「インディアナポリス」は差別語か? という議論がはてなブックマーク上で話題になっている。山本弘氏が1940年台のアメリカを舞台にした会話文の中で「インディアン」という言葉を使ったことに対して、編集者が「先住民」への置換を要請した、という話だ。

オクラホマの田舎の農家の主人が、近くに住んでいる学者について語っている箇所だ。時代設定は1940年である。
「いや、大学で数学を教えてたとか聞いたな。今はこのあたりで、インディアンの塚を調べてる」
この「インディアン」が差別語だから「先住民」に変えてくれというのだ。

この問題に関する山本氏の議論は以下のようなものだろう。

  • 「インディアン」という言葉がある程度センシティブであることは認める。しかし、「インディアン」が差別語か否かという点については議論がある。
  • 仮に「インディアン」という言葉を利用したとしても、抗議など来る可能性は極めて低い。
  • この言葉が使われているのは会話文であるが、1940年のアメリカの田舎者が「先住民」という言葉を使うはずがない。

一方、当の編集者とみられる方から反論があった。

「リアリティ」というならば、その当時、その地域に本当にインディアンがいたのか
いたのであれば、実際にその地域に住んでいた部族の族称で書けばいいじゃないか、ということです。
「アパッチ族」とか「いあいあ族」とか…。

元原稿では地の文で「先住民」が1回、会話で「インディアン」が1回。
同じものを違った表現で書くのは混乱のもとですし、著者自身「差別語」と認識して地の文では使わないというなら
会話でも統一したらどうかとご提案しました。

編集者の議論をまとめれば、

  • 「インディアン」ということばがセンシティブであって、かつ、差別語か否かという点について議論がある点は認める。しかし、差別語であると思う人間がいるのであれば、それは使うべきではない。
  • 抗議が来る可能性が極めて低いとしても、それは 0% ではない。
  • 地の文でこの言葉を使っていないのは、著者自身に差別語という認識があるからだ。
  • 歴史のリアリティということであれば、その地域の部族の名前を使えばよい。

整理してみると、この議論は山本氏に利がある。簡単なものから順に見てみよう。

「歴史のリアリティ」とはなにか

まず、編集者の出している対案─実際の部族名を使うという点について。これは議論にならない。問題になっているのは、「1940 年、オクラホマの田舎の農家の主人が使う言葉はなにか」という点である。大学教授どうしならまだしも、このような会話で族名が出てくるのは極めて不自然である。そもそも研究対象がひとつの部族だけなのかもわからない。編集者は、「歴史のリアリティ」に関わる論点を誤解している。

「インディアン」は差別語か

編集者の文章内では、「インディアン」は差別語か否かという点についての認識がぶれてしまっている。ある言葉に関して、それが差別語であるか否かという点については、いくつかのレベルがあるだろう。

  • (a) 大多数の人にそれが差別語であるという認識が共有されている。
  • (b) それが差別語であるか否かという点について議論がある。
  • (c) 大多数の人にそれが差別語でないという認識が共有されている。

山本氏は、この言葉は上記の分類では (b) に属する、という理解で一貫している。しかし、編集者は、前半では (b) としながらも、「地の文でこの言葉を使っていないのは、著者自身に差別語という認識があるからだ」という議論によって、後半では (a) のポジションへ移動している。これは議論の運びとして誠実ではないといえる。

差別語であるか否かという点について議論があるのであれば、使うべきでないか

山本氏が地の文でこの言葉を使っていないのは、まさしくこの言葉が (b) に属すると理解されているからではないか。すなわち、「絶対に使ってはいけないものではないが、何か理由がないのであれば代替語がある」というものだ。そして、この場合、この言葉を使うための「何がしかの理由」が上記の「歴史のリアリティ」というものである。

最終的な争点は、「歴史のリアリティ」というものが、論争的な用語をあえて使う十分な理由になりえるか、というものであろう。この点についてはまだ議論の余地があるが、私は、リアリティのために必要な範囲で、但し書きをつけた上で利用する、というところが落とし所であろうと思う。

(補) 「先住民」という言葉は問題を含まないか

これに関しても議論がある。当該 Wikipedia エントリをそのまま翻訳する。

「先住民 Indigenous Peoples」という言葉の使用に対して否定的な議論としては、 (a) 17 – 18 世紀におけるヨーロッパによる植民地化によって被害を被った人々にのみ使用されるものではなく、 (b) 世界のすべての先住民グループをひとつの「他者」に一般化し、 (c) 「先住」という定義に必ずしもあてはまらない移民集団の記憶を認めることに失敗している、などがある。また、カナディアン・インディアンの一部では、フランス語である indigène という言葉が歴史的に蔑称として利用されてきたことから、この言葉は好まれない。