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「テロリストの入国からアメリカを守る」トランプ大統領令の何が問題か?

トランプ大統領は、「テロリストの入国からアメリカを守る」ための大統領令を1月27日に発令。それとともにアメリカ中で反対運動が巻き起こった。事態は依然進行中であるが、そもそもこの大統領令が何を意味するのか、何が問題視されているのかを、実際に法律を読み解きつつ考えていきたい。わたしは法律家ではないが、いつだって原文にあたって見るのが思考を整理するためには最良の方法であると考えている。

ポイント

  • この大統領令は、既存の法律である移民国籍法で大統領に与えられた権能を基にしているが、合法であるか否かは論争がある。
  • 既に合法的にビザを取得し、平和的に米国内に居住している人に対しても影響がある。
  • 米国に在住するアメリカ国籍を持たない人にとっては、マインドセットの大きな変更を強いられる出来事である。
  • 政治的には「ムスリム・バン」として象徴的に機能するにもかかわらず、法的にはそのような実装がされているわけではない。
  • このような大統領令は、同じ法律を根拠にしたものに照らし合わせても前例がない。
  • テロリストの入国を妨げる役にはおそらく立たない。

大統領令の構造を理解する

そもそも実際にこの大統領令はどのような構造になっているのか。大統領といえども、何でも何に関しても好きなように出来るわけではない。行動を正当化する法律がその根拠にあるはずである。ホワイト・ハウスがこの大統領令の全文をオンラインで公開している。まずはこの大統領令で特に現在重要視されている点を抜粋し翻訳しよう。

Sec. 2.  Policy.  It is the policy of the United States to protect its citizens from foreign nationals who intend to commit terrorist attacks in the United States; and to prevent the admission of foreign nationals who intend to exploit United States immigration laws for malevolent purposes.

(燕石私訳) 第2条. 政策. 合衆国内でテロ攻撃を行う外国人からその市民を守り、悪意をもって合衆国の移民法令を悪用することを意図する外国人の入国を防ぐことが合衆国の政策である。

ここでは、「この大統領令が何のために発令されたのか」と言うことが提示されている。名前の通り、「テロリストの入国を防ぐ」ことが目的である。次に、

Sec. 3.  Suspension of Issuance of Visas and Other Immigration Benefits to Nationals of Countries of Particular Concern.  (a)  The Secretary of Homeland Security, in consultation with the Secretary of State and the Director of National Intelligence, shall immediately conduct a review to determine the information needed from any country to adjudicate any visa, admission, or other benefit under the INA (adjudications) in order to determine that the individual seeking the benefit is who the individual claims to be and is not a security or public-safety threat.

(燕石私訳) 第3条. 特に懸念のある国の国民に対するビザおよびその他の移民上のベネフィットの停止. (a) 国土安全保障長官は、国務長官および国家情報長官との協議のもとで、移民国籍法に基づいてビザ、入国、その他のベネフィットに関わる審査を請求する個人が、かれが主張するとおりの人間であり、安全保障上あるいは公安上の脅威でないことを裁決するために、どのような国からでも必要な情報を決定するためのレビューを直ちに執り行う。

前記の目的を達成するために、直ちに、現存するビザ発給および入国の許可に関わるプロセスを再度総点検するのだという。トランプが選挙期間中に示してきたビジョンの通り、「現在のプロセスはどうしようもない」から、「新しいプロセスを作る必要がある」というわけである。

(c)  To temporarily reduce investigative burdens on relevant agencies during the review period described in subsection (a) of this section, to ensure the proper review and maximum utilization of available resources for the screening of foreign nationals, and to ensure that adequate standards are established to prevent infiltration by foreign terrorists or criminals, pursuant to section 212(f) of the INA, 8 U.S.C. 1182(f), I hereby proclaim that the immigrant and nonimmigrant entry into the United States of aliens from countries referred to in section 217(a)(12) of the INA, 8 U.S.C. 1187(a)(12), would be detrimental to the interests of the United States, and I hereby suspend entry into the United States, as immigrants and nonimmigrants, of such persons for 90 days from the date of this order (excluding those foreign nationals traveling on diplomatic visas, North Atlantic Treaty Organization visas, C-2 visas for travel to the United Nations, and G-1, G-2, G-3, and G-4 visas).

(燕石私訳) (c) 本条第(a)項で説明されたレビューを執り行うあいだ、一時的に関係当局の調査の負担を軽減し、また外国人の適切な審査のため現在あるリソースの最大限の活用を可能にし、また外国人テロリストや犯罪者による潜入を予防するための適切な基準が設定されることを確実にするため、移民国籍法第212条(f)項、8 U.S.C. 1182条(f)項に従い、移民・非移民を問わず、移民国籍法第217条(a)項(12)号に指定された国の外国人による合衆国への入国は、合衆国の国益にとって有害であるとわたしは宣言し、ここに、移民・非移民を問わず、該当者の合衆国への入国を、この大統領令の日付より90日間停止する(但し、外交ビザ保持者、NATOビザ保持者、国連へ旅行するC-2ビザ保持者、G-1、G-2、G-3、G-4ビザ保持者の外国人を除く)。

そして、そのレビューに集中したいから、一時的にテロリストかもしれない人は入国禁止ね、という問題の条文がここで出てくる。ほかに重要な点としてはすべてのシリア難民の入国一時停止(こちらは時効なし)があるが、とりあえずはここでいったんストップしよう。

押さえておきたいことは、どの国家からの入国を禁止するかに関して、既存の法律である移民国籍法第217条(a)項(12)号に基づいた指定が行われていることである。具体的に書けば、これらの国とは、イラク、シリア(この両国は法律に直接ハードコードされている)、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン(これら5カ国は行政の指定による)の7カ国である。これらの国家は、いわゆる「テロ支援国家」として以前から指定されている国家群であり、オバマ政権時に成立した「テロリスト移動防止法」により、ESTA 発給の停止がなされていた。

またここでは、この大統領令は、移民国籍法第212条(f)項に従ったものであると明記されている。では、移民国籍法第212条(f)項はどのようなものであるのか。さらに翻訳を続ける。

(f) Suspension of entry or imposition of restrictions by President. Whenever the President finds that the entry of any aliens or of any class of aliens into the United States would be detrimental to the interests of the United States, he may by proclamation, and for such period as he shall deem necessary, suspend the entry of all aliens or any class of aliens as immigrants or nonimmigrants, or impose on the entry of aliens any restrictions he may deem to be appropriate.

(燕石私訳) (f) 大統領による入国停止、あるいは制限. ある外国人、あるいはある種類 class の外国人による合衆国への入国が、合衆国の国益にとって有害であると大統領が判断した場合、かれは、宣言により、かれが必要であるとみなした期間のあいだ、移民・非移民を問わず、どのような外国人、あるいは外国人の種類 class であっても、その入国を停止する、あるいはその入国に対してかれが必要と見なすどのような制限をも課すことが出来る。

つまり、米国の移民国籍法は、大統領の判断によって、移民であろうと無かろうと、外国人の入国を拒否することを許容しているのである。この条文からは、確かにトランプにはこの宣言を出す法的権能が備わっていると言うことが出来るだろう。

そもそも外国人に関して、誰が入国可能であり、誰が入国を拒否されるかという点に関して、政府は基本的にフリーハンドを持っている。現在の国際的秩序の中では、国籍を持たないものに人権はない。政府は自国領土の中に住んでいる外国人に関して人権を保証する義務はないといって構わないだろう。これ自体は大きな問題であるが、このような秩序の中では、少なくともトランプの大統領令は合法ではあるように思われる。

そもそも合法なのか?

しかし当然ながら、話はそう簡単ではない。この大統領令が果たしてそもそも合法であるのか、現在アメリカでは盛んに議論がなされているようだ。この移民国籍法は1952年に書かれたものであるが、より新しい、1965年に書かれた移民国籍法には、こう書いてある。

(A) Except as specifically provided in paragraph (2) and in sections 1101(a)(27), 1151(b)(2)(A)(i), and 1153 of this title, no person shall receive any preference or priority or be discriminated against in the issuance of an immigrant visa because of the person’s race, sex, nationality, place of birth, or place of residence.

(燕石私訳) (A) 本(2)号および1101条(a)項(27)号、1151条(b)項(2)号(A)(i)、および1153条に特定された場合を除いて、何人も、人種、性別、国籍、出生地、また住居地によって移民ビザの発行に関する優遇、優先、または差別を受けることはできない。

この条項により、少なくとも移民ビザの発行プロセスに関しては、ある人の国籍に基づいてその発給の可否を決定することは禁止されている。ただし非移民に関してはその限りではない。大統領令は移民・非移民に関わらず、と明確に書いてあるので、少なくとも前半部分に関して、国籍をベースにして移民ビザの発給を停止することはこの条項に違反している。問題は、ふたつの条項のどちらがより優先されるか、である。

この他、憲法によって保証されている諸権利 – デュー・プロセスの欠如、平等な保護、そして(解釈によっては)信仰の自由 – を侵しているという主張も成り立つ。しかしこれらの憲法によって保証されている諸権利に関わる主張はぐっと哲学的問題に近くなってくるため、法律に照らし合わせてどうか、という議論を行うのはそう簡単ではない。

既に合法なビザを持っている人間もこの大統領令の対象になるのか?

なる。当該国の国民であれば、既に合衆国政府によって合法的に発給されたビザを持っていたとしても、入国は禁止される。これは非常に大きな問題である。わたしの同僚にもH-1Bで米国に滞在しているイラン人がいるが、かれはこの大統領令によって、実質的に出国が禁止されてしまった。一度出てしまえば、もう米国には帰ってこれないからである。合法的なプロセスに基づいてビザを取得したにも関わらず…。この大統領令による禁止自体は90日間だが、いつ何時次の(同じような)大統領令が発令されるかわからないため、米国を出国することは大きな不確定要因に身を委ねることに等しい。

この大統領令が発令された当初は、永住権を持つグリーンカード保持者も同様に入国が禁止された。その48時間中に起きた大きな反発と訴訟を受け、国土安全保障長官ジョン・ケリー John Kelly が、長官に例外的入国を認める権能を与えた第3条(g)項に基づいて、「合法的な永住者の入国を認めることは米国の国益にかなう」という宣言を出したため、現在はグリーンカード保持者の入国は認められるようである(ただし数時間に渡る追加的な検査が入国審査時に行われる可能性あり)。

この大統領令は、合法的に米国内に入国し、法律を守りながら暮らしている外国人であったとしても、政権の動向次第で一夜にして非常に厳しい状況に追い込まれうるということを内外に示した。次に入国が制限・禁止されるのが誰であるのかはわからない。日本と米国の関係が少しでも悪くなったらすぐに、わたしも似たような状況に陥ってしまうかもしれない。最悪のシナリオを考えて行動しなくてはならない、ということがはっきりと示されたのである。

これは「ムスリム・バン」なのか?

政治的にはそうであるが、法的にはそうでない。それがこの大統領令の狡猾な点である。トランプは自らの選挙公約である「ムスリム・バン」を、いかにして法的に実現可能にするかというタスクを優秀な法律家に与えたのであろう。その結果がこれだ、とわたしは考えている。これは政治的あるいは象徴的にはムスリムに対する入国の制限を行うものであるが、法律としては「既存のブラックリストを利用し、既存の法律で与えられた権能を用いた」ものになっている。当然元来想定されている権能の利用法ではなく、一種のアビューズということすらできるが、それでも一定数の法律家をして「これは合法である」と考えさせることのできる程度の法的説得力を持つものになっている。

前例はどのようなものがあるのか?

移民国籍法第212条(f)項が適用された大統領令は過去、以下のようなものがある。

  • 2014年3月19日、オバマ: ウクライナの情勢を作り出すことに特定の仕方で貢献した外国人の入国停止。特定のロシア連邦政府高官、ロシア軍人など。
  • 2007年7月3日、ブッシュ: レバノンの主権と民主主義を脅かした外国人の入国停止。レバノン政府高官など。
  • 1993年12月14日、クリントン: ナイジェリアの民主制への移行をさまたげた政策を形成あるいは実行、もしくはそれらの政策から利を得た外国人の入国停止。

見てわかる通り、これらのケースが対象とするものは全て非常に限定されており、当然ながらある国籍を持つ外国人全てに対して処置をとるものではない。それが制裁として持つ外交的意味も明確である。今回のトランプによる大統領令は、特定の国籍を持つ人間全てを対象としている点において前例がなく、法令の想定していなかった利用であると言わざるを得ない。そもそもなぜイラン人市民1人の入国がアメリカの国益にとって大きな脅威であるのかを説得的に提示することは、トランプ政権の誰にもできないであろう。

この大統領令はテロリストの入国を妨げる役に立つか? (追記)

おそらくない

まず、入国が禁止されている7カ国からの渡航者がテロを起こしているという事実はない。BBC によれば、アメリカ国内で 9/11 以降に発生したテロ攻撃の犯人の 82% がアメリカ国籍あるいはグリーンカード保持者である。 9/11 の主犯勢は基本的にサウジアラビア国籍であった。また、最近発生した事件に関していえば、犯人は指定7カ国出身者ではない。

  • フォートローダーデール空港銃撃事件 (2017年1月): アメリカ国籍
  • オーランドナイトクラブ銃乱射事件 (2016年7月): アメリカ国籍。両親はアフガニスタン出身
  • サンバーナーディーノ銃乱射事件 (2015年12月): アメリカ・パキスタン二重国籍。両親はパキスタン出身

以上のように、この大統領令で直接的に入国が防がれるであろう人間によるアメリカ国内での大きなテロ行為は、少なくとも過去には存在しない。調べた限りでは、指定7カ国出身者による死傷者の出た事件は確認できなかった。「両親がイラン人移民のアメリカ人」などによる犯行はまれに存在するが、この大統領令はアメリカ国籍を持つ人間の入国を阻止するものではない。

また、この大統領の主眼であるビザ発給プロセスの再検討もあまり大きな果実があるものとは思われない。そもそもここで指定されている7カ国は、「これらの地域に渡航した過去のあるものはESTA発給を行わない」という趣旨でオバマ政権時に作られたものであって、今回の大統領令のような使われ方をされることは想定されていない。こういった法令がオバマ政権時代に作られているということは、逆説的に「現在のプロセスが既にかなり厳しいものになっている」ことを示している。シリア紛争で故郷を追われた人々が難民として認定され、米国内に合法的に入国を許可されるまでのプロセスは既に途方もなく官僚的で長いものになっていることは認識しておくべきであろう。この件については今後もう少し詳しく書いてもよいかもしれない。

つづく

書きたいことはまだあるが、さしあたって重要と思われる論点は提出したと考える。特にシリア難民の情勢やトランプ政権全体の動向などに関してはまた次回以降の記事で詳しく追っていきたいと思う。(長山燕石)

Brexit: EU離脱投票でイギリスはどこへ行くのか?

いわゆる「Brexit」をめぐる英国の国民投票で離脱派が多数を占めることが確定して数週間が経過した。イギリスの政治は明らかに混乱している─離脱派の政治家たちは実際に離脱派が勝ったことを寧ろ残念がっているようだ(UKIP党首ナイジェル・ファラージは職を辞したし、元ロンドン市長ボリス・ジョンソンは現首相キャメロンの後釜を選ぶ選挙に立候補しなかった)し、残留派の保守党も労働党も完全に混乱に陥っている(保守党党首かつ現首相デイビッド・キャメロンは辞職を表明し、労働党党首ジェレミー・コービンは議員たちから不信任投票を行われた)。スコットランドは再度独立投票を行う可能性を示唆しているし、ロンドンも独立に向けたペティションが行われている。1ポンドの価値は160円台から130円台にまで急落したし、ポンドの格付け自体も最高であるAAAから落ちることとなった。

その中で政治的に興味深い動きがひとつあるとすれば、Constitution Reform Group であろう。CRGは超党派の団体で、現在の中央集権的な連合王国を解体し、イギリスを複数の地域からなる連邦的国家を作りなおすことを提案している。スコットランド、北アイルランド、ウェールズ、そして勿論イングランドはそれぞれ主権を持ち、議会を持ち、そしてその上で政治、外交、国防と経済に関する主要な制度を共有することになる。具体的には、軍隊や通貨、外交員、所得税、官庁などの基礎的な制度的インフラ郡である。これが実現すれば、連合王国を構成するそれぞれのネーションは、今よりも遥かに自由に自らを治めることができる。

実際これは良い提案だと思うが、これで(例えば)イングランドのみが欧州連合を離脱し、スコットランドは残留するといったようなことが可能かどうかは正直微妙であると思う。そもそも欧州連合の側がそういったメンバーシップのあり方を認めるかどうかは不明瞭であるし、仮にそうなった場合、スコットランドとイングランドの間に国境管理所ができることになれば、相当異様な事態である。勿論イギリスの市民権を持っているものは移動することができたとしても、管理があること自体がある程度移動の自由を阻害する。通貨についても、その政策がどの程度欧州によって影響されるのかがわからない。

以下、FAQに対するまとめ。

Q. 三行で今までの経緯をまとめてくれ

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(通称イギリス)は、欧州連合を離脱するか否かを問う国民投票を6月23日に実施した。結果は 52% 離脱 (1741万票) – 48% 残留 (1614万票) となり、離脱が多数派。投票率は 72% だった。首都であるロンドン、スコットランド、北アイルランドでは残留が多数派であった一方、イングランドとウェールズのほとんどでは離脱派が多数であった。

Q. これで英国の欧州連合離脱が確定したのか

否。厳密に言えば、英国の欧州連合離脱がまだ確定したわけではない。英国は議会主権主義であり、この国民投票の結果に厳格な法的拘束力はない。だから、庶民院が正式に欧州連合離脱を決議するまでは、欧州連合離脱のプロセスを始める法的な必然性はないのである。だが、政治的には、国民はその意思を示したのであって、それを無視することは難しいだろう。

Q. どうして離脱派が勝ったのか?

一概に原因を特定することは難しいが、大きな原因は、普段労働党に投票している労働者階級の人々が離脱に票を投じたことであろう。労働党の議員たちは基本的に皆残留派であったが、例えば伝統的に労働党が強いはずのウェールズや、北イングランドなどでは圧倒的に離脱派が多数であった。

ある労働者は、「カネがあるやつは残留派、カネがないやつは離脱派」と言ったという。ステレオティピカルな言説だが、移民労働者によって職が奪われているという確信が多くの労働者階級の人々にはあるようだ─それが真実かどうかは別として。

また、40代以下は残留を支持する一方で、50代以上の人々は離脱支持派が大多数であり、また後者の人々のほうが投票率が高い、ということも一員であろう。階級間だけではなく、世代間でも対立があったということである。

Q. そもそもどうして国民投票を実施したのか?

保守党の内部的な政治の結果である。伝統的に英国においては欧州懐疑派と呼ばれる人々がそれなりに強く、そういった人々、及びまた欧州懐疑派による政党である英国独立党(UKIP)支持者などから信任を得るための手段としてキャメロンは国民投票を使ったといえるという認識だ。勿論彼は当初本当に離脱派が多数を占めるとは思っていなかっただろう。

ところで日本の参院選は与党の大勝に終わったようである。それぞれの政党のマニフェストを読んでいても、もはや我々には自ら立党する道しかないのではないか、とわたしは思うし、実際、ありうるマニフェストを作ってみても良いかもしれない。

アウン・サン・スー・チー氏は独裁者になったのか?

2015-11-12 09:40 UTC: しばしば見られる誤解にたいして答えを追記した。

ミャンマーでの総選挙が終了するに伴い、スー・チー氏「私が全て決定」 新大統領に「権限なし」 – 47NEWS(よんななニュース) と言う記事が注目を集めている。以下のような報道である。

【ヤンゴン共同】ミャンマーの次期政権を主導する見通しとなった野党、国民民主連盟(NLD)の党首アウン・サン・スー・チー氏(70)は10日、外国メディアとのインタビューで、次期大統領は何の権限もないと明言。自身の大統領就任を禁じた憲法規定に合わせるために任命されるにすぎないとして「私が全てを決定する」と強調した。
国家元首の大統領ではなく、自身への権力集中にこだわる姿勢は、「権威主義」や「違憲」との批判を招く恐れもある。
選挙管理委員会は11日、下院選に立候補していたスー・チー氏の当選を発表した。

これを受けて、「アウン・サン・スー・チーも独裁者になったのか」という声が聞こえるが、そう判断するのは少し早計であろう。なぜなら、それなりに公正に運用された民主的選挙で選ばれた政党の党首であるアウン・サン・スー・チーが大統領になれないことが、そもそもおかしいからだ。

アウン・サン・スー・チー氏が率いる National League for Democracy (国民民主連盟) はほぼ全議席を獲得したが、以下に引用するミャンマー憲法第59条6項によって、アウン・サン・スー・チー氏を大統領として選出することが憲法上できなくなっている。

第59条 大統領及び副大統領の要件を以下のとおりとする。

(1) 国家と国民に対して忠誠心を有する者でなければならない。
(2) 本人及びその両親がミャンマーの主権が及ぶ領土内で出生した土着民族であるミャンマー国民でなければならない。
(3) 選出されるべき人物は最低45歳以上でなければならない。
(4) 国家事項である政治、行政、経済、軍事等に関する見識を有する人物でなければならない。
(5) 大統領は、選出された時までに最低20年間継続して我が国に居住していた人物でなければならない。
(例外) 国家の許可の下で正式に外国に居住した期間は、我が国に居住したものとして計算する。
(6) 本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国政府から恩恵を受けている者、もしくは外国政府の影響下にある者、もしくは外国国民であってはならず、 また、外国国民、外国政府の影響下にある者と同等の権利や恩恵を享受することを 認められた者であってはならない
(7) 国会選挙における被選挙権として定められた要件に加え、大統領として別途規定する 要件を満たしていなければならない。

これは2008年の憲法改正によって付け加えられた条項であり、事実上アウン・サン・スー・チー氏を大統領に選出することを防ぐために導入されたものである。アウン・サン・スー・チー氏の英国人夫は既に1999年に死去しているが、子供がイギリス国籍を保有しているためにこの条項に抵触する。大統領の選出は国軍出身議員も含まれる大統領選出委員会によってなされるため、そこも一つの障害になりうるが、まずはこの条項をなんとかしなければアウン・サン・スー・チー大統領の実現は不可能である。

つまり、憲法を改正しなければならないのだが、これが非常に難しい。なぜか。今年の6月の失敗事例を見ると、より明らかになる。

ミャンマー国会が憲法改正案を否決 「スー・チー大統領」極めて困難に

【ヤンゴン=吉村英輝】ミャンマー国会は25日、与党が提出した憲法改正案の大部分を反対多数で否決した…軍系の与党、連邦団結発展党(USDP)の改憲案は、スー・チー氏のように外国籍の子供がいる人物の大統領就任を禁じる条項が引き続き含まれていた。一方で、憲法改正に必要な賛成議員の数を現行の「定数の75%超」から「70%以上」に引き下げる項目が盛り込まれた。このため定数の4分の1が割り当てられている軍人議員から、NLDが政権を握った場合、改憲を阻止できなくなるとして反対が表明されていた。

これがポイントである。憲法改正を行うためには、議会の75%の賛成を得る必要がある。しかし、議会両院において、定数のうち25%が自動的に憲法上軍人議員にあてがわれる制度になっているのである。

第436条
(1) 憲法の第1章の第1条から第48条まで、第2章の第49条から第56条まで、第3章の第59条及び第60条、第4章の第74条、第109条、第141条及び第161 条、第5章の第200条、第201条、第248条及び第276条、第6章の第293 条、第294条、第305条、第314条及び第320条、第11章の第410条から 第432条まで、第12章の第436条にある規定を改正する場合、連邦議会議員総数の75%を上回る賛成を得た後、国民投票において有権者の過半数の票を得なければならない
(2) 本条(1)項に定める条文以外の条文の憲法改正については、連邦議会議員総数の75%を上回る賛成を得なければならない。

人民院の構成 第109条
人民院の定数は最大440名とし、次のとおり構成する。
(1) 郡及び人口に基づき選出された議員最大330名
(2) 国軍司令官が法律に従い指名した軍人議員最大110名

民族院の構成 第141条
民族院の定数は最大224名とし、次のとおり構成する。
(1) 各自治地区、自治地域それぞれから選出された各 1 名の議員を含む、各管区域・州よりそれぞれ12名ずつ選出された議員168名。
(2) 国軍司令官が法律に従い、関連する連邦直轄区域を含む各管区域・州よりそれぞれ4名ずつ指名した軍人議員56名。
(3) 本条(1)項及び(2)項に規定するとおりに民族院を構成するに当たっては、関連する連邦直轄区域は、この憲法が定めた連邦直轄区域であれ、連邦議会が法律を制定して 新たに定める連邦直轄区域であれ、当該連邦直轄区域が属する州もしくは管区、又は、管区 域もしくは州の中に含まれているものとし、民族院議員を選出する。

国軍はこの憲法改正を行う際、アウン・サン・スー・チー氏が権力を握り改正を行うことが最大限難しくなるように制度を設計したとみられる。(全くクソみたいな話だが)このような状況において、制度の枠組みの中で政権運営を行うためには、大統領は別に立てたうえで、実際の決定はアウン・サン・スー・チー氏が行っていくということが必要になってくるのである─国民はアウン・サン・スー・チー氏に国政を任せることを民主的な選挙において表明したのだから。それは独裁とは異なるようにわたしには思われる。

追記: ファーガル・キーン氏 (K) によるアウン・サン・スー・チー氏 (A) BBCインタビューからの抜粋。

K: 国軍が制定した憲法下では、あなたは大統領になることができませんが、先日あなたは、大統領の上に立つということを言いました。それはどういう意味でしょうか。

A: わたしがすべての決定を行う、ということです。第69条f項を満たす大統領を立てることが必要だとおっしゃるなら、わたしはそうしましょう。けれどもだからといって、わたしが、政権党の党首として、すべての決定を行うことをやめるわけではありません。

K: それは将軍たちを少しナーバスにさせるのではありませんか。

A: わたしは透明性 transparency と説明責任 accountability がよい政府の根本であるということを信じています。そしてそのようなよい政府を持つことを、ミャンマーの人々は数十年に渡り禁じられてきました。

K: では、あなたは、実質的に大統領となる、ということですね─称号を覗いては。

追記: しばしば見られる誤解にたいして答えを提供する。 (2015-11-12 09:40 UTC)

Q: これは院政ではないのか。

A: 異なる。院政とは、既に制度上引退した政治的指導者が現在の制度上の政治的指導者に対して優越し引き続き実権を保持することだといえるが、アウン・サン・スー・チー氏はそもそも一度も制度上政治的指導者になっておらず、また形式的にも実質的にも引退していない

Q: これは憲法を無視しているのではないのか。

A: 異なる。憲法を無視するのであれば、上記の第59条6項を無視して大統領になればよい。そうしないのは、憲法を無視しているわけではないからだ。しいて言うならば、これは第58条の規定「大統領は、ミャンマー連邦全土に居住するミャンマー国民全員の頂点に位置する」に反しているということはできよう。しかし、この「頂点に位置する」という規定が具体的に何を意味するのかを問うことは難しい。

Q: どちらにせよこれは独裁ではないのか。

A: 独裁の定義によるが、アウン・サン・スー・チー氏に与えられた権限は憲法によって大統領に与えられたそれを上回るものではない。彼女はあくまで、民主的選挙によって選ばれた政権党党首として政治に対して影響力を行使すると言っているのであって、それが独裁だと言うのであれば、アメリカ大統領でさえ独裁者となるであろう。

民主主義的プロセスについて

安保法案をめぐる与党の動きに関して、民主主義とはなんぞや、という問が散見されるので、覚書を残しておく。

民主主義は、それ自身が運動でありプロセスであるということにおいて他の政治形態とは異なる。それはいわば「過程の哲学」の上に成立しているのである。

例えば多数決について、仮に数が多ければ多いほどよいという考え方のみに立てば、全員一致が一番よいということになる─伝統的な閉じた共同体というものは基本的には全員一致をよしとするものである。その中においてはひとつの価値のみが共有されており、それを共有しないものは村八分にされることによって全員一致が保たれることになる。

しかしながら、近代的な民主主義における多数決はこれとは異なる。そこでは、異なった意見が存在することが積極的価値として見出されているのである。様々な意見が存在することが当たり前であって、それがないことはかえっておかしいという考え方に立てば、全員一致はむしろ異常事態である。ここで初めて、少数意見に対する寛容の精神が重要視されるようになる。

民主主義的な多数決においては、多数と少数との議論によるプロセスそのものが重要なのであって、単に投票の結果だけが重要なのではない。この点こそが、伝統的な共同体における全員一致と、近代的な民主主義というものを分かっている。政治は単に「勝ち負け」によってのみ成立するものではないのである。

ある自民党の政治家は、「選挙に勝った以上、国民は政治というものを政治家に任せていただきたい。野党と話し合いということは基本的にしない。選挙に勝って国民の審判が下ったのだから、政治に関しては与党の思うとおりに動かしていく」という旨の主張をした。これは「勝ち負け」で政治を判断してしまう悪しき例である。政治は、残念ながら、スポーツではない。

悪法が通った、盛んに反対したけれども結局通ってしまった、通ってしまったら終わりである、という考え方は、多くの人間によって共有されているように見られるが、これも勝ち負けで政治を判断しており、誤りであると言わざるをえない。悪法が通ったのならば、それが少しでも悪く適用されないように、尚努力をする、終局的には撤廃されるように努力をする、ということをしなくてはならない。しばしば、いわゆる「文化人」などは、いくら反対しても通ってしまうのだから、反対しても意味は無い、といったことをいう。けれども、ある方が望ましくないというとき、その反対する力が強ければ強いほど、そのほうが成立する過程において抵抗が強ければ強いほど、できた方の運用をする当局者は慎重にならざるを得ない。たとえば秘密保護法などはあまりよい法律ではない、とわたしは思う。この法制についても、ワーワー反対して騒いだけれども現実にはあまり適用されていないではないか、という人がいる。けれども実際は、あれだけ反対があったからこそ、うっかり適用できない、というほうが現実に近いであろう。投票の結果において通るか通らないかということは、政治過程における一つのファクターであるけれども、すべてのファクターではない。負けちゃったじゃないか、いくらやってもだめじゃないか、という発想には、反省されるべき勝負思想というものが非常に大きく働いているのである。

さて、碩学な読者は既にお気付きの通り、上の文章は丸山眞男「政治的判断」のほぼ丸写しである─杉田敦による『丸山眞男セレクション』(平凡社ライブラリー)、385から388頁による。文中に出てくる「破防法」は「秘密保護法」に変更してみた。これは1958年の講演をベースにしたものだが、状況があまりに変わっていないので驚かされる。すべての読者に一読をおすすめする。

大阪都構想に関して

大阪都構想に関する住民投票が終了し、投票数で1万票、得票率で 0.8% の差で否決された。大阪住民投票 反対多数 都構想実現せず – NHKニュース によれば、反対は70万5585票、賛成は69万4844票であったという。

今回の大阪都構想そのもの及びその投票に関しては、個人的には疑問に思う点が多々あったため、私も大阪市民であったら反対票を投じていたこととは思う。例えば、「大阪都構想の危険性」に関する学者所見では、以下の様な論点が提出されている。

  • (a) 特別区制は憲法上の地方公共団体ではなく不安定
  • (b) 東京都の繁栄は特別区制によるものではなく大企業の本社機能の集中に寄るもの
  • (c) 特別区制は府への中央集権を促進させ都市計画を難しくする
  • (d) そもそも二重行政は大きなムダを産んでいない;効果はせいぜい2−3億円と予測される

これらのような論点に対して、維新側、あるいは大阪都構想推進側が十分に答えることができていたとはあまり思わない。なにか的確な議論がなされている記事などがあれば、教えていただきたいところだ。

しかし一方で、大阪都構想は潰えた、よかったよかった、という気分ではない。商業の都としてかつて栄えたオオサカが徐々に衰退に向かっていることは間違いない。維新のような運動が出てきたのはそれなりの理由があるのだ。それらの問題に対してどのように答えていくか、という課題はいまだに残ったままである。

本来ならば大阪都構想に類した地方行政改革案というものはリベラルから出てこなければならないはずである。どのように大阪をもう一度力強い地域にしていくのか、ということを考える作業を続けなければならない。

ちなみに、私が大阪市長あるいは府知事だったら、大阪府を解体し、河内国・和泉国・摂津国の三国に分割する、「三国分割案」を提出するであろう。

結婚と個人の幸福とは関係がない

わたしも、日々Facebookなどで結婚の報告が見られる歳になり、巷の恋愛/結婚に関する意見なども読むようになった。婚姻をめぐる言説は非常に興味深いが、単に読むだけでなく、個人的意見を挟み、言説空間へと参画していくことも重要かと思われるので、書く。

しばしば見られる誤解だが、結婚と個人の幸福は関係がない。

社会制度としての婚姻は親族の、ひいては社会の再生産のためにあるのであって、個人を幸福にするためにあるのではない。多くの人間社会においては、結婚するか否かということのみならず、誰と結婚するか、ということまで、個人の意志とは関係なく決定される。結婚、および再生産は義務であって、そこから逃れることはできないし、その相手も自由に決めることはできない。重要なのはその親族共同体に属する子供が生まれることであって、夫婦が幸せか否かというのは二次的な問題である。特定の相手との結婚が構造的に奨励される場合でなくても、特定の相手との結婚の禁止─いわゆるインセスト・タブー─は存在することがほとんどである。

個人的自由の尊重は近代の画期的な発明であって、個人的幸福及び自由への権利、という発想が導入されることによってはじめて、不幸な結婚を回避することができ、構造的に決定される結婚相手から逃れることができる。

「運命の相手と結婚する事こそが幸福である」という信条は、このような時代にあって、再生産への親族的要請と、個人的幸福の希求の「イイトコどり」をすることができる、みごとな折衷案である。婚姻相手は自由に決定することができるが、結婚はしなければならない、というわけだ。少なくとも日本における近代的結婚は、このようなものとしてイメージされてきた。

けれどもこのような信条はより個人主義が優勢になるにともなって支持することがますます難しくなってきている。当然ながら、婚姻自体を幸福としない人間もまた存在するからである。義務としての婚姻、という論点を出さずに、個人的幸福の最終形としての婚姻、という議論だけを維持することはできない。

一方で、人間のクローン技術が完全でなく、また人間を成年にまで育てるには少なく見積もっても16年ほどかかる以上、社会の再生産は親族単位で行われなければならない。成長する過程でひとりひとりに手厚いケアを与える制度を親族なしに整えることは非常に難しい。もちろん、たとえばSF漫画「地球へ…」で描かれたような体制を実現することは、将来的には可能になるかもしれない。しかし、我々人類にはさしあたって婚姻が必要なのだ。

問題は、個人的自由と、再生産の必要性とをいかにしてバランスさせるか、ということである。「結婚こそが個人的幸福である」という信条はその一つの解であったけれども、それが唯一の解であるわけではない。他の解を導くことは、政治哲学者だけでなく、我々一人一人がなさなければならないことであろう。

Charlie Hebdo: 理性の宗教か、ムハンマドの宗教か

イスラームと表現の自由の対立は既に21世紀の政治における古典的問題になった感があり、この度改めて論じるべき新しい論点は既にないかもしれない。

多くの識者が指摘されている通り、ここに論理的な解決を望むのは間違っている。ふたつの相容れない価値観はお互いどうしても譲れない一点で争っており、議論を整理することは対立を明確化し先鋭化することである。西洋としては宗教への批判及び風刺は表現の自由によって守られるべきものである─それによって欧州は近代を築き上げたのだ。しかしイスラームとしては当然ながらその信仰の絶対的基礎たるムハンマドを描くことは万死に値する涜神行為である。これは宗教的対立なのだ─フランス共和国における理性への信仰をひとつの宗教とみなすならば。

その際、どちらの陣営にも属していない吾々日本人のような半端者にできることがあるとすれば、それは、どちらかの側に立って他方を糾弾することではなく、あるいは議論を整理しどちらが正しいか見極めようとすることでもなく、どちらの議論にもそれなりの理ありとしつつ、お互いが平和的に併存するしかた─「共存共栄」は不可能であるとしても、お互いに攻撃しあうことなく存在し続けられる落としどころ─を見つけようとすることかと思う。

吾々に言えるのは、それくらいのことだ。

いずれにせよ亡くなられた人々および遺族の苦しみを思うと心が痛みます。謹んで哀悼の意を表します。

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BBC: 何故日本は児童ポルノ漫画を規制しないのか

これは、BBC – Why hasn’t Japan banned child-porn comics? の全訳である。正確性は保証しない。


日本の「マンガ」や「アニメ」は巨大な文化産業であり、世界中で有名になっている。しかし、その中には、児童を含む卑猥な表現をするものがある。何故日本はこのような表現を禁止しないのか?

日曜日の東京。同人誌即売会、サンシャインクリエイションには、幾千のマンガファン─ほぼ全員男─が集まり、ところ狭しと並ぶ机の上に置かれた同人誌をチェックしている。

妖精のような顔と大きな目をしたマンガの女性たち。多くはほぼ服を着ておらず、現実的にはありえないプロポーションをしている。洞窟のようなこの空間を、彼女たちが彩っている。

「このエリアは18禁です」とイベント主催者のヒデ氏は語る。

あるテーブル置かれている同人誌の表紙には、トップレスの少女が二人描かれている。わたしの目には、彼女たちは10歳〜15歳であるように見える。彼女たちは物語の中で、性的な行為を行っている。

他のテーブルも同じようなものである。英国やオーストラリア、あるいはカナダでは、確実に論争的、あるいは違法とみなされるであろうものが、ここでは問題なく売られている。

「児童虐待はよくない、それは常識です」とヒデ氏は言う。「しかし、その感情を持つこと、児童との性的な関係を夢想し楽しむこと自体は違法ではありません」。

彼の率直さはわたしを驚かせる。彼は「ロリコン」なる言葉─「ロリータ・コンプレックス」の略である─を導入する。これは、少女たちが卑猥な表現に巻き込まれるマンガの総称である。近親相姦、レイプ、その他のタビューを含むこともあるが、ヒデ氏はどちらかといえばハイスクール・ロマンスが好みだという。

「少女を含む性的創作物は好きです。ロリコンはわたしの趣味の一つです」、と彼は言う。

わたしは隣にいた彼の妻が、その「趣味」についてどう考えているのかを聞いた。

「問題無いと思っているでしょう」、と彼は言う。「彼女も少年たちのセックスが大好きですから」。

このような創作物は、一年に 3.6 億ドル(4.3 兆円)を生み出す日本の巨大なマンガ産業のちいさな一部分にすぎないが、多くの注目と論争の的になっている。

2014年6月、実際の児童に対する性的虐待を写した(訳者注: いわゆる「三次元」の)画像の所持を禁止する法律が日本では可決された。このような画像の生産及び牌譜は既に1999年に違法化されていたが、日本は OECD 加盟国の中では一番遅く、所持の禁止に踏み出すことになった。

同時に、マンガやアニメ、ゲームにおける、18歳以下に見えるキャラクターを含む「バーチャルな」性的画像を違法化することも検討された。しかし数多くの論争の後、日本の議会はこれを放棄。その決定は、(特に、海外の)児童保護団体やNGOから多くの批判を浴びることになった。

理解のための一つの鍵は、ヒデ氏は、我々が出会ってすぐに、彼の「趣味」を語ることになんの抵抗も持っていなかったということである。少女を含むマンガはある程度の社会的なスティグマを伴うようだが、未成年を含む性的な創作物はかなりメインストリームであるといえる。

日本の立法者は、おそらく、数多くのマンガファン─数百万にもなるかもしれない─の行為を違法化することにためらいを覚えたのではないか。

ヒデ氏のようなファンは、彼らは単に何ら危害を加えないファンタジーを楽しんでいるだけだという。児童モデルや女優は一切関わっていないから、「このようなマンガを創ることによって児童虐待は行われていない」のだ。

しかし、ファンタジーと現実との境界は常にそのように明確だと、どうして言えよう?

東京の秋葉原地区はマンガ世界の精神的な中心である。そこではネオンサインとポップ・ミュージックが眼と耳を圧倒させる。街には複数階を使った本屋が溢れ、ここならば、どんなトピックに関するマンガも見つけることができる。

その18禁部分では、「ジュニア・レイプ」や「ジャパニーズ・プリティーン・スイート」(役者注: あえて訳していない)といったタイトルのマンガを見つけ出すのは難しくない。

「何かに性的に興奮しても、すぐに慣れてしまいます」とアダルトショップで働くトモ氏は言う。「だから彼らは、常になにか新しいものを探しています。そこで、若い、未成年の女性に興奮するのです」。

批判者たちを憂慮させるのはこの点においてである。このようなマンガを創る中で仮に誰も傷つけられていなかったとしても、それは性的虐待を規範化し、促進させ、リスクを増大させるのではないか。

これが本当であるかは誰にもわからない─研究は未だ明確な結論を出していないのだ。しかし日本人の、特に女性たちは、このような自体を憂慮している。彼女たちは、このような画像を、しばしば女性の地位を貶めるようなエクストリームなポルノグラフィや、若い人々の性愛化に注意の目を向けない社会の一部であると考えているのである。

日本において若さへの強い興味を発見することは簡単だ。少女たちによって構成されたポップ・グループが成年男子の群衆に向けて演戯を行っている。ビルボードから広告、マンガに至るまで、女子高生のイメージはいたるところにある。

若い女性に向けた本を幾冊も書き著名になったリリー氏は、高校時代、男性が近寄ってきて、靴下やパンティーを購入すると言い出した時のことをわたしに語ってくれた。

「最低だと思います。変態です」、と彼女は言う。未成年とのセックスは、「強い、独立した女性に疲れた男性たちが実現したい権力の問題である」、と彼女は言う。

リリーの親の世代に有力だった家族のモデル─金を稼ぐ父と、家事をする母─は、未だに日本で強い力を持っている。しかし、日本の経済が弱体化するとともに、これを男性が実現することは難しくなった。

「彼らはビジネスでうまくいっていないので、ロリコンマンガの空想に走るのかもしれません。」

「わたしはそれを憎んでいます。本当に。日本から変態さを無くしたい─少なくともこどもたちをそこに含めないで欲しい。」

しかし、特に性的なファンタジーに関して、何が「よい」のか、何が「適切」かについての見解を政府が提供し、強制することの是非を問う人間もいる。

「批判すること自体はかまいません」とマンガ翻訳者であり、自由な言論の支持者であるダン・カネミツ氏(訳者注: 兼光ダニエル真氏)は言う。「しかし、ある人がどのように行為し、何を考えているかに基いてその人を取り締まる権力を政府に与えてしまうと、思想警察になってしまいます」。

では、彼は、少女たちや、レイプや近親相姦といったタブーを描く漫画家たちの権利のために立ち上がるのであろうか?

「わたしはそれらを好みませんが、他の人がどのように考え、何を共有した以下について、どうこう言う権利はわたしにはありません」、と彼は言う。「他の人の人権を傷つけないのであれば、一体何が悪いといえるのでしょうか?」

秋葉原のマンガショップの中で、児童保護団体のカズナ・カナジリ氏は、マンガやアニメよりも大きな問題であると彼女が考えているものを見せてくれた。メインストリートから外れ、階段をのぼると、DVD ばかりが置かれた部屋がある。

カズナ氏はそのうちの一つを棚から取り、見せてくれた。そのカバーには、露出度の高い水着を着て、大人のように性的なポーズを取る少女(5歳だという)の写真がある。他の DVD も、すべて、実際の子供が登場する。

「子供たちがかわいそう」、とカナジリ氏はいう。

「ジュニア・アイドル」ものと呼ばれるこれらの DVD は、1999年に児童ポルノが違法化されて以降人気を博した。子供の性器が隠されている限り、違法ではない、という解釈だったが、カナジリ氏は、去年の6月に法が強化されて以降はこれらも違法になったという。

「こういったものを作っている人は、適切な処罰を受けるべきです」、と彼女は言う。「こういったものは全く違法ですが、警察はまだ取り締まっていません」。

マンガやアニメにおける児童に対する性的表現はショッキングであり、注意を向けやすいが、カナジリ氏ら活動家は、今のところ、実際の児童を保護する、より重要な闘争に集中している、という。

しかし、こういった論争的なマンガやアニメ表現の禁止を全く諦めたわけではない。

「全て消えて欲しいのです」、と彼女は言う。「2020年には、日本にオリンピックが来ます。その時までには、日本が変態の国と呼ばれることのないようにしたいのです」。

マンガの支持者たちは強く拒否する説明であるが、オリンピックが近づくに連れ、海外の目が日本に向けられる。そうなれば、マンガやアニメを「ウィアード・ジャパン」ではなく、「クール・ジャパン」の一部にするための圧力はより強くなるであろう。

「どうして解散するんですか」に関して

どうして解散するんですか?」なるサイトを、ある慶応義塾大学生が、小学生を騙って作り上げた、として炎上中である。

批判されるべき点は幾多もあろうけれども、何よりも批判されるべきは、問題提起をするのならば、何故質問をするにとどまったのか、という点にあろうと思う。曲がりなりにも大学生であるのならば、自分が問題提起を行う事象について、それが何故問題なのかを説明し、かつ、それを解決するためのアクション・プランを提示するべきである。すなわち、この解散が問題的であると思うのならば、単純に「どうして解散するんですか」と問うにとどまり、答えを見つける責任を読者に押し付けるのではなく、自ら、「なぜこの解散が問題的であるのか」を論理的に説明し、それに対してどのようなアクションを取ることができるかを明示するべきである。それを行わないうちは、まさしく小学生同然であって、政治は小学生が行うものではない。

800億円という数字が紙面を踊っているけれども、選挙に伴って発生する様々なコスト─そこには単純に経済的なものだけではなく、選挙中の意思決定の遅れなども含まれる─は、そもそも代表制民主主義に不可避のものであって、単純に金額の大きさに触れるだけではこの選挙の問題性を指摘したことにはならない

仮に、この解散は不当である─すなわち、法的に適正なプロセスを経て成立したものではない─という議論を組み立てるのであれば、まず、「そもそも内閣に衆議院の解散権は存する(べき)か」、そして「もしそうだとすれば、どのような場合において内閣は衆議院を解散することができる(べき)か」を論じ、この解散がそれに当たらないことを示した上で、最終的に、「どうすればその不当性を糾弾することができるか」─たとえば、署名─をサイト閲覧者に示すべきだった。そこまでやらずに、「ねえ、どうして解散するの?」と聞くだけなら、まったく、小学生でもできる。

人口一極集中阻止のための覚書

  1. 首都機能移転。京都の首都としての正式な設置、天皇の東幸からの帰還、及び政治機能の京都への移転。
  2. 地方制度改革。廃県置国。令制国の正式な再導入及び道制の設置。
  3. 税制優遇措置。東京外に本社を置く企業に対してなど。

首都機能に関しては、行政機能は在東のままでよいと考える。首都機能を一都に集中させる必要はない。東西両都制とする。

廃県置国に関しては、多少の整理が必要であろうと思われる。国レベルでは、上総・下総・安房(総国)や、備前・備中・備後・美作(吉備国)、などの統合。道レベルでは、主に以下の二つか:

  • 「畿内」の道化および拡大(単に「近畿道」、あるいは朝鮮にならい「京畿道」などとし、近江・淡路・紀伊などを統合するのがよいか)、
  • 東山道の分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥・羽前・羽後からなる「東北道」と美濃・信濃・上野・下野からなる「東山道」へ分割するのがよいか)

北陸道・西海道(九州)・南海道(四国)・北海道などは基本的にはそのままで機能するだろう。名古屋を中心とする道を作るか否か(伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河。東山道との統合もありか)、山陰道・山陽道の経済的自立性をいかに担保するか、は議論の余地あり。東京は武蔵国には属さない特別区とするのが現実的だろう。

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