米国カリフォルニア州に移動して九ヶ月ほど経過し、色々とわかってきたこともあるので、雑感をまとめておく。

わたしは基本的には同一の会社内で、東京支社から本社へと移動した。東京支社では同僚のほとんどが日本人であり、労働現場での共通言語は日本語であった。当然ながら米国ではそのようなことはなく、ずっと英語である。そのためか多少英語が上達したと思う。以前はある話題について何を発現するか事前に脳内を整理し、処理しておかなくてはいけなかったが、現在では多少なら思考しつつ発話することが可能になった。

労働はしやすい。大変風通しのよいチームで、自宅勤務 (WFH) も必要に応じてすることができる。日本では勤務態度について厳しいコメントをされることもあったが、米国では比較的まじめに職場に来ている方であると思う。これはもちろん、企業、さらにはチームによるであろうから、一般化はできない。私の場合には、ということである。

大変興味深い住宅事情や、地形・気候などの地理学的洞察についても書きたいが、トピックをあえてひとつに絞るならば、「どのような人間として評価されるか」ということが大変に変わった、ということを特筆すべきであろう。

わたしが務めている会社では、ピア・レビューといって、共に働く同僚に「この人間はこの点がよく、改善点はこうである」、などといったフィードバックをお願いする制度がある。その際に偉えるフィードバックは、第一には自己にとっての最適化目標を提示するものなのだが、他方ではその職場環境がどのようなものであるかについての知見を提供してくれる。日本では、わたしが得られるフィードバックの大半は、「論理的なところがよい。コミュニケーションのとりかたをより改善すべき」というものであり、同じような意見を得ることをある程度期待していたのだが、米国で得られたものは全く異なるものであった─同僚の大半が、わたしを「実行力があるところがよい」と評価し、「論理的」、あるいはそれに類した評価を下した人間は一人もいなかったのである。そのような意見は、日本滞在時には見られないものであった。

特に仕事のスタイルを大幅に変えたという自覚はない。当然ながら環境に影響されて無自覚的に行動パターンは変化しうるのであるが、これはどちらかと言うと、そのチーム、職場の環境がどのようなものであるか、そこで何が望ましい、あるいは望ましくない行動として捉えられているか、という認知の構造を表しているものであるかのように思われる。

同一の会社内でオフィス間を移動するだけで大きな変化が見られるということは、多国籍企業を経営していくということの困難さを端的に表している。特にいわゆる「外資系」企業においては、本社が重要視する文化や価値観というものを、いかにして他国で醸成してくか、という大きな課題があるように思われる。当然ながら、それを諦め、現地流の経営に任せる、というやり方もひとつの解ではあるのだが、支社内で何が起こっているかがブラックボックスになってしまう危険も伴う。この辺り、経営学などの分野においては既に先行研究がありそうだ。