わりとネタバレなので未見の方は注意するべし。では以下、幾ばくかの感想と考察を。

結論から言えば、良かった。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (以下「Q」とする) は、前作である「破」からの展開をストーリイとしてきちんと継続させたように思える。「破」からどのように物語を継続させるのか、あまり考えもなしに劇場へ赴いたが、なるほど確かに「破」の展開を考慮しつつエヴァとして成立させるためには、筋書きはこのような形式でなければならないだろう。

たしかに「Q」は一見、想定もしなかった大どんでん返しであるように見える。前作「破」のラストシーンで、かつてない勇気を出して綾波レイを救ったかに見えた碇シンジは、しかし、実のところサード・インパクトを引き起こし人類を半ば壊滅させていたことが「Q」では明かされる。それはシンジを、そして視聴者をある種の絶望に叩きこむものであったには違いない。

けれども、このような展開でなかったとしたら、どのような筋書きがありえただろうか?考えてみれば前回のラストでシンジがこれまでにない勇気を奮って「レイを救う」という決意を見せた瞬間、そこをクライマックスとしてシンジの最初の物語はすでに終わっていたのだ。主人公である彼は、旧劇場版あるいはアニメ版において、世界とのつながりを絶ち自らの殻の中だけで生きようとしていたことを思い起こそう。その状態から、自らの望みを叶えるために、運命の流れに逆らって自らを世界へと投げ出した、それがシンジにとって可能になった瞬間、少年の物語はひとつ終わっているのである。このまま何もなければ、「Q」は新しいシンジの英雄譚として現れたことだろう─しかし、それは単なる「破」の後日談にすぎない。

世界の中で何がしかの活動を起こすことは必ずしも自らの想定した帰結のみを引き起こすわけではない。むしろ活動は想定されなかった結果をこそより多く生むのである。それが強い意志において行われた活動であれば、余計にそうである。結果を予測することができないということ自体がその本性的な性質であることを、われわれはよく知っているはずだ。

「わたしは人類を破滅させるつもりなどなかった。だから、わたしにはこの惨状は関係ない」と、シンジはいう。それはある意味で正しい。彼はレイを救おうとしただけだ。けれどもそれはかつて存在した世界の終わりという想定しない結果を引き起こした。たとえ世界が破壊され、人類が壊滅したとしても、行動の動機が正しければその責任は不問に付されるべきだ─とあなたは考えるだろうか?

わたしはそうは思わない。ヱヴァに秘められた力はシンジにもすでに明らかであったはずだ。彼は力を手にし、それを使って世界を自らの望む方向へとシフトさせようとした。その結果として世界にヒビが入ったとして、それが彼の責任でないはずがないのだ。

一方で、今回のシンジは、しばしば言われるように「旧劇シンジ」へと逆戻りしたのではない。彼はたしかに自らのなした所業にうまく対応できず、阿呆のような振る舞いを見せ、「ガキシンジ」とアスカに呼ばれる─が、それは彼が前進していることを逆説的に証明しているのだ。「何かをなすことを恐れて引きこもる」人間と、「何かをなし、その結果に自らおののいている」人間が同一であるはずがない。だからわたしは、今回はじめて、シンジにエールを送りたいと思う。何かをなし、なお生きることは辛い─英雄として死すことほど楽なことはないのだ。だが、われわれはそれでもなお、生きていかざるを得ない。