかを調べようと思う。

到着し、タクシーで結婚式が行われるホテルへ向かう。祝儀は3万円、人民元に換えるかどうか迷ったが、一袋くらい日本円があっても面白かろうということで、そのまま包んだ。日本的な祝儀袋は白いからだめだということで、紅い包みを購入する。実のところ、相場は800〜1000元程度らしい。まあ、よいか…数少ない友達なのだ。

中国式近代的結婚式というのは面白い。まず、二人の写真がそこら中に飾ってある。両方と知り合いなのだが、化粧とフォトショップで、本人に見えないほど加工されている。その二人が何やら雑誌の表紙でも飾りそうなファッションに身を包んで、リゾート地などでポーズを取っているのだ。ちょっとここまでやるのは日本ではないだろう。

新郎曰く「これは伝統的なものじゃなくて、あえてモダンにやっているんだ。伝統的な式は先月挙げて、今日は近代的、明日は田舎でもう一つ式を挙げた後に飲み明かす予定だよ」という。すげえな。

エンターテイナーが出てきて観客にぬいぐるみを投げまくる。これにはどのような象徴的意味があるのか。やはり出席者に対する贈与なのであろう、などと浅い思索を深める。

夜にまた別の湖南料理屋に行ったのだが、うますぎ。これが上海で最も良い経験であった。ここは通う。謝謝廣隸。

上海滞在日記 (2)

19 Jan 2013

昨夜会合したポーランド人の彼女は今ロシア系のメディア企業でグラフィックデザイナー見習いをやっているという。仮にも人類学部を出たのにお互い全く違う仕事をしているね、と苦笑い。その後、いやいやこれもエスノグラフィの一環なのだよ、という人類学者お決まりの言い訳をする。彼女はすっかり中国嫌いモードに入ってしまったようで、次に会ったときは「白酒はわたしが見た中で最も disgusting なお酒ね」と言っていた。これはさすがにわたしも「いや、僕好きだけどね、白酒」と反論してしまった。こと食い物と飲み物に関しては中国はすばらしい。その後も、バロット(毛蛋)と皮蛋の区別がついていなかったりで、本当に中国学を勉強したのか、と思ってしまう。他文化に対してまずは理解する姿勢を示すことを人類学は教えてきたと思うのだが。

朝、11時頃起床、ホテルの朝食には間に合わなかった。昨夜 Twitter で連絡が取れないので Gmail で自分の上海での電話番号を教えておいた友人から電話がかかってくる。1時に約束。倫敦時代の数少ない友人の一人だ。彼は父親は台湾系三世、母親は韓国人で国籍は台湾だが生まれと育ちは京都、大学は倫敦、東京で少し働いてからまた倫敦の大学院を出て、その後に上海の広告エージェンシーで働いているという異色の才能である。中国語はあまり話せなかったのにすっかりうまくなっていてビビった。彼の語学センスには凄まじいものがある。

新天地の小洒落たチャイニーズをつまんだ後に、タクシーで小汚い小籠包屋に行く。これがまたうまい。高い蟹肉小籠包もうまかったが、結局豚肉を使ったスタンダードなもの(15元)が一番良い気もする。いろいろと連れて行ってもらってありがたかった。圧倒的な上海のエネルギーというものを感じることができた。おばちゃんのバイクの後ろに10元払って載せてもらったりした。あれはいいものだ。もう少し空気がよかったら、また利用されてい字体が繁体字だったら、ここに住んでもよいな、と思う。簡体字はどうも美的に優れないとやはり感ずる。書きやすくはあるのだろうが。旧漢字圏は丸ごと正字に戻してしまうべきである。そうすればもっと地域内の交流が進むに違いない。

夜、JC Mandarin に集合、LSE 時代の友人と再会。湖南料理を食す。うまい。白飯が、何やらジャポニカとインディカの中間のような面白い米なのだが、ふっくらと炊いてあってとてもよい。中華料理は日本ほど米の炊き加減にこだわらないと思っていたので、これは初めての経験だった。小さな容器に入れて蒸したものをそのまま出している気がする。毛沢東が湖南省の出身であったということで、マオ元主席が好んで食したというエビ料理なんかもメニューにある、が、雲南省出身の友人が「それはおいしくない」というので頼まなかった。水煮牛肉、茄子炒め、などなど。デザートには、甘酒の中に白い団子が入ったものを食す。これもとてもうまい。

どうでもよいが「雲」の簡体字は「雨」の部分を省略したもので、何というか、ちょっと意味が分からない感じがある。

同級生の多くは一年以上会っていなかったが、皆変わっていなかった。まあ、この年になって一年やそこらで人間が変わることはもうないだろう。わたしも、自身の体感としては中学生後半位からはあまり変わっていないと思う。もちろん、久しぶりに会った友人には、多少の変化を指摘されたりはするのであるが。

上海滞在日記 (1)

これは2013年1月に上海を訪れた時につけていた日記の抜粋である。

18 Jan 2013

上海行き当日。深夜から準備を始めて、最終的に就寝したのは3時と言ったところだったろうか。旅行のための準備ほどおっくうになるものはない。

旅立ちの朝というものは、なぜこのように哀しくなるのだろう?モノレールから眺める景色は団地と会社と高層ビルの繰り返しで、まさしくうんざりするような東京なのだが、もうしばらくこの風景を見ることはできないのだと思うと、それすらもどこか美しく、哀しいもののように思えてくる(ところで─美しいものは哀しいものである、というこの感覚は、どこで培われたものなのだろうね?)。

モノレールでは二人の定年をすぎた会社員たちと同席した。彼らは自分が定年してからも同じ仕事をしていること、にもかかわらず給料が減っていることを、どこか哀しそうに、あるいはどこか楽しそうに話していた。隣に座っている女の子はただ目を瞑ってじっとしていた。

空港では土産としてハンドクリームとボールペンを購入。まあ、こんなものだろう。クレジットカード会社が提供しているラウンジを初めて利用したが、なかなかよかった。これなら空港で数時間過ごさなくてはならないときでも大丈夫そうだ。これからも積極的に利用していこうと思う。

上海へはすぐに到着した。飛行機に乗って、朝飯を食べ、一眠りしたらもうアジア大陸の上を飛んでいた。2時間半と言ったところだろうか。遠いようで近い国だ。虹橋空港に到着する際にちらりと見えた地上には、同じような建物─おそらく団地だろう─がどこまでも並んでいた。これが社会主義というものか。

旧共産圏に来るのはもちろん初めてだし、よく考えてみればアジア大陸に来るのすら初めての経験である。厳密に言えば釜山に会議で二日ばかりいたことがあるけれど、会議ばかりでほとんど観光もしなかったし、大阪から一時間しかかからない、日本の携帯の電波が入るようなところだったので、それはカウントしないことにする。

安全についてどれくらい警戒してよいかわからなかったから、さしあたって最大限に周りを警戒しつつスーツケースを運んで地下鉄に乗った。セキュリティはかなりしっかりしていて、地下鉄に乗るだけでも荷物のチェックが入る。しかし、小型爆弾を内側のポケットに忍ばせていれば、持ち込むことは不可能ではなさそうだ。もちろん、そういうことをするつもりはないけれども。

地下鉄10号線の駅はほぼ日本とかわらなかった。何方かと言えば東京の南北線に近いようなイメージだ。午後の紅茶の広告がでかでかと貼ってあり、自販機ではスプライトが売っている。なるほど、なるほど。

陝西南路 Shanxi Nan Lu 駅で下車し、エスカレーターを上って駅から出た瞬間に目に入ってきたものは、バイクが歩道を走っている風景であった。なんだかそんなにヨーロッパと変わらないなと思っていたが、確かにこの無秩序さとパワーは間違いなくアジアである。きれいなブランドショップが入ったビルの横で、そのブランドの偽造品を露店で売っているような風景。西洋的なものとアジア的なものが、融合するというよりかは、互いに異物としてただ存在しているような風景。今まで経験したことのない雰囲気である。

前日にブックしたホテル・オークラまでは徒歩10分ほど。多少迂回的なルートを通ってしまったようだが、高いタワーの一番上にホテル・オークラと書いてあるので、迷うことなく到着することができた。チェック・インは当初英語でやるつもりだったが、日本のパスポートを見せた瞬間に向こうが日本語を話してきてくれたので、スムーズに終わった。なるほど。

ちなみにホテル・オークラの中国名は花園飯店 huayuan fandian である。オークラの名は含まれていない。中国語名も日航飯店の日航ホテルと比べると、なかなか興味深い。また、ホテルは「飯店」あるいは「酒店」なのだが、レストランもまた同じ単語で示されるようだ。そこに差異が見いだされないのがまた興味深い。

ホテルの部屋には有線LANしか存在しないので、MacBook Air に接続するための USB アダプタを Apple Store まで買いにいくことにした。SIM を購入するついでに相談すると(ちなみにμSIMが欲しいのだがと言ったら「いいわよ、カッターマシンがあるから」と言ってその場で切り出してくれた。すげえな)、徒歩20分程度だと言う。それなら見学ついでに歩いていくか、と決めて、謝謝、拜拜。

さて上海の街だが、どこに行っても空気が汚い。もちろん東京も基本的には空気が悪いのだが、そういうレベルではない臭さである。東京は臭いところと臭くないところが明確にあるが、上海は基本的に、どの路地を歩いていても臭い。これは凄まじいことである。上海の人口は東京よりも少ないというのに、どうやればこれだけ広大な土地をこれだけ汚染させることができるのだろうか?(この数日前に、北京の大気汚染が危険なレベルに達したため政府が市民に出歩かないよう勧告したらしい、というニュースを聞いた。すげえな。)(ちなみに Air Pollution Index というのを見てみると、上海の汚染度合いは北京よりも上であった。おいおい。)わたしは元来喉があまりよい方ではないので、数時間で喉の異常を感じ始めている。

ラッキーなことに Apple Store ではある程度英語が通じたので、難なく買い物できたのだが、隣の GAP では何も理解してもらえなかった。レジで何か問題が発生して少し待たなければならなかったのだが、店員の小姐には目すらあわせてもらえなかった。普通話をもっと勉強しなくてはならない。

そこから人民広場まで歩いて(汚染された大気の中を。できればもう100年早くここに来たかった)、南京東路で米粉を使った麺を食す。しかし人が多いのと道が広いのととにかく空気が悪く雑多なのと…あまり快適という訳ではなかった。米粉も悪くはなかったが、歯ごたえが個人的には気に食わなかった。小麦麺の方が好みである。タクシーで帰投。

ホテルに帰ってから気づいたこと: Facebook / Twitter に接続できない。VPN にもうまくつながらずにお手上げ状態。何が共産党をここまで追い込んでいるのだろう。べつに SNS につながったから暴動が起こる訳じゃないと思うが…まあ、中東などの例もあるが、結局重要なのはどこまで人民に不満がたまっているかということなのではないか。イラン革命の経済的な下地についてのペーパーを読んだことがある。すべてを下部構造に還元するある種のマルクス主義は支持できるものではないが、しかし、それを完全に無視することは当然できない。

夜は、UVA Italian Wine Bar で LSE 時代の友人と再会する. 彼女はポーランド人で、中国研究をしてからこちらに来たのだが、何方かと言えば上海の無秩序さにうんざりしているようだ。「クリスマスは海南島に行ったのだけれど、」と彼女はぼやく、「タクシーの態度が最低!運転手が5分に一回は唾を外に吐き出してて、すごく不快な気分!空港から明らかに別のホテルに送られて、実際のホステルがどこにあるのか確認するのが本当に手間だった。もう二度と行きたくない。」彼女によれば、上海はどこもかしこもショッピングモールばかりで、文化というものが感じられないらしい。今週の頭に香港に行ってきたが、それはとてもよかった、ということ。少なくとも上海は気に入っていないようだ。なるほど、ワルシャワに育ち、倫敦で学生生活を送った身としては、そういうものなのかも知れない。まあ、アジア的混沌というものが肌に合わない人はいるのだろう。どちらかというと生理的な問題のような気がするので、早いところより欧州に帰るか、東京辺りに逃げ出すことをお勧めする。

The Mahjong Society

LSE には「麻雀部 The Mahjong Society」なるものがある。

大学公認の組織である。サークル紹介のとき、ブースを見つけておったまげた。私にとって麻雀とは友人と徹夜で下らない話しをしながらだらだらやるもので、部活動をつくってまで遊ぶという発想はなかった。と言うか、日本の大学で「麻雀部をつくりたいんですが、いいですか」と学生担当に案を持っていったら、「ふざけるな」と一刀両断されてしまいそうだ。あ、でも、「咲-Saki-」っていう漫画はあったな(どうでもいいがこの後麻雀部に所属する香港人のロナルド君はこの漫画の愛読者であったことが発覚する)。

一も二もなく入部した。まさか倫敦に来て麻雀ができると思わない。また一人で論文を読みあさる日々が始まると思っていたのだ。この喜びと言ったら無い。最初の会合には思わずスキップで向かってしまった(ほんとに)。友とグロッキーになりながら朝まで牌をかき混ぜたあの自由と放埒の日々よふたたび!

もちろん事態はそう簡単には推移しなかった。麻雀部に入っていたのは大半が香港人であり、この部の主流は広東麻雀であったのだ!中国の麻雀が日本とは違うというのは聞き及んでいたが、あまりに違うので吃驚した。まず牌がでかい。実に、本当に大きいのだ。あれより大きいものはまず存在しない。具体的には日本の牌の倍ぐらいの大きさがある。いわゆるゲタ牌という奴である。ルールも随分と違うようだ。まず点棒がない。そもそも中国でも地方差があるようで、「広東麻雀」「上海麻雀」「台湾麻雀」など様々だ。ちなみに台湾麻雀の牌は日本より少し大きいくらいである。と言うわけで最初の会合、行きはスキップだったのに帰りは重い足取りになってしまったのであった。

しかし転んでもただでは起きない、をモットーにしなければ生き残っていけないような倫敦という土地。会合で「日本麻雀できるよ」と言う奴をひとりだけ見つけ、facebook を交換しておいた。それが先ほど名前の出た重度のオタク、19歳香港人、何を専攻しているかは知らないが日本麻雀から台湾麻雀、越南麻雀までたしなみ、ついでにブリッジ部(体操ではなくてカードゲームの方だ)の部長も兼ねるという無駄にスーパーな男、ロナルドである。中国名はなんなのか知らない。

かれにうまくオーガナイズしてもらって、香港人をもうひとり(名をケビンという。中国人が西洋に来て英語名を使うのを見るは面白い)、日本人をもうひとり(カツさんという30代でマネジメントを勉強しに来た数少ない自費留学生─LSE 修士課程にいる日本人は大多数が官僚なのだ)連れてきてもらい、麻雀を遊ぶ準備が整ったのである!

既に2回ほど集まって遊んだ。最初はロナルドがバカ勝ちした(ネットで手に入る情報からすべて学んだので、日本人と遊ぶのはこれが初めてだという。凄いゲームセンスだ)が、二回目はうまく立ち回ってわたしが勝った。日本人としての面子…は別にかかっていないが、ぼろ負け続きだと中学から共に麻雀を遊んできた友人たちにいじめられそうなので、思わず奮闘してしまった。特にこの話にオチがないことに今気づいたが、まあ、こういう課外活動もある、と言うことで話を締めくくっておこう。

(報告するのを忘れていたが、British Council の「オンライン広報大使」というものになった。英国の留学生生活をより多くの人々に知ってもらおう、という趣旨らしく、この記事も、その活動の一環として書き始められたものだ。途中でなんだかよくわからなくなってしまったけれど…まあこういうのもありだよ)

© 2017 The Long Wait

Theme by Anders NorénUp ↑